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「何を拝むべきか」

◎何を拝むべきか

【本文】
 神々を拝む者は、その神々のもとに行く。霊を拝む者は、その霊のもとへと行く。 
 しかしわたしを拝む者は、わたしのもとへとやってくる。

 これもさっき言ったのと同じだけどね。それぞれのカルマによって、それぞれの何とか様とかを拝むわけだけど――だからみなさんもね、例えばそれぞれ仏教とかヨーガとか興味あるだろうけど、信仰の対象というのは考えた方がいいね。
 例えば、日本ではいろんな何とか神とか何とか様とかいろいろあるけども、単純にわれわれに幸福を与えてくれる天の神とか、そういうのはあまり拝まない方がいいね。
 「霊を拝む者は」ってあるけども、だから現代的な先祖供養とか――お釈迦様もね、これはみなさん知っているか分からないけども、お釈迦様は先祖供養を禁止しています。それは戒律で設けているんです。死んだ霊を供養してはいけないと。それは仏教の話でいったら、死んだ人は生まれ変わるわけだから。生まれ変わっているのに、死んだ霊に供養しているっていうのは、その人は生まれ変わっているんだけど、明らかに霊の世界ってあるんだね。これは仏教ではプレータって言うんだけど。霊の世界と縁ができてしまうんだね。その霊の世界にわれわれも生まれ変わってしまうかもしれない。つまり簡単にいえば、幽霊になるということです。幽霊っていうのは、死んだ人がみんな幽霊になっているんじゃないんです。幽霊って実はね、みなさんのもっと知っている言葉でいうと「餓鬼」なんです。よく餓鬼っていうよね。餓鬼界っていうんだけど。
 つまり地獄・餓鬼・動物――これを仏教で三悪趣といって、三つの悪い世界というんだけど。この餓鬼って、日本で餓鬼っていうと、おなかがでかい、おなかを空かせた鬼みたいなのがよく描かれるけど、ああいうんじゃなくて、餓鬼って幽霊のことなんです。その世界があるんだね。
 だから現代みたいに、いろんな霊能者が「なんとかの霊が憑いている」とか、ああいうのを信じていろいろやってると、霊の世界に行ってしまいます、その人が。霊の世界と縁ができるから。
 ではなくて、合格祈願とかね、あるいは現世的な願望成就とか、そういう神様にお祈りしていると、せいぜいそれくらいの天の神の元に行くだろうと。じゃなくて、もうちょっと高い菩薩とか、あるいは観音様とか、衆生を救うみたいな、そういう菩薩の世界に帰依していると、当然その菩薩の世界に行くだろうと。われわれが思念をして、そして心を向けた方向にわれわれは行くわけだね、当然。
 もちろん、だからといって、条件は必要だよ。天の神を祈ってても、徳がなければ当然天には行けない。単純に下の世界に落ちるかもしれない。逆に言うと、その人がいくら徳を積んでても、その人の祈りの対象が欲望の天だったら、欲望の天以上には行けないということだね。さっきも言ったように、欲望の天の中で、徳を使い果たして終わってしまう。だから祈りの対象というかな、帰依の対象は間違えないようにしなさいということですね。

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