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「ミラレーパの生涯」第三回(13)

 「不生、不滅、無住を瞑想したので、個別の目標のあれやこれやの一切の定義を忘れてしまいました。」

 これもとても難しいっていうか、高度な境地だけども――つまりわれわれの心の本性というか、この宇宙のリアリティっていうものは、不生、不滅、無住であると。つまり一切は生じることなく、滅することなく、住することもないと。ね。
 つまりこれはまあヒンドゥー教にしろ仏教にしろ、基本は――いいですか?――基本は、この世は無常であると説く。この無常ってどういうことかというと、アーウーンーのマントラでも示されるように、すべては創造され、維持され、破壊されると。
 しかしこれは実は中途半端な、つまりこの世レベルの真理であって、ほんとのほんとの究極の真理を言うと、何も生まれず、何も維持されず、何も滅さないと。ね。これが究極の真理なんだね。この究極の真理に完全に没入してると、「個別の目標のあれやこれやの一切の定義を忘れてしまいました」ってミラレーパは表現してるわけですが。まあ言ってみれば、この世の概念的な世界から完全にもう外れてしまうっていうかな。
 ただ実際はですよ、実際はこのミラレーパにしろ、あるいは例えばラーマクリシュナとかもそうですけども、実際はもちろん二重の意識を持って生きてるんだね。二重の意識っていうのは、そのような究極の世界に半分の意識は没入していて、でも半分はもちろんこっちに置いてるわけだね。そうしないとこういうふうに教えを説くこともできないから(笑)。ね、半分はこちらに置いといて、衆生のために教えを説くと。でも半分はもう完全に突っ込んでるわけですね。はい。

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