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◎いかに純粋に行動するか

◎いかに純粋に行動するか

 「あれこれを比べて、悩みうらやむことなく」、これも分かるよね。私のもっているあれは、あの人のもっているのにくらべてこうだな、と。ちょっとあっちの方がいいかな、とか。ね。私の今の環境っていうのは、ちょっとあれに比べたらこうだと。もうちょっとグレードアップしたいなとか。それ自体が、われわれをこの現世のカルマの中に縛り付けるんだね。
 だからこれも実践的な教えだね。
 さっきから言ってるけども、一つの教訓として日々こういうのを考えたらいいね。つまり、自然に授けられたもので満足しなさいと。あれこれを悩んだり、人をうらやんだりってことはやめなさいと。成功にも失敗にも心を動かされるなと。このようにして、ただ純粋に行為をしたならば、その人はカルマから解放されると。
 ここで言っている行為っていうのは、もちろん行為をするなっていうことじゃないんだね。これは前からいってるけども、一切の行為から離れて黙ってなさいっていうんじゃなくて、全力で純粋に行為をしなさいと。
 でもわれわれは心のけがれとか卑屈さとかがあると――例えばたまに、最近はないけど、昔Mさんとかによくあったのが――Mさんの例えば言動とかに対して私が注意をすると。後でね。例えば勉強会とかみんなの前で、私から見てね、「いや、Mさん、あのときこういうことをいうべきじゃなかったよ」と。「こういう発言はちょっとそういう心の現われだから駄目だ」と、いうふうにMさんに注意したときに――これは昔の話だよ――Mさんは、「だったら私は何も言わなきゃいいんですね」と。「もう何も言いません」と。「私は言えば、間違ってしまうから何もいいません」と卑屈に陥るんだけど(笑)、それじゃ駄目なんだね。じゃなくて、そのカルマを浄化するには、いかに純粋に行動するかなんです。つまり、自分のなかにそういう悪しきことを言ってしまうカルマ、あるいは、悪しき行動をしてしまうカルマがあったら、それを封印して何もしないっていう状態にしてしまったら、それはただ内側で悪しきカルマが腐っていくだけっていうか。じゃなくて、いかにこの世において正しい行ないをなし、それによってカルマを浄化するかっていう一つの目的があるんだね。
 だからちょっと、また別の角度から言うと、こないだも言ったけども、われわれはすでに過去においてあらゆる悪しき生き方をしてきた。これを浄化するためには、これから同じ分だけ正しい生き方をしなきゃいけない。それがわれわれに与えられた、神から与えられた一つの使命なんです。
 使命というか、義務というかね。そこにおいて何も心をいれるな、ということなんです。
 つまり、過去において人に対してひどい人間関係を築いてきたんだったら、人に対して愛を与えるような、人を幸福にするような生き方をしなきゃいけない。これがわれわれの義務なんです。
 でもそれをやっている間に、いろんなことが起きる。それに対して一切心を動かされてはいけない。例えば人のためと思ってやったのに、逆にその人にひどいことをやられるときがある。そんなもの関係ないと。ただ私は全力でそれをやっただけだと。あるいはそこで、自分が間違えるかもしれない。間違ったら修正すればいいわけであって。一切そこに心を入れないと。そういうことができるかどうかなんだね。

◎目覚めたままで夢を見る

 はい、そして、
「執着心がなく、自由な魂を持ち、心がしっかりと完全なる叡智に根ざし、己の行為の結果を至高者への供養にささげるならば、その人のカルマはすべて溶け、消失してしまうであろう。」
 これもまあ、同じだね。執着せず、心を自由に保ち、常に智慧に心を向けて――だから、これも何度もいうけど、最高の――ゾクチェンとかマハームドラーでいうような、完全な理想をいっているわけです。完全なる叡智、つまり宇宙の本質みたいなところに常に心を合わせ――これは仏教的にいうと、常にサマーディに入っているようなもんです(笑)。常にサマーディに入った状態で――だからチベットのね、マハームドラーとかゾクチェンの理想も、いつも言うけども、そういうことなんです。最初は座った状態でサマーディに入ればいいんだけど、最高の理想は、普通にこの世で行動しながらサマーディの境地――つまり悟りの意識を保ちつつ、ただなすべきことをなすんだね。その人は普通に生きているようなんだけど、実際はもうカルマから外れているんです。覚醒したままでこの幻影の生を生きるっていうかな。完全に目覚めたまま、夢を見ているようなもんです(笑)。夢の中にいるんだけど、完全に目覚めてるっていうかな。

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