解説「菩薩の生き方」第八回(5)
はい。ですから、ここでちょっと話を広げてまとめてるのは、結局重要な要素は縁と徳と欲求と努力であると。
はい、まず縁と徳。これはいつも言ってるけどね、ナーローパとかも言ってるように、人間にとって最も重要なのは縁と徳であると。で、縁と徳のうち、どっちかっていうと当然縁の方が大事です。縁ね。それはなぜかっていうと、分かりますよね。つまり、簡単に言うよ。――徳があれば、その徳の力でわれわれは高い世界に行けます。あるいは幸せになります。簡単に言うとね。これが徳の力。だから徳があればその人は人間、あるいは神になれるかもしれない。で、次に縁っていうのは、つまりこれは真理との縁、あるいは聖者とか自分の師との縁ね。この縁があれば、当然その師と巡り会い、あるいは真理と巡り合うと。で、この徳と縁があれば最高なんだね。徳と縁があれば皆さんみたいにこの人間界に生まれ、特にこの日本みたいな何不自由ない国に生まれ、そして縁によって真理と巡り合い、こうやって修行できる。これは最高に素晴らしい。
でも、どっちかだったらって考えたら――どっちかだったらっていうのは、徳があっても縁がない場合は、当然皆さんはこういう人間界、あるいは天界とかに行けるかもしれないが、そこに真理はない。あるいはそこにいろんなことを教えてくれる師や聖者はいないっていうことになる。これは最悪ですよね。最悪っていうのは、そのときはいいけども、そこに真理がなかったら当然そこで悪業積むかもしれない。それでいつかはまた落ちるかもしれない。
次に、縁があるけど徳がないっていう場合。これもね、ちょっと困りもんです。ギリギリ大丈夫な場合はある。ギリギリ大丈夫って何を言ってるのかっていうと、ギリギリ人間なら大丈夫です。うん。つまり猫とかになっちゃったらね、つまり縁があって徳がない一つのパターンは、聖者に飼われる猫。例えばね(笑)。聖者とすごい縁があるから、当然――だってさ、言ってみればまあ、ある意味うらやましいよね。例えば聖者が膝に乗せていつもこうやってるとしたら(笑)、ああ、いいな、おれも(笑)――まあ、クリシュナの時代のあのクリシュナと遊んでた牛とかね、ああいうのはもちろん聖者の生まれ変わりっていわれてる。あれは別ですよ。徳がなくて牛になったんじゃなくて(笑)、
(一同笑)
徳があるから、徳があって縁もあったからあのような素晴らしいヴリンダーヴァンの一員としてそこに存在できてクリシュナと遊べたと。これは素晴らしい。で、そうじゃなくて、そういうパターンでなくて、ほんとは人間になって弟子にならなきゃいけなかったのに、徳がちょっと足りなくて(笑)――お金じゃないけどね、徳が五十円ぐらい足りなくてギリギリ駄目だった――猫であると。しかし非常に縁が強い場合、聖者のそばに置いてもらえると。しかし今生は少なくとも何もできません。例えば普段からそばにいたり触ってもらったりしたら、エネルギーはもらえるかもしれない。エネルギーはもらえるけども、猫だから。馬鹿だから。
いつも言ってるけど、なんで動物が修行できないかっていうと、もうハードの問題です。ハード。つまり脳のCPUっていうかな(笑)、大脳の能力の限界があるから、全然駄目なんだね。一瞬はもしかするとハッと気付くかもしれないけど、次の瞬間には、ああ、キャットフードと。ね(笑)。
(一同笑)
全然駄目なんだね。ちょっとハードの限界がある。だから、ものすごい師匠から素晴らしい最新ソフトをもらったけども、コンピューターが全然駄目だっていうのと同じだね。一瞬は動くんだけど、すぐフリーズすると(笑)。あるいはすぐに容量オーバーになると。で、使えないっていう感じになってしまう。これが、縁があるけど徳がないっていうパターンね。
はい。だからしっかりと、われわれはまず縁――いつも言うように、ここでいう縁っていうのはもちろん、そばにいればいいっていうだけではなくて、その師や聖者、あるいは真理が求めるその道をいかに実践するか。エゴよりもダルマ、エゴよりも法、エゴよりも真理と。あるいはエゴよりも師や聖者の指示。これを常に取り続ける。これによって当然縁がどんどん強まっていきます。で、徳はもちろんしっかりと日々いろんなかたちで、まあ布施や奉仕、あるいは他者のためにいろんな慈悲行を行なうことによって徳を積んでいく。で、この徳と縁をしっかりと強めるっていうのは大事なんだね。