「クリシュナ・バララーマの捨身」
(56)クリシュナ・バララーマの捨身
クルクシェートラの大戦争が終わった後、クリシュナは、36年間に渡って、ドワーラカーの都で国を統治しました。
ヴリシュニ族、ボージャ族をはじめとして、クリシュナの種族であるヤドゥ支族の人々は、豊かな物資に恵まれて、怠惰気ままな生活を送っていました。彼らはおごり高ぶり、修養とか謙遜などの気持ちをすっかり失ってしまっていました。
あるとき、数人の聖仙が、ドワーラカーを訪れました。しかし傲慢無礼なヤドゥ族の人々は、聖仙たちを尊敬してもてなすどころか、身振りや口ぶりを真似たり悪ふざけをしたりして、からかいあざけったのでした。
また彼らは、サムバという名の青年に女装をさせて聖仙たちの前に登場させると、言いました。
「さあさあ、お利口なお客様方。この貴婦人は男の子を生むか、女の子を生むか、当ててみてください。」
このあまりの無礼なもてなしに対して、聖仙たちはこう言いました。
「この人は男の子でもなく女の子でもなく、鉾を産むだろう。そしてその鉾はこの民族にとって死神となり、やがてヤドゥ族は全滅するだろう。」
こう言うと、聖仙たちは立ち去っていきました。
愚かなヤドゥ族の人たちは、悪気があったわけではなく冗談のつもりだったのですが、このような不吉な結果になってしまい、狼狽しました。しかも翌日、サムバが陣痛に苦しんだ挙句、聖仙たちの言葉通り、本当に鉾を産み落としたので、びっくり仰天しました。聖仙たちの言葉通り、一族滅亡も実現してしまうのかと、彼らは恐怖におののきました。
長いこと考えた末、彼らはその鉾をすり砕いて微細な粉にし、海にばら撒いて捨てました。彼らは、これで危険を免れたと思い、安心しました。
しばらくの間は何も起こらず、やがて季節は雨季になりました。すると、鉾の粉を捨てたあたりの海岸に、イグサがびっしりと生えてきました。ヤドゥ族の人々は、それを見て面白がりました。もうそのころは、恐ろしい鉾と聖仙の予言のことなど、すっかり忘れてしまっていたのでした。
それからさらにしばらくたったある日、ヤドゥ族の人々はその海岸で宴会を開き、一日中、飲めや歌えやの大騒ぎをしてすごしました。始めのうちは楽しかったのですが、やがて酔いが回るうち、昔の過失をほじくり返して口げんかをするようになってきました。
クルクシェートラの大戦争において、ヤドゥ族の兵士の多くはクル軍について戦いましたが、サーティヤキはクリシュナと共にパーンドゥ軍につきました。そのサーティヤキと、クル軍についたクリタヴァルマンの間で、言い争いが始まりました。サーティヤキは言います。
「クシャトリヤともあろうものが、眠っている兵士たちを襲って殺すとは。なあクリタヴァルマン。そんなやつらの味方になったおぬしらは、わが民族の面汚しだぞ。」
クリタヴァルマンも、言い返します。
「右腕を切り落とされて、ヨーガの座を組んでいる偉大なブーリシュラヴァスを、貴様はまるで屠殺人のように切り殺したではないか。卑怯者め。よくも自分のことを棚にあげて、この俺様を非難したな。」
他の酔っ払いたちは、やがてどちらかの側について、激しくののしりあい、大混乱に発展してしました。そしてついにはサーティヤキが剣を抜いて、クリタヴァルマンの首をはね落としてしまいました。
「これが卑怯者の成れの果てだ!」
するとたちまち大勢がサーティヤキに襲い掛かりました。クリシュナの息子のプラデュムナはサーティヤキを助ける側に回りましたが、混乱の大乱闘の中で、サーティヤキもプラデュムナも殺されてしまいました。
この出来事を知ったクリシュナは、いよいよ定められたときが到来したことを知りました。そして海岸に繁茂しているイグサを引き抜いて、あたりにばら撒きました。すると、ヤドゥ族の人々は残らず同じようにののしりあい、殺し合い、無差別大殺戮へと発展してしまいました。こうしてヤドゥ族は全滅してしまったのでした。
クリシュナの兄のバララーマは、この有様を見て、恥ずかしさと嫌悪感でいっぱいになり、大地にひれ伏しました。そして横たわった姿でヨーガのサマーディに入り、そのままこの世から去っていきました。額から発した白銀の光の流れに魂を乗せて、至福の大海へと帰っていったのです。こうして、バララーマとして現われた至高者の化身は、その使命を終えたのでした。
クリシュナは、彼の一族が、予定されていた通りに相互に殺し合い、滅亡するのを見ていました。そして兄バララーマもこの世を去ったのを見届けると、彼は深く瞑想しながら荒野を歩き回り、化身(アヴァターラ)としての仕事が完了したことを思いました。
「去るべきときが来た。」
このように自分に言うと、彼は大地に横たわり、そのままぐっすりと眠りました。
そのとき、一人の狩人がそこへ近づいてきました。草木が生い茂る中で眠っているクリシュナを見て、狩人は獣と見間違い、矢を放ちました。矢はクリシュナの足を貫いて、体の深くまで突き刺さりました。こうして偉大なる至高者クリシュナは、深遠微妙なる使命を終えて、人間の世界を去っていったのでした。