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「コーサラ国王の前生」

ジャータカ・マーラー 第三話

「コーサラ国王の前生」

 世尊がかつて菩薩であったとき、コーサラ国の王として生まれました。彼は大きな徳に満ちあふれ、また他人を悩ますような邪悪な心はありませんでした。

 彼はあるとき、直前の前生を思い出しました。そしてその記憶から、現世を厭い離れる思いが生じました。彼は出家修行者・ブラーフマナ・貧者・乞食等のために、多くの布施をなしまし、戒律を常に守りました。

 そして王は、集会の中でも、王宮の中でも、世間の人々を幸福に導こうと欲し、歓喜の心をもって、次のような詩をいつも唱えていました。

「仏陀への供養はごくわずかでも、その果報は大きい、と以前聞いたことがあるだけであったが、今や、塩気のない、干からびた、粗末な食物の供養の、果報の偉大なることを見よ。
 燦然たる車と馬、堂々たる青黒い象、この私の全軍とすべての大地、多くの財物、繁栄、立派な妻。
 粗末な食物の供養の、輝かしい果報を見よ。」

 この詩を聞いて、大臣たち、ブラーフマナの長老たち、町の首長たちは、好奇心をかきたてられました。しかし誰もあえてそれ以上詳しい話を質問することはできませんでしたが、ある日王妃は機会をとらえて、集会において王に尋ねました。

「王様、あなたのおっしゃったことで、私の心は好奇心でいっぱいになりました。
 もし集会に集まった人々がそれについて詳しく聞くに値するなら、語ってください。」

 王は、慈愛深いまなざしで王妃をじっと見ると、微笑みながら言いました。
「私は眠りから覚めた人の如く、過去世を想起する。前生において、私はまさしくこの都に住んでいた。私は戒律を守り、貧しい生活をしていた。私は家族を守る想いから、貧窮の恐れから、倦怠と苦痛と苦悩が伴う仕事をしていた。
 そのとき私は、四人の出家修行者が、施しを乞うのを見た。彼らは感官を制御し、正しい教えを学び、清らかな行ないをなしていた。
 私は彼らに対する敬信をもって礼拝し、少しばかりの粥を差し上げた。
 今、王の中の王としての地位を得ているのも、このときのわずかな供養の芽が出たようなものなのである。
 王妃よ。このことを思い、私はあのように唱えたのです。
 功徳によって、そして聖者たちにまみえることによって、私は満足を得る。」

 そのとき王妃は、歓喜と驚きに目を見開いて、王を仰ぎ見ながら言いました。
「もろもろの功徳に、このような優れた果報が伴うのは、相応しいことです。そして功徳の果報を目の当たりに見た大王は、もろもろの功徳を積むことについて大事に心がけておられます。そこでまさにこのように人民を正しく守ることを喜び、多くの功徳を積むことに専念しておられます。
 布施によって増大した名声の栄光に輝けるお方よ。この大地を末永く、法の政治によって守ってください。」

 王は言いました。
「王妃よ。どうしてそうしないことがあろうか。
 この私は、まさにその至福への道を選ぶことを切望する。
 世間の人々は、まことに布施の果報を学べば、布施することを望むであろう。
 私はわが身に体験してそれを知っているのだから、どうして布施しないことがあろうか。」

 そのとき王は、王妃が女神の如く美しく輝いているのを見て、次のように言いました。
「もろもろの婦人たちの中でも、あなたはひときわ輝いて見える。美しき人よ。あなたは一体どうしてそのような果報を得ることができたのか。」

 王妃は言いました。
「王さま。私も若干、過去世の事を覚えていることがあります。
 子供のころに経験したことのように、それを私は思い出します。
 召使であった私は、煩悩を滅した聖者に、礼儀正しい作法によって、食物を布施しました。
 そのとき、眠っていたかのごとき私は、この世でまさしく目覚めの状態を獲得しました。
 王さま。私はこの善根を思い出します。このときの布施によって、私はあなたを主人とすることを得、王妃になりました。
 煩悩を滅した人たちに対してなされた供養は、ごくわずかでもその果報は大きいと、ブッダがおっしゃり、またあなたがおっしゃったのはまさに事実でした。」

 この王と王妃の話を聞いて、そこに集まった人々は、もろもろの功徳を積むことについての信を得、驚きに心奪われました。それを知った王は、人々にこのように言いました。

「たとえ少しの善行でも素晴らしい果報があるということをこのように見たら、布施・持戒の手段によって功徳の行に専心しないものが誰かあろうか。
 その人がたとえ十分に財を持っていても、暗黒に覆われたケチな心を持ち、布施をしないならば、その人は見るに堪えられない人である。
 もろもろの功徳の味を知る人は、誰が物惜しみやむさぼりの道に陥るであろうか。喜悦や名声等のもろもろの喜びは、布施に基づくものである。
 布施はすなわち、大いなる財宝である。盗賊等に奪われることのない財宝である。
 布施は、物惜しみ、むさぼり、愛著等の、心の悪い垢を浄化する。
 布施は、輪廻の旅路の疲れを取り去る安楽の乗り物である。
 布施は、無数の安楽の道に心を傾けさせる、永遠の親友である。
 富の蓄積であれ、輝く権威であれ、天界に生まれることであれ、容姿の美しさであれ、何でも人が望むすべてのものは、布施により得られる。
 このように知ったなら、誰が布施をしないであろうか。
 賢者は布施を、財宝の本質を得ることであるという。
 賢者は布施を、富貴の因という。
 布施は吉祥なる、善人としての偉業である。」

 そこで人々は、王の言葉を大いに敬い喜んで、布施等の功徳を積むことを心がけるようになりました。

 このように、浄信により、すぐれた人にたいしてなされた布施は、果報が大きいのです。
 浄信によって、無上の幸福の田畑である聖者たちに布施をするならば、最高の歓喜が生ずるでしょう。遠からずしてその人には、すぐれた幸福が訪れるでしょう。

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