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校長ことマヘンドラナート・グプタの略歴(8)

 
 以前から、タクルの福音を出版してほしいと多くの人が希望していた。さらにそののち、その依頼はさらに増えていった。そんな折、Mはシュリー・シュリー・マーに呼ばれて、彼女にその本の内容を読んで聞かせた。それを聞いて、シュリー・シュリー・マーはこの上なく満足した。彼女はMを祝福してこういった。――「あなたの口から聞いていても、私にはすべてあの方がそれらのすべての話をしておられるのだと感じられます。」そして、この本を出すようにお命じになったのである。
 マヘンドラナートは、英語本”Gospel of Sri Ramakrishna(According to M. a son of the Load and disciple)”の初版を1897年に出版した。英語でラーマクリシュナの福音が発表されると、ラームチャンドラ・ダッタは、ヨゴディヤンから発行している「タットヴァマンジャリ―」(ベンガル歴1308年8ハ月号)に、「尊敬するマヘンドラナート・グプタ様、あなたは並外れた神への信仰をお持ちです。そして、一般の人々への教導を目的として、師のお言葉を小冊子に印刷してくださいました。我々がグプタ先生にお願いしたいことは、これらの教えの言葉を少しずつ出さずに一度にまとめたかたちで出版すれば、一般の人々にさらに大きな福音となるに違いないということです。第二のお願いは――ベンガル語を見捨てられたのはなぜでしょうか? 高遠な、しかも感情のこもった真理の言葉を英語にすると、多くの場合において意味が変わってしまうということは、今さら貴殿に向かって申し上げる必要はありますまい。また、このベンガルの一般大衆にとっては難解なものであります」と書いている。
 後になって、その願いは実現された。”シュリー・シュリー・ラーマクリシュナ・コタムリト(シュリーマ・コティタ)”のタイトルで、タットヴァマンジャリー、バンガ・ダルシャン、ウドボーダン、ヒンドゥー・パトリカ等、その当時の月刊誌にベンガル語で発表し始めたのである。その後、これらをまとめてスワミ・トリグナティターナンダによって、ウドボーダン・プレスから1902年に「コタムリト」の第一巻が出版された。第二巻は1904年、第三巻は1908年、第四巻は1910年、第五巻は1932年に出版された。インド各地の言語や外国語――実に多くの言葉でこの本は翻訳されている。読んだ人すべてがこう言っている――「ベンガル文学は、値のつけようもない貴重な宝を生み出した」と。
 ナヴィヤバーラタ紙は書いた――「M以外にこの宝を持っている者はいない」と。
 サンジヴァニー紙は、「シュリー・シュリー・ラーマクリシュナ『コタムリト』は、本当に不滅の宝庫になっている」と書いている。
 天才作家ロマン・ロランはこう書いている――”まるで速記録のように正確だ。”

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