ある若い修行者へのブラフマーナンダの助言(5)

一般の法則として、人の心は川のように低い方に向かって――つまり情欲や物欲や名声を求める方に向かって――流れて行くものだ。その流れを変え、心を上方に、神の方に向かって流れさせるようにしたまえ。
シュリー・ラーマクリシュナの心は、常に超越的世界に住んでいた。非常に骨を折ってようやくのことで、彼は心を普通の意識に、世間の事物の上におろすことがおできになったのである。
ジャパム、ジャパム、ジャパム! 働いているときにもジャパムを実践せよ。主の御名を君たちの活動の中心部に置いて、回転させ続けるようにしたまえ。もしこのことができるなら、心中のすべての興奮はおさまるだろう。神の御名に非難することによって、多くの罪びとが清められ、自由になり、神聖になったのだ。神と彼の御名とに深い信仰を持ちたまえ。この二つは同一であるということを知りたまえ。
彼は彼の信者のハートに住んでいらっしゃる。熱意を込めて彼に呼びかけよ。彼に祈れ。「あなたの恩寵をわたしにお示しください。わたしに信仰と帰依心とをお授けください」と。熱心にお祈りをせよ。自分の心と言葉とを一致させるようにしたまえ。
一切のものを神で覆え。そして、あらゆるところに彼を見ることを学ぶにつれて、君たちは「草の葉よりも謙虚」になるであろう。すべての生き物の中に彼を見よ。神のことのみを聞き、彼のことのみを語れ。ちょうど墓場を避けるように、神の御名の唱えられない場所は避けるがよい。
彼の御名を繰り返し、彼に呼びかけよ。彼はすべての人のごく近くにいらっしゃり、ごく親しいお方でいらっしゃるのだ。彼がご自身をお示しにならないことなどがあろうか。彼に向かって心を開きたまえ。正しい道にお導きくださるであろう。彼の御名を唱えることと彼を瞑想すること以上に心を浄化するものはない。彼はやすやすと、我々の前にお現われになるのだ。
バクティの道があり、またジュニャーナの道がある。バクタは神の御姿を好む。バクタは「彼」に呼びかける。彼の賛歌を歌い、彼の御名を朗誦し、彼の光り輝くお姿を見る。バクタはあるときは泣き、あるときは笑う。ジュニャーナの道をたどる人々は、光を求める。そして彼らは明智を得る。しかしながら、両者は別個のものではない。最後には、バクタとジュニャーニとは一つになるのだ。ジュニャーナの道を進むことによって迷妄は破壊される。完全なる叡智の光だけが輝く。完全なる叡智の光の向こうには何があるか。向こうに行った者だけが知っている。他の誰も知らない。また誰もそれを示すことはできない。
忍耐をせよ。限りなく忍耐せよ。実在に達するまで。
最初の段階では、瞑想は退屈なものだ。アルファベットの勉強のようなものだ。徐々に平安がやって来る。アビシェーカを受けた後でやって来て、自分はいかなる境地にも達し得ないと不満を言う少年たちがいる。わたいは二、三年の間は彼らの言うことに耳を貸さない。その後に彼らはやって来て、「はい、マハラジ、わたしも今はある境地に達しつつあるようでございます」と言うのだ。焦ってはいけない。二、三年、激しく奮闘努力せよ。そすれば、ハートが歓喜にあふれるようになるであろう。
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