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解説「菩薩の生き方」第五回(1)

2013年2月6日

解説「菩薩の生き方」第五回

◎菩提心を常に放ち捨ててはならぬ

 今日は『菩薩の生き方』ですね。まずこれについて、久しぶりなのでね、説明すると、これはまあ、皆さんおなじみの『入菩提行論』の解説ね。しかもこれは勉強会等の記録というわけではなくて、わたしが、まあ、書き下ろしたものですね。あと、かなり昔にまとめたやつなので、これはこれで一つの、なんていうかな、まとまった本になってるので、まあ、これを改めて勉強しましょうっていう感じですね。
 で、これは、改めて言いますけども、非常にいい本です。非常にいい内容です。ですから皆さん、ぜひ読むといいと思う。
 もちろん、いつも言ってるように『入菩提行論』自体が非常に素晴らしい内容なんですが、わたし、いろんな人と話してると、「いやあ、『入菩提行論』素晴らしいですね」ってみんな言うわけですが、なんか結構わかってなかったりする(笑)。だから、ぜひこれ、読んだことない人ももちろんいるかもしれないけども、それはぜひ一度は目を通してほしいね。で、できれば何度も読んで、『入菩提行論』のエッセンスをしっかりと理解したらいいと思います。

 さて、二つ目の詩。

「あまたの生存の苦を超えようと願い、衆生の悩みを除こうと願い、数多くの安楽を受けようと願う人々は、菩提心を常に放ち捨ててはならぬ。」
 これはこのままですね。つまりこれは逆に言えば、菩提心のみが、数多くの輪廻の苦しみを破壊し、自分のみならず多くの衆生の悩みを破壊し、そして多くの安楽を受けることを可能にするんだと。だからそれらを実現させたいと思うならば、菩提心を決して捨ててはならないんだと。

 つまり「菩提心を持つ」ということは、道徳的に人を愛しましょうとか、そういうことではなくて、「衆生のために私は悟りを得よう」という断固たる決意のことですが、それは非常に実質的に現実的に、自分と衆生の苦悩を除き、安楽を受けさせるという、すばらしい効力があるんだということですね。

 はい。ここは非常に重要な詩ですね。「菩提心を常に放ち捨ててはならぬ」と。
 もう一回ちょっと整理すると、まず菩提心の定義。これはここにも書かれているように、まあ日本でよく菩提心とか菩薩様とかいうと、ちょっとほんわかした、優しい、愛のある人とかね、まあ、そういうイメージですけども、そうじゃなくて、定義がはっきりしてます。定義は、何度も言いますが、大事なところなのでもう一回しっかり言うとね――まず菩提心の前提として慈悲、または四無量心っていう考え方がある。つまりこれが、まず衆生への偽りなき、そして平等なる、そして最高の愛と哀れみね、これが慈悲であると。まあ、つまり、みんなが本当に好きであると。愛おしいと。で、好きであるっていうのは愛情ではなくて、ほんとに幸福であってほしいと。あるいは、ほんとに、なんていうかな、自分と変わりない存在として衆生を見ると。で、その上で、正確に衆生の状態を分析すると――これは、細かく言うとちょっと長くなるので簡潔に言いますが、衆生は本来は純粋なる喜びの要素を有しているにもかかわらず、煩悩に巻き込まれ、輪廻に巻き込まれ、多くの衆生が苦しんでると。もうこれは見ていられないと。もうほんとにもう、かわいそうでかわいそうで仕方がないと。
 もう一回言うけども、ここで言う「かわいそう」っていうのは別に、本質的に蔑んでるわけではない。つまり彼らの本質は、絶対なる、純粋なる、素晴らしい至福の状態であると。それなのに、錯覚によって苦しんでる。これがもうかわいそうでたまらないと。見ていられないと。よって、なんとかして彼らが、つまりすべての魂が、ほんとの意味で幸福になるお手伝いをしたいと。
 で、そこから発展して、そのためには、一番、自分にできる最高の努力、一番手っ取り早いっていうかな、自分がやるべきことは、わたし自身が早くみんなを導けるような、あるいはみんなにいい影響を与えられるような存在になることだと。
 で、ここでね、例えばその慈悲の力が弱かった場合は、自分がどれだけ頑張るかっていうのも限定されるかもしれないけど、もし慈悲が最高にマックス状態だったならば、当然それに呼応して、自分も最高状態に達しなきゃいけないって思う。つまり自分の修行が進めば進むほど、あるいはブッダに近づけば近づくほど、自分と縁のある衆生への良い影響も大きいとしたら、だったらわたしは最高の境地に至ろうと。しかも、早く至ろうと。早くっていうのは、遅くなったらそれだけ多くの苦しむ仲間たちの苦しむ期間が長くなるわけだから、だから早くわたしがやろうと。で、当然この背景には、わたしは今真理に巡り合ったと。あるいは縁によって、過去世からの縁によって、真理との縁があると。しかしわたしの愛する縁のある衆生たちはまだ、そういう縁がない人が多いと。だったら、一つの責任として、役割として、わたしがやるしかないんだと。これは正しい誇りです。わたしがやるしかないんだと。これがわたしに与えられた使命であり、責任なんだと。よって、わたしはみんなのために、早くみんなを安らがせるために、一生懸命修行を頑張って、できるだけ早くブッダになろうと。そのためだったらどんな苦しみも厭いませんと。これが、ちょっと長くなったけどね、菩提心の定義であると。
 もっと簡潔に言えば、ここに書いてあるように、「『衆生のために私は悟りを得よう』という断固たる決意」。この「断固たる決意」って大事ですからね。断固たる決意ですよ。ね。もう、なれたらいいなあとかじゃないし、あるいは、できるだけ頑張るとか駄目だよ。よく学校の目標とかで「できるだけ頑張ります」とか言うけど(笑)、そういうあいまいな感じじゃない(笑)。断固たる決意。うん。もう、なんていうかな、決して揺るがない決意ですね。で、これを菩提心と言います。で、これが大乗仏教の要点なんだね。

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