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「ヴィヴェーカーナンダ」(21)

 ついにシカゴに到着したヴィヴェーカーナンダは、世界宗教会議について訪ねようと、会議が行なわれる万国博覧会の案内所に行きました。
 そこでヴィヴェーカーナンダは、大変なショックを受けました。宗教会議に参加するには、信用できる団体からの推薦状が必要であり、しかも参加の申し込みはすでに締め切ってしまったというのです。

 これはヴィヴェーカーナンダにとって、全く予期せぬことでした。というのも、インドにおいて、世界宗教会議に出席するよう勧めてくれた多くの友人や信者たちの誰もが、そんなことは言っていなかったからです。ヴィヴェーカーナンダも、他の者たちも、ただシカゴで世界宗教会議が行なわれるということだけしか知らず、詳しい申し込み方法も、会議の詳しい日時さえも、誰も知らなかったのです。
 インドの信者や友人たちは、ヴィヴェーカーナンダのすばらしい人格こそが十分な証明書となるのだから、細かな申し込みなどはいらない、とにかくシカゴに行けば出席できるだろうと、まじめに楽天的に信じていたのでした。

 インドという地で生きてきたヴィヴェーカーナンダと信者たちは、西洋社会のシステムについて、あまりにも世間知らずで無智だったのでした。

 ヴィヴェーカーナンダは困り果てました。しかも、信者から援助されたお金も少なくなってきていました。
 そこでヴィヴェーカーナンダは、以前親交があったインドの神智学協会に、援助を求めました。自分を宗教会議にインド代表として推薦してくれるとともに、金銭的援助も依頼したのです。しかし神智学協会の指導者からの返答は、援助をするには、ヴィヴェーカーナンダが神智学協会の信条に同意しなければならない、というものでした。ヴィヴェーカーナンダは神智学協会と友好関係にはありましたが、その教義はほとんど信じていなかったので、結局その条件を拒み、神智学協会の指導者も一切の援助を拒みました。

 窮地に追い込まれたヴィヴェーカーナンダでしたが、彼は運命をただ神に任せました。

 どちらにせよ、宗教会議が行なわれるまではまだ二ヶ月ほどあったので、とりあえずヴィヴェーカーナンダは、残り少ないお金を節約するため、生活費の安いボストンに移動することにしました。
 このボストン行きの汽車の中で、ヴィヴェーカーナンダは、ある裕福な貴婦人と知り合いました。彼女は、ヴィヴェーカーナンダの高貴な人格と、叡智に富んだ会話に感動して、ぜひ自分の家に泊まってくれるように勧め、そして彼をハーバード大学のギリシャ語の教授だったJ.H.ライト氏に紹介しました。
 ヴィヴェーカーナンダは、この学識高い教授と、さまざまな問題について何時間も語りあいました。ライト教授はヴィヴェーカーナンダのまれに見る才能に深く感動し、ヒンドゥー教の代表として世界宗教会議に出るべきだと、強く勧めました。
 ヴィヴェーカーナンダは自分の事情を説明し、そうしたいのだが信任状がないのだ、と打ち明けました。するとライト教授はこう言いました。
「スワーミー。あなたに信任状を要求するのは、太陽に対して、お前は輝く権利があるのかと尋ねるようなものですよ!」

 ライト教授はヴィヴェーカーナンダのことを、宗教会議に関係している多くの重要人物に手紙で推薦しました。そこには、このように書かれていました。
「ここに、学識あるわが国のプロフェッサーたち全部を一つに集めたよりも、もっと学識のある人がいます。」

 こうしてヴィヴェーカーナンダが宗教会議に参加できるよう手はずを整えたライト教授は、さらに彼にシカゴ行きの切符を買い与えてくれました。

 ヴィヴェーカーナンダは早速再びシカゴへと向かいました。
 汽車はシカゴに夜遅くに到着しました。しかしなんとヴィヴェーカーナンダは、宗教会議の委員会の住所を書いた紙をなくしてしまったのでした。彼はどこに助けを求めていいかわかりませんでした。しかも彼が迷った場所は、ドイツ人ばかりが住んでいる町の一角で、ヴィヴェーカーナンダの英語は全く通じないのでした。
 仕方なくヴィヴェーカーナンダは、鉄道の貨物置場の中にあった大きな貨車の中で、何も食べずに一夜を過ごしました。
 翌朝ヴィヴェーカーナンダは、家々を訪ねて食物を乞いました。インドを旅していたときは、彼はこうして日々の食物を得ていたのです。しかし布施の観念が強く根付いているインドと違い、そのような習慣のないアメリカの人々は、食事を分けてくれと突然たずねてきたヴィヴェーカーナンダをただの乞食としか見ず、多くの家々を回っても、誰も食物を分けてくれませんでした。
 空腹と疲労で疲れきったヴィヴェーカーナンダは、ついに道端に座り込んでしまいました。そして、すべてをただ至高者の意思に任せようと決心しました。

 すると、ヴィヴェーカーナンダが座り込んでいた道路の向かい側の家の扉が開き、一人の貴婦人が近づいてきて、
「失礼ですが、あなたは宗教会議の代表の方でいらっしゃいますか?」
と尋ねました。
 この女性は、シカゴ婦人会のジョージ・W・ヘール婦人でした。
 ヴィヴェーカーナンダが彼女にすべての事情を話すと、婦人はヴィヴェーカーナンダを家に招いて朝食に誘い、その後に宗教会議の事務所に案内してくれました。こうして無事にヴィヴェーカーナンダは正式な手続きを済ませ、世界宗教会議の参加者として認められ、他のアジアの代表者たちとともに宿舎を与えられたのでした。

 無謀にも、何の手続きもせず、日時さえも知らぬまま、ただ神と師ラーマクリシュナの意思だけを信じて、一人颯爽とシカゴに乗り込んで来たヴィヴェーカーナンダ。
 それはあまりに無計画な行動にも見えましたが、結局神の導きにより、ヴィヴェーカーナンダが世界宗教会議にインド代表として出席する手はずは整えられたのでした。

  
つづく

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