パドマサンバヴァの秘密の教え(92)「安穏を得る方法」
◎安穏を得る方法
師パドマはこう仰った。
「方法を知るなら、安穏を得る方法がいくつかある。」
ツォギャルは尋ねた。
「どうか、それをご教示ください!」
師はこうお説きになった。
「二元の固定観念から自由になれば、見解は安らかである。
怠惰、論争、娯楽がなくなれば、瞑想は容易い。
執着が空間のように浄化されたなら、行為は安らかである。
心のシミが清められたなら、経験は安らかである。
心が悩みから解放されていたら、自分の住まいが心地よいと感じられる。
偏見が取り除かれたとき、慈悲の心は容易に起こる。
固定観念が内側から取り除かれたとき、寛大さは容易となる。
食べ物と富が幻であると知るとき、喜びは容易となる。
尊大な側面が無いとき、日常の行動は安らかである。
苦しみに耐える家庭人の生活を送っていないなら、暮らしは容易である。
高貴な資質を張り合うことをしなければ、仲間付き合いは安らかである。
子供っぽい行いをせず、エゴに執着しないなら、その人は安らかである。
慈悲と口頭の教えを持つ崇高な師に仕えるとき、その人は安らかである。
スガタの本質は輪廻界の全ての衆生の中に存在するということを理解するとき、衆生があなたの近い身内であると感じるのは容易である。
執着を切り捨てて進むとき、あなたは何をしても安らかである。
現象と存在が自然に無くなったとき、大いなる歓喜を見つけるのは容易である。
見るもの、聞くものが幻であると悟るとき、苦しみを切り開き進むことは容易である。
自分のありのままの顔を認識するとき、努力や苦闘から解放されるのは容易である。
思考がダルマターであると認識したら、見るもの全てを瞑想として使うことは容易である。
これらを理解すれば、何をしていてもあなたは安らかであろう。
エゴへの執着から離れることがない暗黒の時代の衆生には幸せはない。彼らは全て哀れむべき者達である。」