自由・平等・友愛
フランスの国旗は自由・平等・友愛を表しているとされますが、この自由・平等・友愛は、人類に、いや魂に必要な重要な要素だと思います。
しかし人類は、この自由・平等・友愛を、少々履き違えてきたのではないかという気もします。
普通に人間が考える自由とは、エゴ(自我)の自由であり、エゴに基づく欲望追求の自由、あるいは経済の自由でしょう。
そして平等とは、社会から与えられる恩恵の平等であるといえるかもしれません。
そしてこれらから自由主義・資本主義、共産主義・社会主義といった、大雑把に言えば二方向の流れが社会に登場したといっていいでしょう。
しかし社会システムを平等にしても、人は怠けるだけだというのが、共産主義国という大いなる実験で明らかになっています。そしてその流れはほとんど崩壊しているといっていいでしょう。
自由に欲望を追求する社会の場合、人々は一生懸命働きます。しかしそこに貧富の差が生まれ、不満が生まれ、エゴが増大し、精神的苦悩も増大し、自殺者も増えています。
私は今回、政治についてあれこれ言おうとしているのではありません。
私は思うのです。まず、我々が得るべき自由とは、エゴ(自我)の自由ではなく、エゴ(自我)からの自由であると。
そして平等とは、社会システム上の平等ではなく、自己と他者の平等視、自分と同じくらいに他者を大切にし、他者の幸福を願う気持ちを育てることだと。
もっといえば、好きな人と嫌いな人、成功と失敗、快楽と不快、こういった二元性のものを平等視し、頓着する心をなくしていき、すべてを神(ブッダでもいいですが)の愛として受け入れ、喜びを持って生きることだと。
つまり個々人の中で、真の自由と平等を勝ち取るべきなのです。
そしてそれを補うのが、積極的な他者への友愛です。他者の幸福を願い、他者の幸福のために生きようとすることです。
この三者--つまりエゴからの自由、すべての事象への平等視、他者の幸福を願うこと、という三つは、それぞれ相補うかたちで成長させていくことができます。
エゴが少なく、平等観がある状態でなければ、本当の意味で友愛を持つことはできません。
平等観と他者への友愛を育てることで、エゴを弱めることができます。
エゴを弱め、他者を受け入れる訓練によって、平等観は深められていきます。
この「エゴからの自由」「すべてへの平等観」「他者の幸福を願うこと」の三つを深めることが、その人自身、そして周りの人をも幸福にしていく道です。
そうして個々人の中で、完璧ではなくても、この三つを成長させることができたなら、結果的には社会的にも、自由で平等で友愛に満ちた社会になるのではないでしょうか。なぜなら、真の友愛を持つ者にとっての自由とは他者の幸福のために努力することであり、また多くの人が他者の幸福のために努力するなら結果的に社会的にも平等になるだろうからです。
しかしそのためには智慧が必要ですね。そして実際にその三つを達成するための道も必要ですね。
だからこそ今、本当の意味でのヨーガ、そして仏教の修行といったものが、人類にとって必要とされるのではないかと思うのです。
実はこの「エゴからの自由」「すべてへの平等観」「他者への慈悲」という三つは、仏教・ヨーガの修行の真髄といってもいいと思います。本質的な仏教やヨーガの修行はすべて、これらを達成するために組み立てられているものなのです。
特に日本では、現世的欲望や物質的繁栄を追い求めてもそこに真の平安はないぞと、そろそろみんななんとなく気づき始めているでしょうから、これから仏教やヨーガの修行の果たす役割は、小さくないと思うのです。