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パトゥル・リンポチェの生涯と教え(127)

◎パトゥルの唯一無二な性質

 外的には、パトゥルは一般人とあまり区別がつかない。非常に有名になってからも、パトゥルは偽名を使って旅をしていた。その平凡な外見と腰の低い振る舞いにより、正体がばれることは滅多になかった。
 どこかに滞在しているとき、パトゥルは特別な計画は一切しなかった。去ると決めたら、目的地も決めずにすぐに旅立った。滞在したいと感じる場所で足を止め、暮らした。――それは森であったり、洞窟であったり、渓谷であったり、雪山であったり、何もない辺ぴな場所だったり、遊牧民の黒いヤクの毛のテントであったりした。それらの場所で好きなだけ、飽きるまで暮らした。
 パトゥルはある日、自分のことをこのように言い表わした。

・荒れ地の気違いヨーギー
・世界に愛される子
・衆生の守護者
・慈悲と菩提心を育てる者

 パトゥルは、教えの伝承を確実に受け継いでいくことに関して、極めて慎重であった。
 スートラを基にした教えに関しては、正式に伝授されていない限り、その経典を一文も説くことはなかった。あるとき人々に、ナーガールジュナの有名な友人への手紙(スフリッレーカ)を説いてくれるように頼まれたが、パトゥルはそれを拒否してこう言った。

「それを教えることはできない。伝授されていないからな。――だから、教えることはできないのだ。」

 マントラヤーナ、タントラ聖典に基づく教えと修行法に関しては、パトゥルは、正式な伝授を受け、イニシエーションを受け、その瞑想修行を達成していない限り、その教えを一言も説くことはなかった。
 ゾクチェンの教えにまでくると、とりわけ厳重であった。心の弟子であるニョシュル・ルントクに、五十歳になるまではゾクチェンを説いてはいけないと言った。
 パトゥルがダルマを説くとき、人々の心は完全に変貌した。集まった弟子たち全員が寂静になり、自然と瞑想の中で安らいだ。一見単純な教えでも、パトゥルが説くと、それは百の深淵で崇高な理解を開示する扉となるのであった。パトゥルの言葉は、真っすぐに即座に、人の内なる経験と結びついた。広大な叡智、慈悲に溢れた祝福、深淵なる悟りがあるがゆえに、パトゥルから教えを受けるのと、その他の人から教えを受けるのとは異なっていた。
 パトゥルはロンチェンパの「七蔵」をほとんど暗記していた。四十歳を過ぎると、経典から教えを説くことはほとんどなくなり、記憶からストレートに教えを説いた。ゾクチェンのシュリー・シンハ哲学大学で教えを説いていた十三年間は、一度も、経典を一ページも使うことがなかった。非常に複雑な仏教哲学を説くときでさえもである。パトゥルの教えは水晶のように明晰で、何のためらいもなく説かれていた。
 タターガタ(如来)の言葉、勝者のスートラが衰えていくのは、経典を読むことをなおざりにするということから生じる、と言われている。パトゥルは常にこれを肝に銘じており、ダルマを聞くこと、あるいは説くことに関する活動すべてに、非常に熱心であった。他者がダルマを聞いたり、説いたりしているとき、パトゥルは嬉しそうだった。パトゥルは世俗の放棄と厭世を奨励し、人々を巧みに善なる方へと導いた。人々に人生を無駄にしてほしくなかったので、まだダルマの道に入っていない者たちを成熟させた。
 僧院に行くときは、パトゥルは、騒ぎ立てられたり、改まった歓迎を受けたりすることを避けるために、突然現われた。そして他の僧たちと同じように、普通の小部屋で暮らした。
 以前、パトゥルは、僧院の図書館以外では、入菩提行論などの数冊の経典しか持っていなかった。パトゥルの教えは、在家、出家の多くの人々から尊重された。パトゥルはほとんどの場合、入菩提行論、マイトレーヤの五論(1、アビサマヤーランカーラ【現観荘厳論】 2、マハーヤーナスートラーランカーラ【大乗荘厳経論】 3、ウッタラ・タントラ【宝性論】 4、ダルマダルマターヴィバーガ【法法性分別論】 5、マディヤンタヴィバーガ【中辺分別論】)、三つの誓い、そしてヨンテン・ゾを説いた。
 パトゥルは、それぞれの派に対して、それぞれの見解に従って、宗派主義的な見解を一切ほのめかすことなく、心に浮かんだものを、あるいはそれぞれの派の伝統的な解釈から教えを説いた。独特な、明快で徹底したやり方で、複雑過ぎず簡潔過ぎず、そのエッセンスを伝え、その見解と実際の瞑想修行をリンクさせた。
 多くの人々が――十歳くらいの僧でさえもが――入菩提行論をすべて暗唱し、その教えを説けるようにさえなった。在家、出家の無数の人々が、善い心を持ち、菩提心を育てることがブッダのダルマのまさに根本であるということを理解した。たとえ身分が低くとも高くとも、パトゥルは全員に同様のアドバイスを与えた。

「善き心を持ち、慈愛をもって行動しなさい。それよりも高い教えはない。」

 人々がパトゥルに名前を与えてくださるようにお願いすると、パトゥルは大抵、”ニンジェ(慈悲)”という言葉から始まる名前を与えていた。
 ダルマを学び実践することに心からの関心を寄せる者たちに、パトゥルは一切の労を惜しまず、教えを与えた。弟子がある”理解”を得ると、パトゥルはその弟子よりもさらに喜んだ。修行が進んだ者たちには、悪しき見解に堕ちることから彼らを守るために、菩提心と三つの智慧(聞くこと、思索すること、教えを実践すること)を培うように助言した。
 最高の能力を持った弟子たちには、グヒャガルバ・タントラ、ロンチェンパの安らぎを見つけるための三部作、ジグメ・リンパのヨンテン・ゾ、これらの深淵な経典の注釈、そしてゾクチェンなどのような最も深淵な教えを与えた。
 パトゥルの精力的な努力により、長い間軽視されていたマハーヤーナ(大乗)の教えは、再び広範囲に広まった。長い間衰退の道を辿ってきたグヒャガルバ・タントラの教えは、新たな輝きを再び取り戻した。長い間概念によってけがされていたゾクチェンの教えは、再び黄金のように輝きを放った。結果的に多くの弟子たちが、修行を成就した。
 パトゥルは、弟子の中の四人は、パトゥル自身よりも優れた性質を持っていると言っていた。――クンサン・ソナムは行為において、ギャロンのテンジン・タクパは論法において、オンポ・テンジン・ノルブは教えを解説する術において、ニョシュル・ルントクは見解の理解において、パトゥルよりも優れているというのだ。

 マントラヤーナの修行者に、パトゥルは警告した。

「ある修行者は、空性を少しばかり学んで理解し、何か月も何年も神を観想し、そのマントラを唱えていても、悪霊に生まれ変わる可能性がある。なぜならば、彼らは教えから外れており、悪意ある目的の虜になっているからだ。けれども、慈悲をメインの修行に置く修行者は、そのようなリスクを冒すことは決してないだろう。」

 新しい牧草の新芽が生えてくるように、パトゥルは、修行によって、そして四つの懺悔の力(過去の悪業を悔いる力、師や神の祝福を得る力、悪行への対抗手段として特別な瞑想を用いる力、今後悪行から離れるという決意の力)を用いて、自分自身を浄化するよう人々を鼓舞した。この堕落に堕落を重ねた時代において、パトゥル・リンポチェのような師の出現は、まるで真っ暗闇の空に現われる眩い月のように、慈悲の光を放ち、衆生の善のカルマがまだ完全には尽きていなかったということを示したのだった。
 パトゥル自身の行為は、完全完璧であった。パトゥルは早過ぎず遅過ぎず、飾り気なく堂々と歩いた。後ろを振り返るときには、首だけを回すのではなく、ゆっくりと体全体を右側から回して振り向いた。表面上はスートラの教えの権化であり、心の中には菩薩の揺るぎない慈悲の心を持っており、心密かに完璧にヴァジュラヤーナの誓約を守っていた。
 パトゥルは自分の行動については非常に几帳面だったので、ジグメ・リンパが書いていたように、「黄金や銀の供養から針と糸の供養に至るまで、わたしは布施された物質的な富を一度も誤用したことがなく、常にただただ善なる目的を成し遂げるためだけにそれらを使った」と誠実に言うことができたのだった。

 多くのラマたちと違って、パトゥルは手の祝福を与えることを拒み、こう言った。

「祝福と言って、わたしの手であなたの頭に触れて、一体何の意味があるのだね? あなたが本当に必要なものは、良き瞑想修行者となり、内側から心を変えることだ。」

 パトゥルは、手の込んだアビシェーカの儀式をすることを拒んだ。弟子が特別なアビシェーカを受ける必要があれば、他の師のもとへと弟子たちを送った。
 プライドや慢心を粉々に打ち砕くことによって、パトゥルは、まるで鼻くそを捨てるかのように、偉大であるがゆえの名誉を完全に放棄したのだった。パトゥルは、子供が道を駆け下りて行くように、気取らず、率直で、こだわりなく行動した。
 それでも、パトゥルの心は非常に深く、確固としており、その霊性の輝きはまさに他に類をみないものであったので、非常に力のある裕福な統治者や高僧たちが、彼の前では皆、恐縮し、脱帽した。
 パトゥルは隠遁ヨーギーとして生涯を過ごし、名声よりも独居や無名であることを好んだ。心から謙虚であったパトゥルは、修行によって、どんな状況でも穏やかでいられる揺るぎない確信と心の自由を成熟させた。パトゥルは、生涯に渡って堂々とした風采でゆうゆうと暮らし、幾千人の人々に向かって講話をする豪華金襴な玉座にも、病弱な老婦人の便器の中を掃除することにも満足していた。

 オンポ・テンガはこう言っていた。

「われわれはそんなに真剣には因果の法則を受け入れていない。だから、われわれの修行はわずかな結果しか出ないのだ。因果の法則をしっかりと受け入れていたら、われわれは皆、パトゥル・リンポチェのようになっていただろう。」

 パトゥルの人生全体が、純粋でけがれなく、彼らしく、光輝いていた。どのようにパトゥルの人生を見てみても、その生きた実例が、人々の教えへの確信を高めるのである。
 パトゥルは無駄話に耽ることなく、それゆえに滅多に話をしなかったが、話をするときは、率直にぶっきらぼうに、渋い声で語った。パトゥルの身近で時を過ごすことができた幸運の持ち主たちは、パトゥルは決してダルマと関係のない言葉を話さなかったと言っていた。パトゥルの生活すべてが、教えを実践し伝道していくことに捧げられていたのだった。
 パトゥルの、注意が行き届いた、覚醒した存在感が、人々に畏敬の念を呼び起こした。妥協のない修行の指導を本当に望む者たちだけが、思い切ってパトゥルに会おうと試みた。
 パトゥルが人々を叱るとき、あるいはより珍しいこととしてパトゥルが人々をからかって笑い物にするときは、そこに修行の教えが隠れているのが常であった。
 パトゥルは決して自分の内なる悟りを自慢することはなかったが、ときどきパトゥルの歌の中に、深淵なる瞑想経験、悟り、内なる性質が示されているということに人々は気づくのであった。

 パトゥルの神聖なる歌の一つに、このようにして締められているものがある。

 入った――解脱の道に
 疲れ果てた――すべての迷妄なる思考に
 進歩した――内なる経験と悟りが
 浄化された――迷妄が
 受け取った――三つの根本(グル・イダム・ダーキニー)の神々の祝福を
 滅ぼした――ガチガチな現実への根本的な確信を
 これらの風変りな言葉は、みすぼらしい男によって書き留められた。
 こいつは今、ダルマカーヤの連続体の中で満ち足りていることだろう。

 パトゥルは、まるで母が自分の子に対して無限の愛を感じるかのように、すべての衆生に対して深い慈愛を感じていた。
 パトゥルの言葉は、偽善や誤魔化しがなく、黄金のように信頼のおけるものであった。矛盾する言動をすることなく、人生を生きた。彼の価値観と目的と行為は、常に首尾一貫して修行の道に従っていた。
 パトゥルは決して、貴族や権力者の前でもへつらったりせず、痴人、身分の低い者、貧者を軽蔑することも決してなかった。
 パトゥルはしきりに、教えに則って行動している人たちの良い性質を称賛したがっていた。救いようがないと見なした人たちは例外として、ダルマとは正反対に行動している人たちの欠点はバシバシ指摘した。非常に厳格であって、恐ろしく抗い難い様子で人を叱りつけたときでさえ、彼の言葉には全く嫌悪や愛著がなかった。パトゥルが伝えようとしたことを理解しようと努力しても、パトゥルの助言の真意は常に深淵であった。
 パトゥルは、本当の意図を隠して表面的に礼儀正しさを装っている邪な人々は相手にしなかった。世俗的な事柄から得たり失ったりするものは何もなかった。正しい言葉と正しい行動から外れることは決してなかった。心は大海のように広く、深かった。
 パトゥルは、ほとんどすべてのものに精通していた。――建築や工芸などのさまざまな技術を持っており、非常に複雑な現世のシチュエーションや慣習にも上手く対処することができた。それと同時に、執着からは解放されており、世俗的な期待と不安を超越していた。
 パトゥルは、放棄者たちの師であり、それゆえに心配事からは完全に解放されていた。最初、パトゥルは無愛想で、威嚇しているように見えることもあるが、共に時間を過ごすにつれ、パトゥルには一切偏愛がないということに人々は心から気づくのである。――彼には全く期待と恐怖がなかったのだ。パトゥルは実際、常にオープンで、リラックスしており、一緒にいるのがとても楽であり、あらゆる状況の善悪を一つの味と見ることができていた。
 最終的に、人はパトゥルと離れることに耐えられなくなるのであった。

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