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マルパの生涯(12)

アビシェーカと口頭の教えを受け、
マルパがチベットへ帰る

 マルパの蓄えは尽き、またニュの蓄えも尽きました。二人は申し合わせて、一緒に帰りの道を進みました。

 ニュはこのように考えました。 

「わたしの方が金をたくさん持っているのに、彼の方がわたしよりも多くのことを学んだようだ。」

 彼の心に邪悪な嫉妬が生起しました。ニュは、二人のパンディタの友人と、一人のアツァラ、そして彼の本と荷物を運ぶ何人かの者と一緒でした。マルパは自分の本を束にして持っていました。ニュはマルパに言いました。

「我々のような偉大な翻訳者が荷物を持つべきではありません。このアツァラに持たせましょう。」

 そしてニュは、このアツァラにこっそりと金をやり、言いました。

「事故のように見せかけて、マルパの本を河に捨てなさい。」

 彼らの舟がガンガーの真ん中に来たとき、アツァラはマルパの本を河に投げ入れました。マルパはそれがニュの仕業であると知っていました。彼は考えました。
「チベットで金を見つけるのは難しい。インドでグルを見つけるのは難しい。これらの教えと口頭の教えほど貴重なものはない。それがなくなってしまったからには、わたしは河に身を投げて死ぬべきだろうか?」
 彼は真剣にそのように考えました。しかし、口頭で受けた教えのことを思い、少し気をとりなおしました。仕返しをするつもりはありませんでしたが、ニュに言いました。

「これはお前の仕業だ。」

「わたしではないよ。」
とニュは答えました。

 舟が岸に着くと、マルパはアツァラに言いました。
「わたしはこのことを王様に話すつもりだ。」

 アツァラは、ニュが自分に言ったことをすべて話しました。そこでマルパは、この「恥の歌」を即興でニュに対して歌いました。

 聞きなさい、カルマの力によって出会った友よ。
 あなたは、わたしが一緒に旅することに同意した人である。
 一般的には、あなたはダルマの門に入った。
 特別には、あなたは翻訳者、パンディタ、そしてグルとして知られている。

 あなたは、間違った意図を持って舟に乗った。
 誰も益することができないにも関わらず。
 一般的には、他者を害してはならない。
 特別には、ブッダの教えを傷つけることによって、わたしとすべての衆生を傷つけた。
 どうしてそのようなことができたのだろう。

 五つの毒を持つ煩悩から出た考えと行為によって
 あなたは、わたしの本と一緒に、自分が培った名声、金、聖なるダルマを、水の中に投げ捨てた。
 わたしが気にしているのは、物質的な価値ではない。
 これらの特別な教えは、衆生にとって貴重なのだ。
 わたしは、衆生がこれによって恩恵を受けられなかったと考えると悲しい。

 しかし、熱心に探求と実践をすることによって、
 わたしの心はダルマと混ざりあった。
 今、はっきりと、その言葉と意味を思い出すことができる。
 再びインドに帰って、
 マハーパンディタ・ナーローパや他のシッダたちに
 聞けばいいことだ。

 今日限りであなたは、グル、ダルマの師、翻訳者の名を捨てるべきだ。
 深く悔い、恥じて、チベットに帰りなさい。
 邪悪な行ないを懺悔して、激しく悔恨しなさい。
 今日のような行ないを為しながら、自分がグルだと自慢するなら
 愚か者は騙せるかもしれないが、
 価値ある者をどうやって成熟と解放に導けるというのだ?
 この得難い人間の身体を持っているのだから
 どうか、三悪趣の修習をしないでください。

 このようにマルパは歌いました。

 ニュは言いました。
「心配しないでいいよ。わたしの原本を貸してあげるから、それを写せばいいよ。」

 マルパは言いました。
「あなたが原本を貸してくれるかどうかはわからないが、たとえ貸してくれたとしても、あなたとわたしのグルと口頭の教えは違うのだから、役に立たない。わたしはあなたの本よりも、自分の頭に入っているものの方がいい。」

 マルパはすぐにでもインドに戻ろうかと思いましたが、思い直し、ニュに言いました。
「先ほど言われたように、あとで原本を貸してください。」

 二人がネパールに着いたとき、マルパは考えました。
「ニュと一緒にいても、悪業を積むだけだ。」
 そして彼はニュに、これ以上一緒に行く気はないと告げました。

 二人が別れるとき、ニュは言いました。
「本が河に投げられたいきさつを広めないでください。わたしの家に本を借りに来てください。」

 マルパはそうすると約束しました。

 ニュは、先にネパールからチベットの国境まで行き、おつきの者を迎えによこすようにと使いを出しました。彼らが着くと、ともにカラクへと行きました。

 マルパは、グル・チテルパと、白いハドゥに連れられた法友たちに会いました。彼らはマルパを歓待し、言いました。
「ニュは嫉妬心からあなたの本を河に捨ててしまいましたが、あなたがニュを怒らずに歌を歌ったのはよいことでした。瞑想修行の効果が出だしていますね。これはあなたが、誤った見解ではなく正しい見解を生み出したということです。
 どうか、経典の言葉に頼ることなく、あなた自身の心から出る、究極の見解の歌を歌ってください。」

 そこでマルパはこの歌を歌いました。

 おお、導き手である聖なるグル
 そして白いハドゥに連れられた方々、
 スートラとタントラの勉強を完成された方々よ、
 少し、チベットの歌をお聞きください。

 究極の見解は非常に特別で、
 住することがなく、分けられない。
 それは、三つの時の勝利者の心です。

 方便と智慧を区別したい者は
 極端に陥ることを避けなければならない。

 あなた方のようによく学んだ方々に対して話すのは難しいこと。
 この歌は今まで歌ったことがないので、うまく歌えないかもしれません。
 しかし、聞いてくださるならば、シャーストラの歌を歌いましょう。

 事象を真実として執着するのを避けること
 これが、マーラの軍勢を破る唯一の道だといわれています。
 そのような執着は、心を曇らせるということを理解せよ。
 奉仕者としての栄光と善行
 これを得ようとする特別な努力を捨てよ。

 無智な者は、「空」がニヒリズムだと信じている。
 ニヒリズムという極端は、功徳の蓄積の土台を崩す。
 空(そら)の花に欲望を持つ者は
 誤謬見解というあられで
 功徳の収穫を破壊する。

 空間の特徴を知らなければならない。
 空性を知らない者は皆、
 存在しないものを存在すると主張する。
 誤った道に陥った者は、蜃気楼を水と見る。
 真理を知らないことは、サンサーラの因となる。
 唯識論者や異教徒は、サーンキャやその他のように
 方便と智慧が別々のものだと主張する。
 彼らはそれぞれの哲学を持っている。
 これは、死んだ木に花が咲くと主張しているとの同じである。

 すべての仮定から自由なのが
 無住処の真理。
 これを完全に知ることが、プラジュニャーパーラミター(智慧の完成)。
 サンサーラとニルヴァーナの極端に住むことなく、
 慈悲は空性の精髄を持ち、
 方便と智慧を結びつける。
 これが、自己存在のサハジャである。
 同様に、わたしは
 至福と空、洞察と空が
 別々のものではないと理解する。

 非概念的な慈悲
 そして空性の原初の本性は
 単一の本性の中で、分けることができない。
 すべてのダルマはこのようであると理解するべきです。

 言葉でのみ示される見解に関しては、
 これはとらわれの対象であると見てください。
 普通の見解に沿って、
 カルマの原因と結果に確信を持ってください。
 それは、100カルパ経とうとも消えることはない。
 至高の賢者がおっしゃったように。

 慈悲のない人は、
 火に燃やされたゴマの種のようなものである。
 どうして、ここから別の種が出てこようか。
 土台がなければ、どうして特徴があるだろうか。
 ゆえに、これらの人々は大乗に入ることができない。
 最高の賢者ナーガールジュナは、このようにおっしゃった。

 もし、心の対象についての正しい見解がなければ
 聖なるダルマを与えても意味がない。
 それは、ただのもみ殻のようなものである。
 マルパ・ロツァーワはこのように言う。

 智慧の真理を持った、広大なる心の方々よ
 もし誤った意味があったならば、どうかお許しください。

 このようにマルパは歌いました。ネパール人のグル、彼の友の白いハドゥ、その他の人々は、大いに喜びました。

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