yoga school kailas

解説「王のための四十のドーハー」第六回(10)

 あるいはヨーガの場合、これはね、まあヨーガの発想って面白いわけだけど、つまりヨーガ、特にハタヨーガとかクンダリニーヨーガの世界っていうのは、それまで基本的なインド宗教が否定してきた肉体を逆に利用して、修行を進めようっていう発想になるわけですね。われわれがやってるヨーガとかももちろんそうですけども。で、それはもちろん、さっきから言ってる、悟りとか慈悲とか徳とか教えと結び付けたら、素晴らしい力を発揮する。でも昔のね、あるタイプのヨーギーが考えたことっていうのは――つまりですよ、お釈迦様にしろ、ヨーガの聖者にしろ、例えばサマーディといわれる状態に入ると。で、お釈迦様の仏教っていうのが、一番失敗のない、非常にオーソドックスな道なんです。その代表的な、その象徴的な教えが八正道です。
 八正道って何かっていうと、はい、まず第一段階、正しい見解を持ちましょうと。まあ、だからこの背景には教学があります。はい、まず教えを学びなさいと。はっきり言うと。教えを学んで、あなたのものの見方は間違ってますから、ものの見方を教えで見なさいと。そこがスタートですと。第一段階。
 で、第二段階で、はい、考え方を変えましょうねと。普段いろんなこと考えてますね。正しいことだけを考えてください。ちょっとでも怒りを湧かしちゃ駄目ですよ、あるいは執着もしちゃ駄目ですよ、心の中は真理だけでいっぱいにしてくださいと。
 はい、そしたら、言葉もちゃんと整えましょうね。あなた悪口多いですよと。嘘ばっかりついてますねと。ただ真理だけを語りましょうと。
 はい、そして行動においてももちろん、生き物を殺したり、盗みをしたり、あるいは邪淫をしたりしないで、徹底的に正しい行動だけをしましょうと。はい。つまり、日常生活において、まず正しい生き方をしっかりすると。で、教えももちろんしっかり学ぶと。
 そして次が、正命とかいいますが、自分の人生全体を――つまり今までは単発だったんだけど。「そうだ、正しい言葉を語ろう」「そうだ、あ、今ちょっと欲望を満足させたくなったけど、そうじゃない正しい行為を行なおう」――単発だよね。じゃなくて、あなたの人生全体を、すべてを真理そのものに変えましょうと。あなたが生きてる意味は、真理にのっとって正しく生きる、これしかないんだと。このように覚悟を決めましょうと。
 はい、そして、しかし現実問題として、それはつらいと。だって今までの習性があるから。ね。皆さんもそうかもしれない。最初は、「お、なんか、ヨーガスクール・カイラス、ここは素晴らしい教えを説いてる」と。「修行楽しいなあ!」って勢いがあったけど、「ちょっとやっぱりつらくなってきたな」と(笑)。いろいろなんか、今までの煩悩とのぶつかり合いがあると。あるいは外側の状況とのぶつかり合いがあると。絶対こういう状況がやって来ます。そこで出てくるのが、精進。ね(笑)。そういうときこそ全力で努力しましょうと。もう全力でぶち当たれと。もう悟り澄まして「うーん、わたしはありのままに」とか言ってないで(笑)、もう全力で死ぬ気でやれと。ね。この間も言ったけども、極限を目指して、自分の限界までやりましょうと。余裕をかましてちゃ駄目ですよと。ね。ぶっ倒れるまでやりましょうと。これが精進ね。
 で、そこまで準備が整って、やっと、いわゆる正念に入る。正念っていうのはいろんな意味があるけど、『入菩提行論』でいわれてるような念正智ね。徹底的に二十四時間、自分の心を観察し、真理から一瞬も離れないような状況をつくりましょうと。
 いいですか、ここまできてやっと、「よし、じゃあそろそろ瞑想しようか」と。ね。やっと瞑想に入るんだね。そうすると何が起きるか。いきなり第一静慮。
 あのさ、つまり仏教で言ってる第一静慮っていうのは、色界の入口なんですね。これ、皆さん変に思いませんか? 第一静慮ってつまり第一の瞑想っていうことです。瞑想の第一段階でいきなり色界かよと。そんなわけないじゃないですかと。だっていきなり瞑想して色界に行けたら、世話ないですよと。つまり今見てきて分かるように、その前の準備段階がすごいんです。つまり逆に言うと、瞑想しないでも、もう色界レベルまで仕上げちゃうんです。仕上げちゃって瞑想するから、いきなり色界なんです。
 はい、じゃあ色界入りましたと。で、色界のレベルを上がっていって、で、第四静慮といわれる最高の色界の状態に達すると、苦も楽も超えた、純粋なる本質的な境地にたどり着くんだけど、そのとき肉体では何が起きてるかっていうと、呼吸が止まるっていわれてるんです。つまりこの今のいろんなプロセスをたどって、準備がすべて整って、その境地に心が没入したとき、肉体では呼吸が停止するんです。
 はい、これを、一部のヨーギーは「じゃあ呼吸を止めちゃえ」って思ったんだね。「そうか、心がその境地になると呼吸も止まるんだったら、呼吸を止めちゃえ」と。で、長く息を止めると。で、これは笑い話みたいなんだけど、実はアプローチとしては正しいんです。つまり、この相関関係があるから。心が止まると呼吸が止まる。じゃあ呼吸止めれば心止まるじゃんっていう発想なんだね。だからこれは、なんていうかな、テクニックとしては悪くないんです。それがすべてじゃなければ。でも、それをすべてだとする人もいたんだね。つまり、教え学ばない。さっきも言ったようにね。慈悲も関係ない。日々の生活は欲望満足しまくってると。それで、「さあ、修行するか」と。ムドラー!――という人たちもいたんだね。つまり生活が乱れてても心が乱れてても、意志の力で、ね、いっぱい呼吸止めりゃいいんでしょと。ね。それによって強引に心を止めてやるぞと。ちょっと努力の方向性が間違ってるんだけど(笑)。それだけのね、限界まで、それだけ息を止める精神力があったら戒律守れって感じなんだけど(笑)。つまりそれは、正しい教えに巡り合えなかったからそうなってしまったわけだけど。
 もう一回言うけども、皆さん分かってると思うけど、ムドラーとか生命エネルギー的なヨーガっていうのは、もちろん必要です。いつも言ってるようにわたしは、現代においては、すごく必要だと思うね。現代においてクンダリニーヨーガとかムドラーとかのテクニックっていうのは、ものすごく役に立ちます。でもそれは前提として、皆さんみたいに、教えを学んで悟りを求めて、そして菩提心とか慈悲っていう教えも学んでると。あるいは帰依を学ぶとかね、あるいはさまざまな準備的な修行を行なってると。これで初めて、その行法、肉体行が意味を持つようになるんだね。
 はい。だからこれも今の皆さんにはそんなに関係ないかもしれないけども、修行のエッセンスをちょっとおそろかにして、行法ばかりに頼るタイプの修行者に対する戒めだね。
 まあ、今普通に流行ってるヨーガっていうのは行法ばっかりだけども、ただあれはアーサナばっかりなので、アーサナばっかりだと、ここまでも行ってません。だから危険性もないです。だからそれは心配ないんだけど、でももしヨーガ教室とかで、厳しいムドラーとかいっぱいやってね、でも教えがないと。あるいは戒律とか、あるいは菩提心とかも全くないと。そういうところだったら非常に危険だと。あるいはもし皆さんが、まあ皆さんはそういうことはないだろうけど、もし将来的にね、おれはもう菩提心とかどうでもいいと。悟りもいらないと。あるいは教えなんか学びたくないと。物理的にエネルギーだけで解脱したいんだと、こういうような思いがもし湧いてきたら、それは危険だと思ってください。
 はい、だからこの辺から先っていうのは、もう密教行者に対する、いろんな細かい微妙な忠告なんだね。つまり密教っていろんな面がありますよと。それらを一つ一つ、「それ危険だよ」「そっちにはまったら危険だよ」っていうのを言ってるわけだね。

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