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◎一番大事なこと

20081012 心の訓練③

◎一番大事なこと

 はい、今日は「心の訓練に関する七つの要点」。

 はい。この細かい由来とかの説明を一回目に結構して、二回目は前行の話をして、で、今回からやっと本体に入るって感じだね。

 これは心の訓練――つまり結局仏教にしろヨーガにしろ、一番大事なのは、心をいかに訓練するかなんですね。いろんな修行の要素があるけども、結局、自分の心を訓練し変えていかなきゃいけない。これができなかったら、つまり形だけ修行っぽいことをやってても、全く自分の心が変わってないんだとしたら、それは全く意味がないというかな、修行にならない。

 で、その心を訓練するっていうことに焦点を当てて作り上げられた教えがいろいろあるわけですが、例えば『入菩提行論』なんかはまさにそういう感じがするね。

 で、これはもうちょっとそれをコンパクトにまとめた一つの作品ですね。

 はい、今日は「二-A 基礎的菩提心」っていうところからいきます。まずですね、この「二-A 基礎的菩提心」「二-B 至高の菩提心」ってあるけども、これちょっとわたしがわたしなりにちょっと訳をね、言葉をこうつけてるわけですが、一般的によく使われる言葉として「世俗の菩提心」それから「究極の菩提心」とかいうんだね。あるいは世俗の真理、究極の真理。あるいは世俗諦、勝義諦とかいうんだけど、この言葉はすごくよく使われるんだけど、あんまりいい言葉じゃないと思う。つまり世俗っていう言葉ね。これによってこの言葉を勘違いしてる人が結構いると思うんだね。

 つまり、大乗仏教とか密教でよくいわれるのが――真理には二つありますと。それは世俗諦と勝義諦ですと。世俗諦、あるいは世俗の真理と、究極の真理ですと。

 で、世俗の真理っていうのは、世間的な真理っていう意味ではない。よくわたしも聞いたことあるんだけど、勘違いしてる言葉をね。というのは例えば、「いやあ、例えば教えを守ったり戒を守ったりも大事だけども、例えば隣に挨拶にいくとかね、あるいはお盆にはちゃんと墓参りに行くとか、そういう世俗の真理も大事だよ」とか(笑)、言う人もいるんだけど、それは違う(笑)。それは世俗の真理っていわない。

 ここでいう世俗の真理っていうのは、この世における相対的真理っていうかな――相対的っていうのはつまり、逆に絶対的真理っていうのはもうカルマの法則さえ超えてるんです。つまり一切は空であって、一切は、実は輪廻さえ存在しない。これが絶対的な真理だね。で、世俗の真理っていうのは、本当は究極的にはわれわれは完全な仏陀なんだが、今われわれはそれを忘れて、この迷いの世界に入ってる。で、カルマの法則とか輪廻の法則とかに、もう縛られてるんだね。で、その中で、じゃあいかにしてこう幸せになっていくか、あるいは悪を避けるか――これを世俗の真理っていってるんです。

 つまり、普通にいうところの真理の教えは全部、世俗の真理なんです。じゃなくて、でも全部それは一切空なんだよと――これが究極の真理だね。

 だから、そうじゃない現世的なっていうかな、例えば隣に挨拶にいくとかそういうのは真理じゃなくて(笑)、ただの世間的常識に過ぎない。だからそこら辺は勘違いしないようにしてください。これからみなさんが、例えば本とか読んでて、よく世俗の真理とかいう言葉が出てくるかもしれない。で、その「世俗の」っていうのは、一般的にいう世俗っていう意味ではない。「『究極の』ではない」っていう意味だね。一応はこの世における真理の法則っていうことです。

 だから世俗っていう言葉はあんまりいい言葉ではない。直訳するとね、便宜的とかあるいは限定的とかいう意味なんだね。なぜ限定的かっていうと、つまり、われわれがこの迷いの世界にいるときだけの法則だから。カルマの法則っていうのは、迷いの世界にわれわれがはまってるから、カルマの法則に縛り付けられてる。例えば相手を殴ったら自分も殴られるよと。相手に悪口言ったら自分もいつか誰かから悪口言われますよ。これは真理なんです。真理なんだけど、われわれが解脱してしまったら関係がない。そういうカルマの法則からさえも目覚めてしまうっていうかな。

 でもそう言いつつ、われわれがこの世に縛り付けられながらね、ただ頭で空の教えとかを学んで、「一切は空だからカルマも関係ないんだ」とか言ってると、その人は地獄に堕ちます。つまり頭で「おれは空を知ってる」とかいってても、実際にはこの二元的な世界から解放されていないから、カルマの法則の支配下にあるんだね。だからこの世にいるうちは、つまりこの世に、カルマの世界に縛り付けられているうちは、この限定的な真理に則って生きなきゃいけない。

 みなさんがね、そうですね、完全に限定的真理から解放されるとき――つまり、君は本当に悟ってるから、もうこのカルマの法則無視していいよ――っていうときはどういうときかっていうと、もう苦楽から解放されているときです。つまり二元から解放されてる。つまり例えばね、「いやあ、おれは空を悟ったからもうカルマも関係ない」って言う人がいたとしたら、その人を殴ってやればいい(笑)。その人が怒り出したらもう駄目です(笑)。つまり別に痛くもない。つまり苦楽を完全に――苦楽って二元だから、そういった二元のものから完全解放されてる人がもしいたとしたら、この人はもうカルマからも自由です。もちろんそういう境地を目指すんだけど、われわれはなかなかそんな状態にはなれない。われわれはなかなかこの二元の世界から抜け出せない。だから修行してるわけだけど。だからこの二元の世界にいるうちは、二元の法則をしっかりと学ばなきゃいけないんだね。そしてそれを守らなきゃいけない。

 実際によくそういう人はいるわけです。つまり傲慢――傲慢っていうかな、つまりちょろっとそういう最高の教えをかじってね、つまり一切は空だとか、そういう教えをかじって、「いや、空だから別に何をやってもいいんだ」と。「戒律とか、そういうカルマとか関係ない」――って言って、いろんな煩悩を満たして言い訳にしてる修行者とか、たまーにいるんだね。そういう人たちともしみなさん出会ったとしても、そういう人たちに巻き込まれてはいけない。それははっきり言って無智っていうかな。つまり自分のことをよく知らない。自分はまだもちろんその限定的な世界にいるのに、まるで自分は限定的世界を超えてしまったかのように錯覚をしている。

 だからもう一回ちょっと話を戻すけども、まとめると、この世におけるいろんな法則性、ね、カルマの法則であるとか、あるいは心の仕組みであるとか、そういうのを学んで、それに則って正しく生きていく――これが限定的真理なんだね。で、そうじゃなくて、悟ってしまったら一切は空なんだよ、それはすべて幻なんだよ――これが絶対的真理なんだね。この区別をしっかり覚えとかなきゃいけない。

 だから、この二つの真理をわれわれは学ばなきゃいけないんだけど、あくまでもその絶対的真理の方っていうのは頭の片隅に置いといて、普段は当然、その限定的な基礎的な真理に従って生きなきゃいけないんだね。

 はい、そしてこの菩提心に関しても、この基礎的菩提心、それから至高の菩提心と二つあるわけですね。で、この至高の菩提心っていうのは、これはもう空の悟りそのものといってもいい。で、まだわれわれはそこまでいっていない。よって、まずは基礎的菩提心から始める。で、この基礎的菩提心っていうのが、われわれが普通に聞くところの菩提心とかあるいは慈悲とかいうやつです。つまりこれは基礎といっても、もちろんレベルは高い。

 はい、じゃあ、この基礎的菩提心のところを読んでみましょう。

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