yoga school kailas

◎心の馬を調御する


◎心の馬を調御する

【本文】
『強い執着心から生じる欲望を一切捨て去り、
 あらゆる方面の対象から受ける感覚を、自分の心によって完全に統御しなくてはならぬ。』

 はい。これはもともとヨーガっていうのが‘統御’――つまり、いろんなものをコントロールするとかそういう意味があるんだね。だから実際にヨーガ修行をやるってことはまず心の中にあるいろんな欲望をね、これを一切捨てていかなきゃいけない。
 そして『あらゆる方面の対象から受ける感覚』――つまりわれわれっていうのは生きているうちは当然この五感を使って外界と接して生きているので、いろんな刺激が入ってくる。で、これ自体は良くも悪くもないんです。つまり、例えばどんな聖者だってどんな凡人だってどんな悪人だって同じような刺激の中にいるわけだね。それによって心がどのように動かされるかだね。刺激っていうか、いろんな情報が入ってくるのはいいんだけども、それによって例えば怒るのか怒らないのか、あるいは逆に相手を愛するのか――心の働きっていうのはそれぞれの過去の経験によってまったく違う。で、それを悪しき方向に向けないように――つまり例えば過去世からずっと私は、馬鹿にされると怒るという訓練を――つまりこれは訓練なんだね。
 われわれの――よくヨーガでは心を馬に例えるんだけど、心よりさらに上に乗っているヨーガ行者としての意思っていうか心みたいのがあるんです。こいつが御者なんだね。で、自分の心は馬だから、その馬をコントロールしようとするんだけど、こいつは相当なバカ馬なんです(笑)。もう変な、今まで変なことばっか教えられて相当バカなことを覚えている馬なんです。だからこいつを調御し直すんです。つまりこの自分の心っていう馬は、今まで物凄い長い間生まれ変わりながら「ああ、馬鹿にされたときは怒るんだ」と、あるいは「こういう執着の対象があったらそれを奪うんだ」と――いろんなその間違った考えを覚えこませられてるんだね。で、もうそれは根付いちゃってるんです。
 根付いちゃってるっていうのは、頭でこうこう考えるっていう世界じゃなくて、もう根付いちゃってるんです。それ以外ないっていう状態になっちゃってるんだね。だからみなさんがヨーガとか仏教とか学んで、「ああ、そうか、そういう考えなんだな」ってわかっても、この心の馬が全然もう根付かされちゃってるから、前の感覚に。だからいうこと聞かないんだね。で、このいうこと聞かないやつをいうこと聞かせるようにするのがヨーガなんです。
 だからこれいつも言うように、まず教えがあって、それから呼吸法とか瞑想法とかの行法があって、で、それによっていうこと聞かせる力がちょっとついてくるんだね。それによって日々自分の心をチェックして――いつも言うように念正智ですね――チェックして、だから前提にはいつも言うように教えが必要だけどね。教えっていうのがあって、「さあ、教えに基づいて、私の心は全然教えとは違う方には行ってないかな」と。「さあ、私はもう決して怒らないと決めたけど、怒らないかな」と。「怒るんじゃないかな……ああ、やっぱり怒った」と(笑)。「駄目だ」と。ガーッてこう止めると(笑)。こういうコントロールだね。これを日々しなければなきゃいけない。だから念正智だね、これはね。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする