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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(18)「戒のパーラミター」

第五章 戒のパーラミター

◎四つの法

 深心教戒経には、次のように説かれている。

「他の菩薩、および救済すべき衆生の前において、常に次の四つの法を成就すべし。そうすれば、正法が滅していく時代においても、害を受けず、自然に解脱する。

①常に自己の過失を観察する。
②他の菩薩や、救済すべき衆生の過失を語らない。
③法友の親族の意見をむやみに顧みない。
④悪しき言葉を語らない。」

◎六つの悪からの遠離

 また、同様に深心教戒経には、こう説かれている。

「初心の菩薩は、菩薩の智慧の力を得て、利得と供養と名声から遠く離れるべし。初心の菩薩が名声と利得を得ることは、過失である。
 また、現世的な交際の喜び、現世的な会話の喜び、睡眠、現世的な事業、現世的な戯論などから、常に遠く離れるべし、それらはすべて、過失だからである。」

①利得と供養と名声からの遠離

「偉大なる菩薩が、利得と供養と名声を得るならば、愛著が発生し、正念が破壊されると観察すべし。
 得ることと得ないことにおいて、良し悪しを思うなかれ。
 また、利得と供養と名声は、迷妄の闇を起こし、物惜しみの心を生じ、ごまかしの心を発生し、慚愧の心はなくなると、観察すべし。
 利得と供養と名声を得ると、もろもろの慢心が起き、尊き師を軽く見るようになる。これはマーラの罠である。彼は怠惰になり、善根は破壊される。
 また、名声や利得を得ると、法友の親族の意見をむやみに顧みるようになり、煩悩に心覆われ、愛欲の対象に心は向かい、苦悩は多くなる。
 また、利得と供養と名声を得ると、四念処を失い、白き法は減少し、四つの正しい努力は壊れ、神通は破壊され、善人から離れて悪友に近づくようになり、常に親族と会合するようになり、瞑想から離れ、大地獄、魔界、動物などに生まれる。
 利得と供養と名声は、このようなものであると、菩薩は常に観察すべきである。
 このように観察するならば、過失はなく、ただ仏法を楽しみ、人間や神として生まれ、恐怖なきことを得る。
 菩薩は深い心をもって、少欲であるべし。少欲を楽しむ者は、一切の利得と供養と名声を断ずる。」

②現世的な交際の喜びからの遠離

 現世的な交際の喜びについては、こう説かれている。

「愛著の毒と迷妄の過失を遠離し、現世的な交際の喜びに住しない者は、心を一筋にして、解脱する事が出来る。
 慢心、くだらない笑い、口論、これらすべては、現世的な交際から生ずる。現世的な交際から生活は堕落し、過失が生ずる。
 世俗の言葉を楽しむ愚か者は、堅固とならない。
 もし出家修行者が、真理にそぐわない言葉を聞き、それを楽しみ、常にそれを求めるならば、過失が生じる。ゆえに、真理にそぐわない言葉を捨て、常に法楽を知れ。
 覚醒を求めて千度もその身を捨て、法を聞いて飽きることなかれ。
 たとえ極めて疲弊しているときでも、法を聞くことによって、一切の真理にそぐわない言葉から遠く離れよ。
 最上の法楽において、これこそ得難いことだという思いを生じさせ、無量カルパでも山林で修行するという決意を持つべし。利益の少ないことを求めることなかれ。
 また、自己は最上殊勝なる者であるという慢心を持つなかれ。そのような慢心は、もろもろの怠惰のもとである。」

③現世的な会話の喜びからの遠離

 現世的な会話の喜びについては、こう説かれている。

「現世的な会話により、頑固になり、正念と正智は失われ、愚鈍になり、師や法を尊重しなくなり、闘争を起こすようになる。
 現世的な会話により、名声を競い、瞑想から極めて遠ざかり、心身の軽安は得られない。
 現世的な会話により、愚者は善き心から堕落し、粗暴にして不親切な心となり、寂静と正観の瞑想から離れる。
 現世的な会話により、師を尊重しなくなり、世俗的な言葉を楽しみ、非真実に住し、智慧少なくなる。
 現世的な会話により、賢者たちに非難され、彼の人生は無意味なものとなる。
 現世的な会話を楽しんでいた愚者が死ぬときには、『私は何一つ達成しなかった。今、何をなすことができるだろうか』と嘆き、激痛と苦しみの淵に落ちていく。
 現世的な会話により、彼は偽善者となり、軽薄にして希望なく、くだらない論議にふけり、正法から遠く離れる。
 現世的な会話により、称賛されれば喜んで心の安定を欠き、非難されれば委縮する。猿のように心は常に動くようになる。
 長時間にわたって現世的な会話を喜ぶならば、修行の喜びも、心の本性の幸福も分からなくなる。よって現世的な会話を捨て、最上なる真理の言葉を思惟し、無限の喜びを得るべし。
 現世的な会話の喜びは、サツマイモや果物の皮のように、苦く不利益なものである。
 真理を思惟することは、その中身のように、滋味があり利益あるものである。
 故に、現世的な会話の喜びを捨て、無限の喜びを生じさせる真理を思うべし。」

④睡眠からの遠離

 睡眠への耽溺については、こう説かれている。

「もし愚鈍や睡眠を楽しめば、多くの悪しき見解が生まれる。彼は悪しき見解を得、疑念が生じ、大迷妄の網が増大する。
 愚鈍や睡眠を楽しむ者は、智慧は弱く、悟りは常に減少する。
 愚鈍や睡眠を楽しむ者は、真理に反する欲を楽しみ、善なる心が増大することはなく、法楽を得ることはできない。
 愚鈍や睡眠を楽しむ者は、善への決意は減少し、白法の功徳は壊れ、あまねくもろもろの暗闇に落ちる。
 愚鈍や睡眠を楽しむ者は、常に怠惰な心を生じ、身体は重くなる。
 愚鈍や睡眠を楽しむ者は、自分が怠惰であることを知るが故に、精進する他者をねたみ、自分の精進はより少なくなる。
 もし愚鈍や睡眠への執着を捨て、もろもろの苦しみの闇を取り除くならば、罪の根本を離れ、常に優れた精進を行ない、もろもろのブッダに称賛される。」

⑤現世的な事業からの遠離

 現世的な事業については、こう説かれている。

「現世的な事業に執着する者は、師の教戒を悪しき言葉であると言い、速やかに戒を破る。
 現世的な事業に執着する者は、現世的な事業のことが常に頭から離れないが故に、瞑想に入れない。
 現世的な事業に執着する者は、現世的な愛著・貪りの心は増大し、さまざまな現世的快楽に執着し、下劣となることはとどまることを知らない。
 現世的な事業に執着する者は、昼も夜も、もろもろの功徳を積むことを楽しまず、ただ良い衣服や食物や利得を猛烈に求める。
 真理の言葉を求めず、ただ悪に順じ、世俗の所作を問う。」

「智慧の少ない菩薩は、このように最上の法を捨てることにより、優れた智慧を減少させ、下劣なることをなす。
 また智慧の少ない菩薩は、如来の教えにおいてすでに出家しているのに、瞑想も、正しい精進もなく、教えを多く学ぶこともなく、決意も抱かない。
 そしてこのような智慧の少ない菩薩は、世俗の財を求め、真理の財から遠く離れる。
 たとえ彼が、世界中を満たすほどの世俗の財産を得たとしても、もろもろのブッダたちは彼を称賛することはない。
 故に菩薩は、優れた智慧を求めて常に精進すべし。」

⑥現世的な戯論からの遠離

 現世的な戯論については、こう説かれている。

「現世的な戯論にふける者は、来世、真理に出会うことができない。また、速やかに真理を悟ることができない。
 よって智者はもろもろの戯論を離れる。
 もしそこで無用の戯論や論争が行なわれているのを見たならば、そこにとどまらず、むしろひとりで一晩中でも歩くべし。煩悩や戯論が行なわれているところには、一瞬たりとも宿泊も休憩もするべからず。
 出家した者は、論争をなすなかれ。悪心あることなかれ。耕作や商業を営むことなかれ。そこから現世的な戯論が生ずる。
 出家した者は、信に従い、寂静であり、極めて寂静であるべし。そして戯論を離れて智慧を得るべし。
 戯論から遠く離れない者は、悪心が増大し、地獄や動物界や魔界に落ちる。ゆえに精進して戯論を離れ、智慧を得るべし。
 この修習によって智慧を得、魔の力を破れ。」

 これらの難を離れることを総じて、こう説かれている。

「このゆえに、菩薩乗を歩む善き男性または善き女性は、現世的な会合を願うことなかれ。森林に住んで修行し、己の非を顧み、他者の過失を探すべからず。黙然として智慧の完成の行を行なえ。」

 
◎意義ある努力

 先に、

 「自己の身口意の行ないを正しく守れば、もろもろの難を離れることができる。正法を守る修行者は、正しく思惟し、他人を害することなく、もろもろの難を離れる。
 いかにして安全を得るかというと、無益な努力を離れることによるのである。」

と説いたが、無益な努力を離れ、意義ある努力をするとはどういうことか。法集経には、こう説かれている。

「菩薩の身口意の行為は、ただすべての衆生を利するために、ただすべての衆生への大悲に基づいて、ただすべての衆生を安穏に導くために、なされるべきである。このように深き心を思惟し、何かを思うときも、語るときも、行為するときも、常に平等心を持ち、すべての衆生に真の安らぎを得させるためにのみ行動すべし。
 また、菩薩は五感と意識、そしてその対象を空なりと観て、それらへの欲望を捨てるべし。」

 また、アーカーシャガルバ・スートラ(虚空蔵経)には、こう説かれている。

「たとえば壁に隙間があればそこに音が入るがごとく、もし菩薩の心に隙があれば、そこから魔が入ってくる。故に菩薩は常に自己の心に隙がないようにすべし。もし心に隙がなければ、もろもろの修行は完成され、また空の智慧も完成する。」

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