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「鳥のダルマの素晴らしき花輪」より(19)

 これらを聞いて、観音菩薩であり偉大な鳥であるカッコウは、つぎのように語りだしました。

「ここに集まった大きい鳥と小さい鳥のみなさん、みなさんは本当によく理解してくれました。あなた方が語ったことは、ひとつとして真実をはずれたものはありませんでした。
 話し方も本当に上手でした。これからは、心を乱されることなく、語られた言葉の数々を、心のうちにしっかりと守り続けてください。おお! ここに集まった鳥のみなさん。大人の鳥のみなさんも、幸運に恵まれてこの場に居合わせることのできた若鳥のみなさんも、心を集中して、わたしの話に耳を傾けてください。

 輪廻の世界を創りあげているものごとは、幻影や夢のような作られ方をしています。
 この世のものごとのどこを探しても、けっしてそこには本質を見つけることができません。
 土と石と木で建てられた立派な家も、
 権力者のまわりに群がるたくさんの臣下たちも、宙に浮かぶ城や空にかかる虹のようなものです。
 これらを真実のものと考えるのは、じつに愚かです。
 叔父や姪や兄弟や姉妹が親戚として集まっていても、
 夫婦と子供たちが家族として集まっていても、
 友人や隣人が仲の良い仲間として集まっていても、
 それは、夢の中で友人が集まっているようなもの、
 旅人が見知らぬ人と食べ物を分け合っているようなもの。
 そうしたことに真実があると考えるのは、なんと愚かなことでしょう。
 種と血の結合から生まれ、羊水の中で育ったこの幻影の身体と、
 過去からの悪しき行ないの習性が生み出すこの日々の煩悩と、
 さまざまなうわべの姿によって引き起こされる思考などは、
 冬には枯れる秋の花のようであり、いずれは消える空の雲のようなもの。
 それがらいつまでもあると思っているのなら、鳥のみなさん、
 みなさんは幻影にだまされているのです。
 あざやかな美しい色で飾られた孔雀の羽も、
 高い音・低い音が絶妙に配された美しい旋律を奏でる鳥の言葉も、
 わたしたちを今ここに集わせている因果の連鎖も、
 みな、岩肌に響くこだまや幻影のたわむれのようなもの。
 それらは真実のない幻であると瞑想するのです。
 湖にたちのぼる霧や、南の空にかかる雲も、
 風が引き起こす海のざわめきも、
 夏の太陽によって熟した果実も、
 永遠に保たれることなく、あっという間に崩れ落ちていってしまいます。
 これらは幻であると瞑想して、永遠であるなどと考えてはなりません。」

 偉大な鳥カッコウは、さらに次のように続けました。

「それゆえに、輪廻する世界の幸福も、地上での生活で体験するささやかな喜びも、幻のようなもの、夢のようなもの、空の虹のようなもの、人気のない谷にこだまする呼び声のようなものであり、長く存在できるようなものではなく、本質を見いだすこともできないのだと、ブッダは比喩を使って説いたのでした。
 ですから、輪廻する世界に本質のないことを思い、輪廻からのゆるぎない避難場所である三宝を頼りにして、この生と未来の生の希望である正しいダルマをしっかりと身にまとうのです。死はすぐにやってきますから、執着を絶つことが大切です。友達になれても必ず別れがやってくるのですから、こだわりを捨て去ることが重要です。あらゆるものごとが幻なのですから、輪廻に真実なるものがあるなどと思い込んではなりません。
 輪廻する生も輪廻を脱出した生も、すべては自分の心に起こることです。この心は初めから完全なものとして完成しているすべての土台であり、本質が空であるので、生まれることもなく、滅びることもなく、とどまることもなく、行くことなく、やって来ることもありません。心をどこかに求めても見いだすことはできず、探しても得ることはできません。心は初めから完全な完成をとげていますから、それを知的に分析したりすると、唯一の本質を多くの要素に分解してしまい、はじめから完全な完成をとげている心というものを理解することなどできません。
 そこで、完全な心の完成をとげた過去のブッダたちは、「ある」と「ない」の両極端に陥ることのない言葉による表現を用いて、言葉で語っても心の本質を変化させない方法を生み出しました。そこから生まれたのは、心の本質を直観的に理解させるための誤りのない巧みな手段である、聖なる教えの数々でした。こういう教えを、深く瞑想してみるのがよいでしょう。
 ここに集まっている鳥のみなさんも、夢の中でこの場に居並んでいるのです。すべての誕生が夢の中で起こり、すべての死は夢の中で起こる死です。ブッダは夢の中で煩悩に打ち勝ったのであり、輪廻をさまよう者たちは夢の中をさまよい続けています。これが真実であるのですから、みなさんは自分が何者であるのかを、自分で知らなければなりません。誤りの根を絶つことができたら、拠り所とすべきものをもはや外の世界に見いだすことなどはできなくなりますから、自分の心の中に真実の幸福の拠り所を見いだすことができなければなりません。さあ、わたしはみなさんが求めていた『自分は何をすべきか』という問いに、しっかりお答えしましたよ。」

 観音菩薩である偉大な鳥カッコウは、さらにこうも語りました。

「さて、今ここにお集まりの鳥のみなさん、ほかの生き物を助けるような生き方をしたときだけ、あなた方は真実の幸福を得ることができるでしょう。正しい教えを広めていくことによって、あなた方の行ないは良い果実を生むでしょう。来年の五月になったら、鳥たちのすばらしい集合場所であるヤルルンの谷で、わたしたちは再会いたしましょう。そこは土地も肥沃ですから、わたしたちはもっと数を増やすことができるでしょう。チベットの鳥さんたち、その日まで、どうか健康でいてください。正しいダルマから離れない暮らしを続けてください。この場に来ることのできなかった大きな鳥と小さな鳥たちにも、ここで語られたことを間違いなく伝えてやってください。」

 それから鳥たちは各々、偉大な鳥に食物を献げ、おじぎをしてから、元の住み家へ帰っていきました。その様子を見届けてから、偉大な鳥カッコウは、また深い瞑想に入っていきました。

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