yoga school kailas

◎教えを指針として努力する

 でもね、今言っていることっていうのは、あくまでも論理であって。みなさんはそれを一つの指針として生きるのはすばらしい。でもわれわれすでに、ここから遠いところにいるんです。今から百兆年前ぐらいだったら、大丈夫だったかもしれない(笑)。分かんないけど(笑)。われわれはもう、ものすごく生まれ変わりすぎて、で、純粋な行為からかなり離れているんです。いろんな不安、恐怖、期待でがんじがらめになって、何度も生まれ変わってきてるのが、今のわれわれなんです。だからこれを頭で理解できたとしても、すぐに百パーセントそれを実践するのは難しいが、指針とはできるね。指針とすることによって、逆にいうと、その間違った行為に対する考え方から、徐々に徐々に脱却していきます。
 だからこれも一つのカルマ・ヨーガの真髄だね。決して行為による結果に対して、期待や心配をしない。恐怖をしない。その結果に対しても、何の不満も持たない。常に楽しく満足していると。
 これはだから最初は無理やりでもいい。これは四無量心とかもそうだけど、教えっていうのは大体そうなんです。最初は無理やりでいいんです。こんな一生懸命やったのにこれかよっていうときがきた時に、うわーっと思いながら、「いや、楽し…い」と(笑)。「くっ、楽しい」と(笑)、ちょっとこう無理やり自分を朗らかにするっていうか。ぐっ……って思ったら、こういうのを読んで、「ああ、そうなんだ、やっぱりそうなんだ」と自分に言い聞かせて、行為の束縛から離れる。
 っていうのはね、われわれは逆の教えをずっと受けてるんです。小さい頃から、行為に縛られるような教育をずっとされてきた。教育っていうのは、学校の教育だけじゃなくて、テレビをつければ、あるいは友達との会話とかでもそうだけども、自分のやったことに執着するような人生っていうか、生き方をずーっとしてきたんだね。その辺を無頓着に変えていくには、やっぱり最初はかなり苦痛があるよね。でもそれは練習によって必ずできる。

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