yoga school kailas

◎教えがないが故の不幸

 はい、他に何かあるかな?

(Y)今の人間の世界って、地獄とかに行っちゃうような悪業をたくさん積んでいる人が多いと思うんですけど、人間界に生まれてくるほどの善いカルマがあったはずなのに、どうしてそういう悪業を積んでしまうんでしょうか。

 いや、それだけね、人間の性質っていうのは変わりやすいんだね。
 だからいつもいうように、お釈迦様は、「善友と交われ、悪友と交わるな」と。
 まあつまりねえ、我々は修行の道に入って、だんだん悟りを深めていく前っていうのは、もともと無明の状態なんだね。この無明っていうのはどういうことかというと、何が正しくて何が正しくないか全く分からない状態。
 だから、本当は善とか徳っていうのは我々を幸福にするんだが、あるいは悪っていうのは我々を不幸にするんだが、それを分かっていないんだね。分かっていなくて、でも、たまたま善を積むことがある。それによって、善の行ないがちょっと強まったりする。でも、分かってないから。分かってたら、『あ、俺は善が強まってきた、よし、これをもっと強めるぞ』と。『よし、悪がちょっとあるから、これを滅しよう』と思うんだけど、それは教えを受けて修行をしている人の場合で、分かんなくて何となく善と悪がある場合は、カルマの風に流されるってよくいわれるんだけど、カルマの風によって、あるときは善をなしてあるときは悪をなしたりする。で、この世っていうのは無常で、しかも下向きの流れの方が強いから、悪の方がなしやすいんだね。
 だってこの世で例えば、教えがなくて、普通にうまく生きようと思ったら、やっぱり悪の方がなしやすい。あるいはこの世の仕組み自体が、もう何ていうか、そうだな、特に現代なんかは、下に下がるような感じだね。
 あるいは、よく三悪趣、地獄・動物・餓鬼に生まれたら、なかなか這い上がれませんよっていうんだけど、それなぜかっていうと、動物界なんて見たら一番分かると思うけども、動物に落ちたらもう弱肉強食なんです。もう殺生しなかったら生きられない。よってもう普通に殺生するのが動物界の常識なんです。で、それはもう動物界っていう一つの世界だけども、人間界においても、例えば日本に生まれたらお金を貪らないと生きていけない。ね(笑)。本当はお金なんて無い生活をしたいんだけど、一生懸命頭の中が金、金、金。あっ、ガス代。あっ、電気代と(笑)。ちょっと待ってくれと、え? 税金? と(笑)。そういう、お金で頭がいっぱいになってしまう。これはよほどの教えが入っていて、それに対抗するようなものがないとやっぱり流されちゃうんだね。あるいはテレビをパチッてつけたら、セレブはこんな生活をしていますとかって(笑)。ああいいなと、ね。あるいは憎しみの表現とか、あるいは性欲の表現とか、いっぱい見せられて、で、落ちていくと。
 全体的にこう、下の流れ、それから上の流れがあるわけだけど、入菩提行論でもあったけども、暗闇の中に、稲妻が一瞬物をパって照らすように、功徳というものが、あるいは仏陀の光というものが世を照らすと。でも逆にいうと、それぐらいなんです。ほとんど我々は暗闇で、たまにパッと目覚める時があるんです。あるいは、ちょっと善いことやってみようかなって思うことがある。で、その善いことをやったときの余韻で、なんとなく今も善いことやっている人がいるんだけど、分かってないから、本当にそれがどう良くてどう悪いかって分かってないから、結局善いことやっているつもりでも、いつの間にか悪に流れる場合がある。だから非常に難しいんだね。
 だからちょっと言い方を換えると、教えっていうものに出会えることが非常に素晴らしいんです。皆さんが悟っていなかったとしても、仏陀の教えはこうですよと、ヨーガの教えはこうですよと、このようにすると幸せになりますよと、このようにすると不幸になりますよと、このような宇宙の法則がありますよという教えと出会えるかどうかっていう、縁っていうのがすごく大事なんだね。
 だから、ここに徳の高い人がいて、しかし教えと縁がないと。もう一人は徳の低い人がいて、しかし教えと縁があると。絶対後者の方が逆転します。だって教えと縁があれば、いつかは実践し、徳が積まれていくだろうから。逆に一時的にたまたま徳が高くても、その仕組みが分かってなかったら、いつか徳を使い果たしてしまう。
 だって、よくねえ、仏典とかでは、王様は最悪だっていわれます。つまり徳があって王様になるわけだけど、王様になってしまったら、なぜ最悪かっていうと、――まあ今は王国ってあんまりないけども、昔の話ね。――王様になってしまったら、まず戦争をやんなきゃいけない。それから、罪人に刑を下さなきゃいけない。それは、社会の中では役割としてあるけども、カルマで言ったら最悪の悪業なんです。で、それは我々にはできないんです。我々は王様でないからそんな悪業積めないんだけど、王様であるがゆえに積めてしまう悪業なんです。そこら辺はだからこう矛盾っていうか、パラドックスがあるね。徳があって王様になったんだけども、王様だからこそそんな悪業を積んでしまうと。そこでもし教えが入っていたら……昔仏教に帰依したアショーカ王っていう王様がいたわけだけど、まあアショーカ王とか、あるいは、お釈迦様の時代に帰依したビンビサーラとか、いろんな王様がいたんだけど、そういう人みたいに、善によってね、教えによってその国を治めると。まあ現代でいったら例えばダライ・ラマ法王みたいにね。そうなれるけども、教えがなかったら、権力使い放題。例えばブッシュみたいに、ねえ、さあ、聖書の下に戦争に行くぞと、ね(笑)、いう世界になってしまう。そうすると、権力があるがゆえに……ブッシュだって徳があったから、ああなったんだ。けれども、徳の使い方を間違ってる(笑)、ね。だからこれは教えがないがゆえの不幸だ。
 じゃあ逆に、徳がなくて不幸な状態からなぜ這い上がれるのかっていうと、そのようなチャンスっていっぱいあるんだね、実は。例えばですね、一番オーソドックスな例を言うと、動物界で弱肉強食界で生きている魂がなぜ人間とかに上がれるんですかと。一番分かりやすいパターンは、例えばだけどね、そうだなあ、ペットと。ペットになりました。しかも飼い主が、超いじめました、ね。例えば飼い主にいじめられていた。しかし飼い主はそのペットによって安らいでいると。ああかわいいなあと。俺はお前がいるとストレスの解消になるよと。で、いじめていると、ね。で、ペットだから、餌を与えられているから、殺生はしない。殺生はせずに、飼い主に安らぎを与え、飼い主からいじめられると。これは悪いカルマが落ちて徳が積まれる、それしかないんです。よって、それによって人間にジャンプするかもしれない。そういうパターンもあるよね。
 やっぱりカルマって絶対だから、どれだけ人に幸福を与えたか、あるいはどれだけ不幸を与えたか。どれだけ善をなしたか、どれだけ悪をなしたかによって、未来が決まってしまう。普通はだから、それが、なんていうかな、カルマってもう、流れてるわけだね。こういうことをしましたと、返ってきましたと、返ってきたことに対してこういうことをしましたと。で、我々は、普通は無作為に、つまりあまり深く考えることなく、グワーッって流れているわけです、それが。それでいろんな人と縁ができてくる。それが普通のパターンね。だからその流れの中で、当然いい部分もあるし悪い部分もあるから、世の中を見ればいい人もいっぱいいるように見えるけど、同時にみんな低い世界に落ちる要因もいっぱい持っているということだね。
 それは皆さんがねえ、しっかり修行して、あるいは例えば将来ヨーガの先生とかになって人を指導して、ってなったら分かるよ。自分自身もそうだし、あるいは他人もそうだけど、修行をすると自分のカルマのひどさが分かります。あるいは、人のカルマのひどさも分かります。それは皆はねえ、つまり今の、特に日本ってそうだけど、今の状態っていうのはひどいカルマをオブラートで包んでいるんです(笑)。徳のオブラートで包んでいる。本当は、もっと奥にはひどいのがグジャグジャあるんだけど、なんとなくちょっと徳があって、それで包んでいるんだね。で、それで包んでいるうちは修行が進まない。そのひどいものに突っ込んでいって、それを浄化しなきゃいけない。
 だから、修行をしていると、最初は調子がいいんだけど、なんかいろんな汚れがバーッて出たりする。俺はこんなに汚れていたのか、と。よってこれをなんとか浄化しなきゃいけない。他人もそうだけどね。いろんな人を教えていると、最初はもう優秀な「おっ、君はなかなか素質があるな」と思ってたのが、1年もするともう乱れ出すと。いろんな煩悩がいっぱい出だす。元々あったんです、それはね。でも今の日本っていうのは特に、まあ人間界全体がそうなんだけど、ちょっとこう曖昧にされているから、なかなかそれは出てこないね。

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