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解説「王のための四十のドーハー」第七回(8)

 はい、そして、「四つの瞬間を分類することによって、四つの印は示される」とすごく簡単に書いていますが、これは、ここで四つの瞬間といわれてるのは――わたしはこれはですね、一般的にはいわれてないんですが、伝統的なマハームドラーの四段階のプロセス、それから、ちょっと知ってる人は知ってるだろうけど、原始仏教から説かれる色界の四つの瞑想ってあるんだね。四段階の瞑想のプロセス。それから、無色界のまた四つの瞑想っていうのがあります。それから、今言ったこの四つの歓喜。あとね、この四つの歓喜と連動して、六ヨーガの本とかにも出てくる、四つの空とかね、四つの光っていうのがあるんだね。わたしは実はこれは、全部連動してると思います。この一、二、三、四っていうのは全部連動している。
 これはまあ、皆さん今この話を聞いて、ちんぷんかんぷんの人もいるかもしれないけど、それはあとで教学してください。色界の四つの瞑想とか、無色界の四つの瞑想、あるいは四つの歓喜、四つの空、四つの光。そしてまあ今回出てきた、マハームドラーの四つの瞬間、あるいは四つの印。こういったものは全部連動してると、わたしは思います。そういうふうに一般的にいわれてるわけじゃないんだけどね。わたしはそう感じています。
 で、その上でちょっと簡単に説明すると、ここでいうマハームドラーの四つの段階といわれるのは、まず第一段階は、ここでよく使ってる言葉を使うならば、念正智といわれる段階です。つまりその前の段階は何かというと、前の段階はわれわれの心はもう散乱してる。ね。いろんなことがあっちこっちに心が散らばっていて、で、もちろん煩悩もいっぱいある。ね。教えと心が全くバラバラであると。
 はい、ここでまずやらなきゃいけないのは、具体的に言うと、まず教学。はい、しっかり教えを学びましょうと。教えを心に根付かせましょうと。はい、そしてその上で、念正智、つまり、常に、二十四時間、自分の心を観察して、そして、わたしは教えと反したことを考えていないかな、わたしの心は教えからずれていないかな、あるいはわたしが今やろうとしていることは正しい道からずれていないかな――こういったことを瞬間瞬間観察し、そして例えば分析をする。いや、今わたしはこういう心が湧いてきたが、これは教えとは全く反してると。あるいは、これは本質的にはわたしを幸福にしないし、誰をも幸福にしないと。ただ悪魔の力によって、わたしが間違った道を歩んでるだけだと。あるいはもっと深く分析してもいいよ。それはなぜかというと、こうでこうでこうだから、わたしはこういうことをやってはいけない、とかね。そういった分析や念正智によって、二十四時間自分をチェックし、そしてそれによって生じる歓喜、これが第一段階なんだね。
 これはね、よく有尋有伺っていう言葉を使うんだけど、この有尋有伺っていうのはいろんなふうに解釈されてて、よくね、否定的にとらえられるときが多いんだね。否定的っていうのは――有尋有伺っていうのは、つまり尋と伺があるっていうことだけど、「尋が有る」で、有尋ね。で、「伺が有る」で、有伺。で、この尋と伺って何かっていうと、これもいろんな解釈があるんだけど、よくある解釈は、つまり粗雑な心の働きと微細な心の働きっていわれたりする。まあ一例としてね。つまり、いわゆる心の働きなんです。つまりこの段階の瞑想っていうのは、まだ心の働きがありますねと。つまり素晴らしい瞑想ではあるが、まだ心がいろいろ動いてるというふうに、ちょっと否定的にとらえられることが多いんだけども、もちろんそういう面もあるんだけど、わたしは、より肯定的な面の方が実は重要なんだと思う。どういうことかっていうと、心の働きがあるっていうよりは、心の働きによってその境地に到達してるんです。つまり今言った念正智です。つまり心を使って、分析力を使って、歓喜の状態、あるいはある種の深い瞑想の境地に入れるんだね。つまりジュニャーナヨーガ的な方法です。これによって、歓喜と、ある種の空の境地を経験してる状態が第一段階ね。
 で、第二段階で、心が止まる段階がやって来ます。つまり、念正智っていうのは努力が必要だったわけだけど、もう努力がいらなくなる。つまり放っといても、自分の心が真理とガチッと合一し、そして心が何にも妨げられない、純粋な止まった状態。――止まったっていってももちろん、暗い無ではなくて、その状態で、光と、そして至福に満ちた素晴らしい境地が生じると。これが第二段階の瞑想。
 はい、そして第三段階は、ちょっとこれも難しくなりますけども、その空の境地がより深まり、すべてはもともと何も生じていなかったんだと悟る。ね。ちょっと難しいね(笑)。非生起とかいわれるわけですが、何も生じていない、何も生起していないっていうことを悟る。この段階が第三段階としていわれています。
 で、第四段階、つまり最終段階が、知性を超えるっていわれてるんですが、つまり、もう――これは無明を超えると言ってもいいんだけど、あらゆる概念、あるいはあらゆる知性的なものも超えたところにある純粋な智性というかな、純粋なこの世の本質に最終的にたどり着く。
 だからこの、一、二、三、四は全部、ある種の空の境地に到達してはいるんだが、その深みっていうかな、成熟度が違うんだね。これが、ちょっと難しいけども、四つのマハームドラーの、まあ一つのね、簡単な説明です。

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