「最終段階の教え」
◎最終段階の教え
【本文】
彼らの中でも、完全なる叡智を十分に持ち、常に私を思い礼拝する人こそ、最上の人なのだ。
私はその人にとって最愛の存在であり、その人も私にとって最愛の存在なのだ。
彼らはいずれも高貴なる魂の持ち主で、私は、そのような完全なる叡智を持っている人を、私と同一であると思っている。
なぜならその人は、私を最高の到達点として、私の中にしっかりと心を結び付けているからだ。
あまたの生涯を経て、完全なる叡智を得た人は、
至高者こそがあらゆるものの根本原因であると知り、私に帰依し信仰するのだが、このような偉大な魂はまことにまれである。
はい。「完全なる叡智を十分にもち」――完全に悟った、覚醒した人だね。そうした人っていうのは、完全にバガヴァーンの実態というものに気づいている。そして、常にその至高者のことを思い、至高者と常につながっている状態ということだね。
そこまでいってなくても、何度も何度も生まれ変わって修行してて、まだ完全なる叡智には到達していない、しかしちょっとずつ気づいている人っていうのは、何度も言うけども――必ずこのような教えとめぐり合います。
われわれがね、まず仏教なりヨーガなり、そういった修行によって魂を磨き、智慧を得ていく道にめぐり合うこと自体が素晴らしいことです。これはわれわれの過去世からの徳であり、縁であると。でもその中にも段階がいろいろあるわけだね。
これはみなさん、今までいろんなヨーガとか仏教とか、もちろんキリスト教徒かイスラム教とかも含めて、いろんな教えを学んで分かると思うけども、例えばヨーガと仏教に絞ってもいろいろある。いや、仏教だけ言ってもいろいろある。いろんな見解の教えがある。それはある意味段階なわけだね。その最終段階の教えっていうのが――私から言わせるとね――これなんです(笑)。このギーターで説かれる教えなんです。
もちろんそれは、仏教ではまた違う形でも説かれてる。でも、その完全なる唯一なるものの存在を明かす教えなんだね。それにめぐり合えること。めぐり合って、何かよく分からないけど、なんとなく「これすごいな」って思えること(笑)。これは、われわれの過去世から積み上げてきた修行の結果以外の何ものでもないんだね。
だから私はカイラスって、すごくそういう素晴らしい修行者の集まりだと思うね(笑)。前も言ったけど、私は、バガヴァッド・ギーターは勉強会でやろうとはあまり最初は思っていなかった。説明が難しすぎるっていうか。論理的に説明してどうこうっていう問題じゃないから。でも去年に最初このバガヴァッド・ギーターをやったときに、みんなすごい反応が悪くて。「ああ、やっぱりこれはまだだめなのかな……」って思ってたら、後で、「感動しました」「すごいよかったです」とかいう声がやってきて(笑)。「え? これ感動したの?」と。「みんな偉大な魂かもしれない」――と思ったわけだけど(笑)。そう思うね。こういうものっていうのは、なかなかこう論理的に、「ああ、なるほど、こうこうこうですね」っていう世界とはちょっと違う世界なんだね。ここがなんとなくでも分かる人っていうのは偉大だと思うね。
コメント
-
前の記事
新しい生の始まり -
次の記事
カダム派史(8)「ドムトンと、ラデンの座主」