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◎謹んで

◎謹んで

【本文】
 要するに、直接的にも、間接的にもあらゆる手助けと幸福を、我が母なるすべての人々に例外なく与えることと、我が母なる人々のあらゆる危害と苦しみを謹んで私が引き受けることを学べますように。

 この一文っていうのは、まさにトンレン、慈悲の瞑想の教えだね。その基本的なことを言ってますね。

 「あらゆる手助けと幸福を、我が母なるすべての人々に例外なく与える」。 

 つまり、一切の衆生に対して、わたしが持っている幸福や、わたしができることはすべて与えたいと。直接的にも間接的にも。そして、あらゆる苦しみは自分が引き受けると。

 で、わたしがここで好きなのはさ、「謹んで」っていうのがいいよね(笑)。つまり、「おれは救済者だ! さあ、みんなの苦しみ来い!」――じゃなくて、「どうかいただけませんか?」と(笑)。「謹んでお受けいたします」と、こう三つ指着くような感じで。「謹んであなたの苦しみいただかせていただきます」と(笑)。

 あなた、過去に悪いことをやりましたねと。その悪いカルマが、あなたに返ろうとしてますねと。それ本来だったら、あなたが受けなきゃいけないんだけど、どうかいただけませんかと――こういう感じだね(笑)。

 で、わたしが作った善いカルマ、わたしは過去に善いこといっぱいやったから、善いことが自分に返ってくるはずなんだけど、これ、受け取ってもらえませんでしょうかと(笑)。こういう謙虚な感じだね。

 謙虚な感じで、あらゆる幸福はみんなに行きなさいと。あらゆる苦しみはわたしが引き受けたいと。このような思いを常に持つんです。

 これをもうちょっと体系化したのが、何度もいうけども、トンレンという瞑想なんです。つまり自分の呼吸に合わせてそれをやるんだね。

 これはね、わたしも昔よくやったけども、日ごろからみなさんやるといいかもしれない。日常、道を歩いているときとかやるんです。道を歩いてるときとか、具体的にやるんです。具体的にっていうのは、例えば現代だと道を歩いてると、電車とか乗ってると、苦しそうな人が多い。いろんな意味でね。例えば実際に体が悪くて苦しい人。あるいは体は悪くないんだけど、なんかこう苦しそうにしてる人。あるいはサラリーマンとかでもいかにも疲れきってる人とか、いろいろいるよね。あと喧嘩してる人とか、あとお母さんに厳しくされてる子供とか、いろいろいるよね。

 わたし前、西横浜っていうところに住んでるときに、そこ一階でね、道路のすぐそばだから、道路を通る人の声とかすごく聞こえるんだけど、ちょっとヤンキーみたいなお母さんに連れられてる子供がいて、「てめーふざけんじゃねえよ!」とか、「おせーんだよ、おめーは!」とか言われてる子供がいて(笑)――ああ、なんて哀れなんだろうと思ったときがあったんだけど(笑)。そういうのを見るたびに、全部引き受けようと思うんです。

 例えば今の話だったら、そういう親にひどいことを言われなきゃいけないようなカルマがこの子はあるんだなと。全部来てくださいと。わたしが言われたいと。わたしが言われるカルマをもらおうと――っていう気持ちで、呼吸と共にやるんです。つまり息を吸うときに、「みんな、そういうふうに言われるカルマよ来い」と。あるいは身体障害者の人とかいたら、その手がないとか足がないとか目が見えないとか、全部来いと。そして自分の中の、例えば幸せな優しい人々の中で安らげるカルマ、あなたに行きなさいと。あるいは自分の五体満足な健康なカルマは行きなさいと。これをケースバイケースっていうか、いろんな人を見るたびにやるんだね。

◎矢でも鉄砲でも

 で、これは実は、やってると最初きついです。つまり、本当にそうなったらどうしようって思っちゃうんです。例えば目の見えない人がいて――わたしね、前にこういうのを常にやってたころ、やっぱりね、そういうのをやると、なんかね、苦しい人によく出会うんだね。例えば精神的にもそうだけど、肉体的にいうと、例えば歩いてたら、顔が、なんかの病気だと思うんだけど、顔が三倍ぐらいに膨れている人がいて。お面かぶってるみたいに膨れてるんです。この人生活しづらいだろうなと思って、あと恥ずかしいだろうなとかね、いろいろ思う。で、それを全部引き受けましょうと。でも、本当になったらどうしようって思っちゃう。あるいは、目の見えない人がいる。あるいは、頭が半分ない人とかいて。なんか、人間って頭が半分なくても大丈夫らしいんだね。多分何かの事故かなんかで、脳が半分ないんです。だから物理的にないんだね、半分。普通はカバーとかするのかもしれないけど、カバーもしてなくて、頭半分ない人がいて。それも吸おうとする。あるいは実際に目が見えない人とかね、吸おうとする。そうすると、本当に目が見えなくなったらどうしようとか、あるいは本当に頭がなくなったらどうしようとか、思っちゃうんだね、やっぱりね、エゴがね。で、すごくやりづらくなるんです。

 やりづらいけど、思い切ってやってください。「エイッ!」って感じでやるんです。ラーマクリシュナが、修行者には矢でも鉄砲でも持ってこいっていうぐらいの気持ちが必要だって言ってるけど(笑)、本当にそんな感じ。つまり、心が成熟してたら安心して、「そうですね、引き受けましょう」ってできるけど、成熟してないときっていうのはなかなかできない。できなくても、エイッてやっちゃえばいいんです。エイッて感じで吸い取る。で、自分の幸せ――つまり安らかな体とか心がある幸せを、吐き出す。相手に与える。これをやってると、あるときから、心からできるようになります。心からできるようになったころには、自分の精神状態が非常に安定しています。

 だからこれはみなさんもやったらいいと思う。普段からね。

 別にもちろん、絶対的にそればっかりやれっていうわけじゃないけど、マントラを唱えたりいろいろやったらいいと思うけど、これも一つの実践としてとてもいいね。普段歩いてるときに、呼吸に合わせてそういうことを繰り返す。

 その基本的な教えね、ここで書かれている基本的な発想、これを最初に言ったのは、はっきり言ったのは、さっき言ったナーガールジュナの教えの中にも、こういう教えがあるんだね。つまり、自分が作った善いカルマはみんなのところに行ってくださいと。みんなが作った悪いカルマは、わたしのもとに結実してくださいと。わたしは本当は関係ないんだけど、関係ないんだけどこっちに返って来てくれと。そういうような祈りをナーガールジュナが言っている。その流れの教えだね。

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