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悪趣の苦しみ

この世の無常性や、正しい修行ができることの稀有さなどを学んだら、次は仏教経典などにより、悪趣の苦しみを学び、思惟すべきです。

 ナーガールジュナは、次のように説いています。

「きわめて熱い・寒い地獄を、毎日念じます。
 飢え・渇きによりやせ細った餓鬼たちをもまた念じます。
 迷妄の苦しみが極めて多い動物を見て念じます。
 それらの因を断ち、幸福の因を行じます。
 この得がたい人間の体--それを得た今こそ、悪趣の因を努力して断つのです。」

 悪趣の苦しみを修習するなら、どのようなメリットがあるでしょうか。
 1.傲慢さやおごりがなくなる。
 2.それら苦しみの因である悪業を極度に避けるようになる。
 3.幸福の因である善業を積極的に積むようになる。
 4.輪廻する衆生への慈悲の心が生じる。
 5.解脱への強い希求心が生じる。
 6.仏陀や神への強い帰依心が生じる。
 このように、多くのメリットがあるといわれます。

 それでは、仏典に説かれる悪趣の苦しみについて、少し概観してみましょう。

 まず地獄には、四つあります。
 1.大衆生地獄
 2.近隣地獄
 3.寒冷地獄
 4.孤独地獄

 そのうちまず大衆生地獄には、8種類あるといわれています。

 大衆生地獄①--等活大地獄
 ここに落ちた魂たちは、それぞれがさまざまな武器を取り、互いに傷つけあい、殺しあいます。そうして傷つき、苦しみ、倒れると、天空から「復活せよ」という声が聞こえてきて、再び肉体が復活し、また殺しあいます。この繰り返しが非常に永い間続きます。

 大衆生地獄②--黒縄大地獄
 体に線を引かれ、その上を獄卒に切られたり割られたりします。

 大衆生地獄③--衆合地獄
 多くの地獄の住人が一箇所に集められ、二つの鉄の山の間などに押し込まれ、つぶされます。

 大衆生地獄④--叫喚大地獄
 焼けた鉄の部屋に入れられ、焼かれます。

 大衆生地獄⑤--大号叫大地獄
 焼けた二重の鉄の部屋に入れられ、焼かれます。

 大衆生地獄⑥--焼熱大地獄
 鉄板の上で焼かれたり、燃え盛る鉄の串で肛門から頭まで刺し貫かれたり、体中の穴から火が燃え上がったり、燃える大地の上に仰向けに寝かされて、燃えるハンマーでたたかれたりします。

 大衆生地獄⑦--大焼熱大地獄
 焼熱地獄の苦しみに加えて、燃える鉄板で身体を包み込まれたり、鉄鍋の燃えるアルカリ液の中で煮られたりします。

 大衆生地獄⑧--無間大地獄
 大焼熱地獄の苦しみに加えて、四方から襲ってくる火によって体の芯まで焼かれたり、溶けた鉄の中で煮られたり、燃え盛る鉄の玉を飲まされたりします。 

 次に、大衆生地獄の周りには、近隣地獄があります。
 
 近隣地獄①--熱灰地獄
 ひざの辺りまで、熱い炭火でいっぱいの中を歩かされます。そこに足を沈めると足の皮・肉が焼かれるが、足を持ち上げるとまた復活し、また足を沈めると焼かれます。これを延々と繰り返します。

 近隣地獄②--糞尿地獄
 熱灰地獄の近隣に、糞尿の沼があり、地獄の住人はそこに沈められます。そしてその中には鋭い口を持った虫がおり、その虫に体中を、髄に至るまで貫かれます。

 近隣地獄③--鋭い刀の道などの地獄
 糞尿地獄の近隣に、鋭い刀に満ちた道があります。地獄の住人はその道を、足を刀に裂かれながら歩かなければなりません。
 さらにその近隣には、剣の葉を持った樹があり、その葉が地獄の住人を襲います。そして体中を切り裂かれて彼らが倒れると、そこに犬がやってきて、背骨を砕いて食べます。
 その近隣には、鉄の針葉樹があり、地獄の住人はそこを登ったり降りたりさせられ、体中がその針で切り裂かれます。しかもそこには鉄の嘴を持ったワシがおり、地獄の住人の目玉をつついて食べます。

 近隣地獄④--渡れない河の地獄
 その鉄の針葉樹の近隣に、煮えたアルカリ水で満たされた河があります。地獄の住人はそこに落ち、劇物で骨肉を溶かされながら煮られます。そのように苦しむ地獄の住人を、獄卒が鉤や網で引っ張り出し、燃える大地に仰向けに寝かせて、燃える鉄の玉や、煮えた銅を口の中に注ぎます。

 次に、寒冷地獄にも八つありますが、それはその身を貫く寒冷の強さの程度によって分けられているので、詳細は割愛します。

 孤独地獄の内容についてはさまざまな説がありますが、ここでは省略します。

 これらの地獄に生まれるカルマは、我々が考えているよりも、非常に生じやすいとされています。このような地獄の苦しみの因は自己の身体と言葉と心の悪業のみであると知り、日々、小さな悪業さえも生じさせないことに努力して努めるべきでしょう。

 次に動物の苦しみについて思惟すべきです。
 まず動物は弱肉強食の世界であり、自分より力の強いものに殺され、食べられます。またある動物は、人間や神々たちの道具としてこき使われたり、食べられたりします。またある動物は常に飢え、渇き、寒さなどにさいなまれたりもします。
 また、私の瞑想経験では、動物界は精神的に大変な恐怖の苦しみと、怠惰の苦しみにさいなまれる世界です。
 これらの苦しみを思惟し、動物界に生まれることを厭離すべきです。

 最後に餓鬼の苦しみについては、これもさまざまな広範な説があるので、割愛します。まあしかし簡単に言えば、強烈な飢えと渇きの苦しみにさいなまれ続けるということです。

 このような三悪趣の苦しみについて思惟したなら、今度は次のように思惟すべきです。

「私は炭火の中に一日手を入れていることすら耐えがたい。それならどうして、永い熱地獄の苦しみを耐えられようか。」 

「私は真冬の寒冷地の氷の穴の中で裸で座っていることすら耐え難い。それならどうして、永い寒冷地獄の苦しみを耐えられようか。」

「私は指を一本ナイフで切り落とされるだけでも耐え難い、それならどうして、体中を骨の髄まで切り裂かれる地獄の苦しみを耐えられようか。」

「私はほんの一日食事をしないことすら耐えがたい。それならどうして、永い間飢えと渇きに苦しむ餓鬼の苦しみを耐えられようか。」

「私は蜂や虻に体を刺されただけでも耐え難い。それならどうして、強い動物に食い殺される動物界の苦しみを耐えられようか。」

 このように、現在の我々が想像できる範囲のものに照らし合わせて、悪趣の苦しみを思惟し、それらに落ちる因を取り除こうという思いを強く持つべきです。

 今、この人間の身体を得た今こそが、チャンスです。このときにこのような思惟をしたならば、過去に積んだ悪趣の因を浄化し、また未来において積む悪趣の因を少なくすることが可能となります。また善趣に生まれる善のカルマを増大させることも可能です。
 悪趣に落ちてから、自分を救ってくれる帰依処を探しても得ることは不可能ですし、何が善で何が悪であるか、どのようにすればそこから抜け出せるか、そのようなことを認識できる力は、悪趣に落ちたときにはないのです。
 だから今のこのとき、人身を得た今こそが、唯一のチャンスであるといわれるのです。

 今回はまた仏教の基礎である「悪趣の苦しみを思惟すること」についてまとめてみました。

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