眉間にオーム字
今朝、瞑想していると、眉間にオーム字が見えてきた。
ところで、よく霊視とかヴィジョンとかいう場合、どういうものを指しているのかは、人によって違うのかもしれません(外に出して比べられませんから(笑))。私が経験するヴィジョンというのは、大きく分けて二つのパターンがあります。
その一つはイメージの展開で、それは夢のようなものです。
もう一つは、肉眼で見るような、ハッキリとした視覚的経験です。そしてここで話しているのはこの後者のパターンです。
私は眉間のオーム字はよく見ます。初めて見たのは私が中学生か高校生の頃、まだヨーガ修行を始めたばかりの頃です。眉間に意識を集中して瞑想していると、横長の楕円形というか、円の両側に葉っぱがついているようなヴィジョンが見えてきました。
その頃の私はまだあまり知識がなかったので、チャクラというのはすべて円形で、放射状に花びらがついているものだと思っていたので、このような形がなぜ見えるのか、疑問でした。
また、この眉間に、光でできた梵字のオーム字が見えてきました。
そしてその後、ヨーガ経典を学ぶと、実際にこの眉間のアージュニャー・チャクラは、左右に二枚の花びらがついた楕円形のような形をしており、しかもそこにはオームの種字が描かれていたのでした。
こういった経験から、こうしたヨーガや仏教の神秘的生理学の世界は、誰かが教義として作り上げたものではなく、実際にそこに存在するものを修行者たちが実際に「発見」していったものなのだなと思いました。(知識よりも経験が先に来て、それがのちに入れた知識と一致していたので)
しかしまあ、ふつうはオーム字が見えてきても、そこでそれをじっくりと観察することはなく、もっと奥へと入っていきます。その方が利益がありますから。
ラーマクリシュナ風に言うと、
「マンゴーの枝を数えている暇があったら、マンゴーを食べろ」
です(笑)。
また別のたとえで言うと、たとえば旅行のために成田空港に来たのに、飛行機に乗らずに、成田空港のドアの質とか、建築様式とか、そういうことに興味を持っていても意味がないということです。早く飛行機に乗れと(笑)。
つまりチャクラや梵字が見えるとか、そういう経験は、より深い瞑想の入口に過ぎないのです。
しかし今日はあえて「それより奥」には入らずに、そのオーム字をじっくりと観察してみました。
今朝は、まず全体が光で、そこに影のようにオーム字が見えてきました。
というより、最初はいわゆる「ア」の文字でした(オーム字の下の部分)。
そして集中していると、その上にいわゆるビンドゥと呼ばれる、丸い滴が見えてきました。これで「アム」ですね。
そして次にあのV字型のような部分が見えてきて、オーム字が完成しました。
今日見えたオーム字は、全体的には少し角ばった、チベット文字のような雰囲気でしたが、「ア」の部分の形自体は、チベット文字ではなくインドのデーヴァナーガリー文字の形でした。しかしV字型の部分は、チベット文字のような鋭い形をしていました。
しかしよく考えると不思議ですね。このオーム字という文字は、人間が考えたものではなく、元からここにあったものなのでしょうか。
しばらく観察していましたが、それは消えることなく、当たり前のように、そこにあり続けました。
しばらくして、出かける用意をするために、瞑想を終えました。