yoga school kailas

スワミ・プレーマーナンダ「信者への奉仕」(2)

 ガウリーシャーナンダは、わたし達にこう語りました。

「ある裕福な家族が車でカルカッタからマトヘ到着した。ダルシャンを得たあと、彼らはただちに去る準備をしていた。これを見るや、バブラム・マハラジは早急にプラサードを給仕し、それを得ないでは彼らを帰らせないように、とわたし達に仰った。そのように命じられた者は走って、年老いた女性にプラサードを手渡した。
 次の日、彼らは再びマトヘやってきて、膨大な量の手作りのシンガラ、カチュリ、そしてサンデーシュを持ってきた。微笑みながらバブラム・マハラジは仰った。

『見よ、信者が奉仕をされるとき、タクルは返礼として彼らの奉仕をお受けなさる。タクルはまた僧たちを信者に奉仕するようにおさせになる。しかし覚えていなさい、君たちはなんの期待もなしに彼らに奉仕をしなければいけない。』

 ある日、バブラム・マハラジがカルカッタに行っており不在で、昼食の時間がすでに過ぎていたときに、ナーグ・マハーシャヤの妻が2、3人の連れと共にやってきた。彼女たちはマトに船で到着した。彼女は、何か食べたい物を聞かれると、タクルのプラサード以外は食べないと答えた。僧はプラサードを探し、タクルのプラサードはもう2、3口分のご飯しか残っていないことがわかったが、彼女にとってはそれで十分だった。しかし彼女の連れたちのために、ほかに何かを準備する必要があった。その状況を知らされると、イナン・マハラジは腹立たしげにこう返答した。

『何も彼女たちのためにする必要なはい。出ていってもらおう。そのような時ならざるときにやってきて、どうして食べ物を期待しているのだろうか?』

 しかし、ほかの僧たちは彼の言うことをきかないで、いくらかの揚げ物とキチュリの食事の手配をし、彼女たちは去る前に食事をした。その日の午後、バブラム・マハラジがマトに帰っていらっしゃるとすぐに、来客のために食事を準備した僧たちは、すべてのことをマハラジに報せ、もし自分たちが不正をしていたならばと許しを求めた。しかしバブラム・マハラジは彼らに大変満足なさり、こう仰った。

『君たちは正しいことをした。もしわたしがここにいたら、同じことをしただろう。』

 ある政府の高官が妻とともにガンガーで沐浴するためにマトヘ来た。彼は沐浴のあと、食事をとれるようなホテルがどこか近くにあるかどうか尋ねた。マトでの食事はすでに終わっていたが、バブラム・マハラジがブラフマチャーリ・ネパールからその男性の質問を聞いたとき、彼らを心からの歓迎し、そして手を合わせて、彼らにタクルのプラサードの残りすべて――お米、ダル、そして野菜――を提供した。彼はそこでこう説明した。

『わたし達は自分たちのためには何の食物の配膳もしません。わたし達は手に入れることができたものなら何でも、タクルへの捧げものとして用意し、それからそれを彼のプラサードとして頂きます。今日、私たちはこの植物の茎で作ったカレーと、このダルの用意しかありません。ご遠慮なく好きなだけ召し上がってください。』

 そのようなもてなしに感動して、彼らは腹いっぱい食べた。彼らが次にマトヘ来た時はもう、バブラム・マハラジは肉体には存在しておられなかった。彼らはバブラム・マハラジについて知りたがり、こう言った。

『わたし達の今までの人生で、決してあのような、あらゆる優しい思いと愛に満ちた食べ物を味わったことはありませんでした。わたし達は親類の家でたくさんのごちそうを味わいましたが、それもあの食べ物とは比べ物になりません。
 あのシンプルな野菜の調理のうちにそれほどの優しさが隠されていると、誰が分かるでしょうか? そしてそれだけの魅力を持つ人のなんと気取らないふるまい、なんという人当たりの良さでしょう!』

 バブラム・マハラジがマトに滞在している時はいつでも、いつもそこにはたくさんの信者達が集まってきた。しかしタクルのプラサードを頂き、バブラム・マハラジの甘い言葉でもてなされることなしには、誰も去ることができなかった。 信者の数が増え続けたので、しばしば昼食は13時半や14時を過ぎても終わらなかった。
 昼食後、バブラム・マハラジは15分か20分程休むために階段を上った。それから彼は信者の来訪について尋ね、タクルについて彼らに話すために降りていかれるのだった。彼の魅力的なふるまいに惹きつけられ、信者達はますます頻繁にマトヘ通うようになったのだった。
 彼は決して信者達が手ぶらで家に帰ることを望まなかったようだった。可能ならばいつでも、信者達にマトから何か持って帰るように仰った。信者達がデング・ダンタの新鮮な茎を大喜びで家へ持って帰る光景が幾度も見られたものだった。

 Mがミヒジャに滞在していたとき、何人かの信者がそこからマトヘ来た。彼らはダルシャンを受けたあと、まさにその日に家へ帰る準備をしていた。
 バブラム・マハラジに指示されて、ネパールは、噛むことのできるダンタの茎を引き抜いてきれいにし、そして信者たちにあげた。彼らはそれをMに持って帰った。2、3日後に彼らはマトに戻ってきてこう言った。

『その茎は乾いてしおれると思いましたので、すぐにそれを使い切りたかったのですが、Mはそれに反対され、こう仰いました。
「一度に茎の全部を使ってはいけない。一日毎にただ使う分だけを使い、残りは湿った布に包んでおきなさい。それを食べている間、この茎は、スワミジによって設立され、タクルの教えが説かれているベルル・マトから来たのだと、ただ心に描きなさい。それはタクルの親しい仲間であったバブラム・マハラジと、そしてマトのブラフマチャーリと僧によって与えられたのだと、ただ心に描きなさい。そうすれば、それは君たちにとって、普通の茎ではなく、多くの力が宿るものとなるのは明らかだ。」』」

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする