「四つの力の懺悔」
◎四つの力の懺悔
はい、そしてこの後でやっと懺悔の瞑想に入るんですね。はい。
「ヴァジュラサットヴァの瞑想の終わり方は、四つの力の懺悔をして」
四つの力の懺悔っていうのは、まず後悔ね。後悔っていうのはいい意味での後悔です、これはね。つまり「ああ、わたしはこんなことをしてしまいました。本当にこれは悪かったです。申し訳ありません」と。こういう告白ですね。
そして二番目に、もう二度とそれをしないぞという決意ね。もうわたしは絶対そんなことはしませんと。
で、三番目に、対治というかな、つまりその罪を浄めるために積極的にこういうことをやりますという、逆の決意ですね。逆の決意を三番目にすると。
まあ、そうですね、じゃあちょっと分かりやすい例を挙げるならば、例えば過去に盗みをしたことがあったとしたら、「わたしはこんな盗みをしてしまいました。これは本当に自分の餓鬼のカルマを増大させるだけですと。本当に申し訳ありません」という告白。
二番目に、「絶対これからわたしは決して盗みはいたしません」という決意。
三番目が、それを浄化するために、「貪りや盗みのカルマを浄化するためにわたしはこれから布施とか、供養とか、奉仕とか、そういう人に捧げる、あるいは神や仏陀や師に捧げる、そういう修行を一生懸命やります」と。これが三番目。
で、四番目が「確信」です。つまり、「この懺悔によって、このヴァジュラサットヴァに対する懺悔によって、わたしの罪っていうのは浄化されたのだ」という強い確信ね。これが四つの力の懺悔と呼ばれます。
はい。これを心の中で行なって、で、その後で、また詞章を唱えるわけですね。
「わたしは無智蒙昧のために、サマヤから矛盾して堕落してしまいました。
グルである救世主よ、わたしをお守りください。
ヴァジュラダラであって、大いなる哀れみの本質を備えた衆生の主よ、わたしをお守りください。」
このように唱えるわけですね。そうするとヴァジュラサットヴァが、
「善男子よ、汝の罪と障害とサマヤからの堕落と破戒のすべては清浄になった。」
とおっしゃったというふうに観想するわけですね。そしてヴァジュラサットヴァが自分の中にサーッと溶け込んでくると。これによって、
「自分の身口意とヴァジュラサットヴァの身口意が合一したと観想する」。
まあ、だからここでよくやってる懺悔の瞑想ね、あれはまあとても簡略な形なわけだけど、ここはもうちょっとそれが複雑になってるわけだね。
「最後に回向と誓願をして終わる。」
まあ、これはつまり簡単に言うと、今日、今回のこの自分の瞑想の徳がね、すべての衆生の悟りと幸福につながりますようにっていうことを最後に念じるわけだね。
◎懺悔の瞑想
はい。じゃあ、この最後の懺悔の部分もみんなでちょっとまたやってみましょうね。
はい、じゃあまた目をつぶって、自分の頭の上に、白い蓮華の花をイメージし、その上に先ほど言ったそのヴァジュラサットヴァの姿を観想します。
はい、じゃあちょっと短く懺悔の瞑想をしてみましょう。
はい。何らかの過去のことを思い出して懺悔をしてください。
ポイントはさっき言った四つ。まず告白。そして、二度としないという決意。そして、それをね、浄化するためにこれこれをやります、こういうことをがんばります、という決意。で、四番目が、これで浄化されたという確信ね。この四つを入れて、まあ少し懺悔をね、繰り返してください。はい。じゃあしばらく懺悔しましょう。
【懺悔の瞑想】
はい。じゃあ続いてわたしが詞章を言いますので、また心の中でなぞるようにしてね、唱えてください。
「わたしは無智蒙昧のために、サマヤから矛盾して堕落してしまいました。
グルである救世主よ、わたしをお守りください。
ヴァジュラダラであって、大いなる哀れみの本質を備えた衆生の主よ、わたしをお守りください。」
はい。するとその頭の上のヴァジュラサットヴァが、わたしが今から言いますので、それをそのように答えたというふうにイメージをしてください。
「善男子よ、汝の罪と障害とサマヤからの堕落と破戒のすべては清浄になった。」
はい、このようにヴァジュラサットヴァが言ったっていうふうにイメージし、そのヴァジュラサットヴァがまたサーッと自分の中に溶け込んでくるイメージをします。 このときは蓮華も一緒でいいです。蓮華の花とヴァジュラサットヴァがすべて、頭からバーッて溶け込んできます。
これによって自分が、さっきまで頭の上にいたヴァジュラサットヴァと完全に合一したというふうにイメージをします。
はい。じゃあ自分がヴァジュラサットヴァそのものになったというイメージでしばらくまた瞑想をしましょう。
【自分がヴァジュラサットヴァになったと観想する瞑想】
はい。じゃあ最後に回向を行ないます。心の中で、今のこの瞑想の功徳が、すべての衆生の幸福や悟りにつながりますように、と強く心で念じてください。
【回向】
はい。じゃあ、瞑想を終わりましょう。
まあちょっと今ね、やって分かるように、結構複雑なので、まあこれはやりたい人はやってもいいし、もうちょっと簡略な形でね、やってもいいし、まあ、あるいはいつもやってるような、もっと非常に簡潔なやり方でも全くかまいません。ただまあこれは一つのやり方だということですね。
はい。じゃあ次いきましょう。次が、今度はグルヨーガですね。
-
前の記事
「ヴァジュラサットヴァの瞑想」 -
次の記事
「グルヨーガ」