「七つの礼拝から始まる、経験と理解の歌」
『輝き笑うヴァジュラの歌』について
数あるヨーガや仏教の聖典の中で、私が個人的に最も好きで、かつ実用的なものをあげるとすれば、私は次の三つをあげるでしょう。
◎バガヴァッド・ギーター
◎ミラ・グルブム(十万歌)
◎ボーディチャリヤーヴァターラ(入菩提行論)
しかしこのいずれも、さまざまな理由で、現代では、一般的にはとっつきにくいと感じる方も多いようです。
そこでボーディチャリヤーヴァターラは、私が訳をまとめなおし、解説もつけて、『菩薩の生き方』という本としてまとめました。
バガヴァッド・ギーターは、これは純粋な翻訳ではありませんが、私の独断で『至高者の歌』としてまとめなおしています。
そこでこれから、ミラレーパの伝記や十万歌に乗っている歌も、私なりにまとめなおしていってみたいと思います。
これらは私の判断で、いろいろ削ったり付け足したりするので、純粋な意味での翻訳ではありません。
あくまでも、ミラレーパの歌を土台として、私が学んできたものや経験してきたものを表現したものだとお考えください。
『輝き笑うヴァジュラの歌』
第一章(1)
「七つの礼拝から始まる、経験と理解の歌」
不浄な修行者の目には、
あなたはもろもろの化身の姿を現わされるも、
済度された者たちの目には、
あなたは完成された報身と見えます、
尊師よ、あなたに礼拝いたします。
天空のブラフマーの60の音声を響かせながら、
聖なる真理を人それぞれに向いた言葉で
八万四千の相で語らる
空から分かちがたく聞こえるあなたのお言葉に礼拝いたします。
法身の御心の天の輝きには
物や思考のかげりなく、
あらゆる智慧の対象を守られる
不変の法身の心に敬意を表します。
純粋な空の聖なる宮殿において、
不変無我にて変化の身の
三つの時の覚者方を生む母、
おお、偉大なる母ダクメーマ、あなたの御足に礼拝いたします。
尊師よ、わたしは偽りのない尊敬を持って
あなたの心の息子たちに、
あなたのお言葉に従う弟子たちに、
あなたのすべての信者たちに、
礼拝いたします。
わたしの身体と、
その他この宇宙のすべての領域で
捧げるに値するものは、どんなものでも布施します。
すべての罪をひとつひとつ懺悔します。
人により得られたすべての徳に私は随喜し、
遠く、広く法輪を回して下さるよう、懇願します。
「生まれ変わり」の世界の罠にかかった衆生が存在する限り、
おお、この上なく完全なるグルが生きていて下さるよう祈願いたします。
この歌の功徳があまねくすべての衆生に回向されますよう。
ヴァジュラダラとひとつであるグル御夫妻、
あなたとあなたの子孫よ。
あなたの公明正大で功徳ある行為、
あなたの限りなき寛大さから生じる慈悲と祝福によって可能となった、
このわずかばかりの智慧を、深い感謝を持って、表現したいと思います。
どうか尊師の不変のお心を持って、わたしの話をお聞きください。
わたしはこの身体と心が、無明から始まる十二縁起によって生じると知りました。
この身体は、解放を切望している幸運な者たちにとっては祝福された器です。
しかし罪深い不幸な者たちにとって、この身体は悪趣へと導くものとなるでしょう。
この生は、善と悪の境界線で、
幸福へ向かう道をとるか、不幸に向かう道をとるかの
重要な選択があるということを理解しました。
そして衆生の尊い導き手であるあなたにすがりながら、
私は、大変に逃れがたい、すべての苦痛と悲しみの源である、
存在の束縛の大海を渡って行きたいと思います。
しかしそのためには、何よりもまず貴重なる三宝に帰依し、
そして慎重に戒を守って、実行しなければなりません。
ここにおいてもまた、グルが、
私に生じるすべての善と幸福の源であり現われであると知りました。
それゆえに、第一の原則は、グルの指示と命令に従い、
グルとの間のけがれのない絆をしっかりと保ち続けることであると知りました。
幸運な人間の生は得ることが難しいものです。
無常と死について、またカルマの法則や、輪廻する存在の悲哀について深く瞑想するならば、
必ずや、解放への切望が強まります。
そしてこれを得るためには、戒律に忠実でなければなりません。
これが、確立しなければならない土台です。
しかるのち、この点から序々に道を昇って行きながら、
自らの誓願を、自分の目を守るように注意深く守り、
失敗したら矯正措置を採らなければなりません。
自分の平和と幸福だけを目指すものは、
小乗の道に落ちると知りました。
しかしまさにその最初から
他の者たちの解放のために
自らの慈愛と哀れみの功徳をささげる者は、
大乗の道に属していると知りました。
マハーヤーナの道に帰依するために、ヒーナヤーナの道を捨てます。
そして完全に見るという土台に基づいて、最勝のヴァジュラヤーナの道に入ります。
また、完全に見ることを達成するためには、
ごくわずかな誤解や疑いもなく
四つの灌頂のすべての部門に精通し、
完全に成就したグルを得ることが絶対に必要です。
イニシエーションによって究極的な真実に目覚め、
その後、様々な道の段階を通して、瞑想を行なうことになります。
すべての顕教的な伝統に共通している、
自我が存在しないという真実を発見するには、
道徳的で知的な論究や内的探求を通して、
我を吟味して、我を見いださず、
無我ということを理解し、
心を静かな状態にもっていかなければなりません。
種々の方法によって心がこの状態に置かれるようになると、
識別する思考が止み、心は非観念的な完全な寂静の状態へと入っていきます。
そうなると、日々や年月の経過はもはや知覚されることなく過ぎ去っていくでしょう。
そのため他の人に思い出させてもらわなければなりませんが、
このようにして心の寂静を達成します。
この状態は『平静なる休息』と呼ばれるものです。
客体に対する無意識や完全な忘却の状態に己をゆだねてしまうのではなく、
連続した注意と意識性を持ち、静止した意識の明晰な恍惚的状態を得るのです。
純粋な意識は完全な洞察のひらめきと考えることもできます。
自我が存在する限り、これを実際に経験することはありません。
それはブッダフッドへの道において、最初の超人的状態を得たときにのみ体験されると私は確信します。
この段階で瞑想し、イダムの姿を観想します。
そうしているうちにヴィジョンや形を経験するかもしれませんが、
こういったものには本質的な意義や価値はなく、瞑想の産物にすぎません。
要するに、精進によって得られる精神的静寂のはつらつとした状態や、
見極める智性、
そして維持するエネルギーが必要条件です。
それらは、それがなければ上に登ることのできない、はしごの最下段のようなものです。
しかし有形無形の対象への集中によってこの精神的静寂の状態に達する過程において、
哀れみと慈愛を深く喚起することから始めなければなりません。
何をなすにしても、それは他者を利するための慈愛に満ちた態度から出たものでなければなりません。
次に、完全に見ることによって、すべての識別が非観念的な状態に溶解します。
最後に、空の意識性と共に、すべての修行の結果を他者の利益のために真心をこめて捧げます。
わたしは、これがすべての道の中で最もよいものであると理解いたします。
飢えた人が食物の知識によって腹を満たすことができないように、
空について学ぼうとする者は、瞑想によって経験する必要があります。
さらに、超意識の状態の智慧を得るためには、
瞑想の合間にも休むことなく、
徳を積み、懺悔を行なう必要があります。
要するに、わたしは、
空、平等、事象は定義できないこと、そして無想の観想に親しむことが、
ヴァジラヤーナのイニシエーションの四つの相に対応していることを理解しました。
この理解を私自身の中に顕現させるために、
肉体的安らぎやすべての贅沢を放棄し、
身体を征服し、心を統御し、
生命そのものを喜んでなげうって、あらゆる状況における平静を達成しました。
わたしは、この上ない善の父と母であるグルと奥様に報いるに、何の財産も持ち合わせておりません。
しかしわたしは生きている限り、わたしの瞑想修行で達成し得る最高のものを布施させて頂きます。
そしてわたしが原初仏の宮殿で得るであろう、究極的な理解を受けて下さるようお願いします。
ヴァジュラダラであられる偉大なるグル、
すべてのブッダたちの母であるダクメーマ、
如来の息子であるあなた方の耳元に、
心の中の理解と真実の認識から生まれた
この二、三の言葉を、供物としてささげます。
わたしの欠点、無智、間違った理解、あやまちがあればお許しになり、
どうかそれをダルマにのっとってお直しください。
主よ、あなたの慈悲の太陽から
まばゆい光の波が輝きわたる。
その祝福を受けて、わたしの心の蓮華が開きました。
感謝の心を表す何もありませんが
たゆまぬ瞑想をもってあなたに供養いたします。
わたしの瞑想の成果が
完全という限界をめざして努力する
すべての衆生の幸福の役に立ちますように。
あなたにあえて懇願する弟子の声に
耳を傾けて下さるようお願いします。