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未来を恐怖することなく

 私は悪夢というのはほとんど見ないのですが、先日は久しぶりに悪夢のようなものを見ました。

 それは表現しづらいのですが、ホラー映画のような感じで、衝撃とともに恐怖というか気持ち悪いヴィジョンや音がいきなり襲ってきたのでした。

 私はそのとき、手を胸に当てて寝ていたのですが、それも物理的一因だったのかもしれません。小さいころからの経験では、胸で手を組んだり手を当てて寝ると、悪夢を見る確率が高いと思います。
 まあそのような肉体的物理的原因とは別に、実際に魔的な何かが襲ってきたのかもしれません。瞑想や夢の中で魔的な存在と対峙するという経験を、以前に何度もしていましたので、実際にそういうものが存在するのもわかります。

 昨夜は、私はとっさに、その夢の中で、その恐怖、怒り、魔的なもの、それらすべても含めたこの世界全体を、愛をもって抱きしめました。イメージの世界なので表現しづらいのですが、そんな感じでした。そして、仏陀や聖なる存在を思念しました。そうして目が覚めました。

 朝起きると、昨晩はちょっと調子が悪かった肉体が回復し、気が通ってすがすがしい感じでした。
 私は、昨夜自分を襲った魔的なものがなんであったかということより、そのときの自分のとっさの対処を喜びました。
 夢の中の行為というのは潜在意識の世界なので、建前ではなく、本性が現われます。
 魔に襲われたとき、逃げたり屈服したりのっとられたりすることなく、そして戦うのですらなく、慈悲によって対処できたこと。
 そしてとっさに仏陀や聖なるものを思念できたこと。

 まあ、次に同じような夢でどうなるかはわかりませんが(笑)。

 それから、先ほど思い出しましたが、このとき魔的なものが、いろいろと脅すような言葉を投げかけてきたのですが、その中で、「未来を恐怖しろ!」というような脅し文句がありました。
 これは面白いと思いました。なぜなら、最近私は、いろいろな人に、バクティ・ヨーガ的な話の流れで、

「未来を恐怖することなく、何も望むこともなく、すべてを神の愛として受け入れて、全力で生きるべきだ」

といったような話を、何度もしていたからです。

 「こんな教えが広まると、みんなが私の支配から脱してしまう!」と焦った悪魔が、邪魔をしにきたのでしょうか(笑)。

 そういえば、お釈迦様の在家信者のスダッタにも、似たようなエピソードがあります。
 スダッタはお金持ちだったのですが、お釈迦様とその弟子たちに帰依し、彼らの道場や食事や多くのことのために、その財産を惜しげもなく使いました。そして以前の仕事も行なわずに、日々、奉仕に明け暮れました。しかしそのために、どんどん財産は減っていきました。
 そんな時、スダッタの家に住んでいたある低級の女神が、スダッタに対して、「このままではお前は一文無しになってしまうぞ。お釈迦様やその弟子たちへの帰依や布施と奉仕をやめ、以前のように働いてお金をためなさい。お釈迦様や弟子たちを、この家に入れてもいけない」と忠告しました。
 しかしスダッタは、そんな低級の女神の言葉に耳を傾けることなく、お釈迦様への帰依を誓い、逆にこの女神を追い出してしまいました。女神は行くところがなくなって途方に暮れ、財宝をもってスダッタにわびを入れに来たという話です。

 いかにも御伽噺的な話と思われるかもしれませんが(笑)、似たような話は、原始仏典に多くあります。悪魔などが修行者の修行をやめさせるためにいろいろな言葉で誘惑したり脅したりするのですが、修行者は毅然として志を曲げることなく、悪魔が退散するという話です。
 またヨーガ経典には、低級の守護神は、その修行者がある程度以上に修行を進めようとすると、嫉妬して邪魔をすると書かれています。

 私は、低級の神や悪魔が何をしようとも何を言おうとも、高らかにこの教えを述べ伝えましょう。

 過去を思い煩わず
 未来を恐怖することなく
 何も望むこともなく
 すべてを神の愛として受け入れて
 今を全力で生きよう。

 そして、悪魔にも慈悲を。
 そして常に仏陀や聖なる存在への思念を。

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