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「解説『ただ今日なすべきことを』」第二回(3)

 はい。ここまで何か質問等ありますか。

(質問者)その瞬間に感動するっていうのは、達観した感じではないんですか? 没入しちゃうんですか? なんかその目の前にある、例えば今だったらこの感じに、なんか達観する感じなのか、意識をはっきりさせる感じなのか、それをちゃんとこう見るっていう感じなのか……。

 いや、ちゃんと見てるんだけど、でも達観してるんです。つまりどういうことかっていうと、引きずられないから。その瞬間には没入してるんだけど引きずられてないんだね。つまり普通引きずられるじゃないですか。例えばさ、今、「あ!――さっきの――紅イモのタルトうまい」と。まあこれはこれでいいわけです。「ああ、なんておいしいんだろう」と。で、引きずられるわけです、ずーっと。だって味覚っていうのはすぐなくなる。その舌と喉を過ぎたらなくなるわけだけど、普通は、「ほんとおいしいですね」と。「ほんとにうまかったね」と。わたしもよくそういうこと言うけどね。食べたあとに、「あれおいしかったね」と(笑)。

(一同笑)

 これはもう引きずられてるんです(笑)。でも、もう消えてるでしょ? もう過去になってるんです。だから、「うわー、うまい」と。で、次の瞬間には今度は次の今の瞬間に集中しなきゃいけない。そういう意味では達観してるって言えるね。うん。でもその瞬間瞬間生じるいろんなものには、まあ没入していいっていうか、その人のレベルによるけどね。その人がもともと、さっき言ったみたいな、味覚っていうものを超越してたら、もちろんその味覚さえ生じない。だからそれはまたちょっと別問題だね。このリアルに今目の前に現われる現象をどうとらえるかはまた別問題。でも、その人それぞれのレベルでこの今をとらえるんだね。
 だから言ってみれば、今言ったように味覚を超えろとまでは言ってない。例えばそこでおいしいと思っちゃうんだったらそれはそれでいいんです。あるいは例えば恋人がいてね、その恋人との今の瞬間が楽しいって思うんだったらそれはそれでまたかまわない。でも引きずるな、っていうんだね。「はー、楽しい」と。でも次の瞬間には全く関係ない。次の新たな世界が現出しているわけです。これをしろと言ってる。なかなか大変だけどね。
 だから――でもこれ、苦しいんです。つまり例えばさっきまで執着してた相手がいて、次の瞬間、はい、じゃあ今の終わり、はい次の瞬間ですよ――ここで絶対執着しちゃいます。「ああ、あの人と別れたくない」とかね。だったら最初から執着しなきゃいいんです。よって執着はしない方がいいんだね。執着しない方がいいとか煩悩を断てっていうのは、すべて理由があるんです。今に集中できないからなんです。ちょっと逆説的なことを言うとね。
 だからそれはその両面から攻めるしかないね。まず今に集中するっていう一つの努力と、それから一つ一つのその執着とか錯覚を弱めてくっていうのと。これは別の方向性なんだね。でもそれはどちらもしなきゃいけない。
 だからわれわれの一番の敵っていうか、われわれを苦しめる要因は、「とらわれ」なんです。執着なんだね。執着っていうか、つまりとらわれ、持続的な執着だね。これがすべての苦の原因です。これはお釈迦様もそう言ってます。つまり、無常なるがゆえに苦であると。で、それはつまり無常なるものにとらわれることが苦なんだと。
 これはいつも言う話だけど、無常自体は別に苦じゃないんです。無常ってのはいろんなものが現われては消えていく。これはただの現象だから。これは苦とか楽とかそういう話ではない。じゃあなんで無常が苦なんですかと。消えるものにとらわれてるから。だから苦が生じる。消えるものに執着しちゃってるから、それが変化すると苦しい。これは執着と逆の嫌悪もそうだね。その過去のことにとらわれるからそこで怒りが生じる。本当はどんどんどんどん現象は変わってるのに。これをね、普段から考えたらいいね。その執着とか怒りとかいうことに関して。瞬間瞬間変わってる。
 あの、例えばだけどさ、すごい嫌なやつがいたとして、その人がガーッて自分に嫌なことやってきたとしても、もしかするとだよ、次の瞬間、この人変わってるかもしれない。超いいやつになってるかもしれない(笑)。全く分かんないです、われわれにとってはね。うん。だからその決して固定的な、断定的な見方をしてはいけないんだね。あらゆるものに対して。それが執着につながっていく。だからあらゆるものを瞬間瞬間リアリティをもって見つめる。
 ただね、これはね、実はこれが本当にできたら、もう悟ってます。それは「明」っていうんだね。無明じゃないと。つまり無明っていうのは引きずられることを無明っていうから、これは本当にできちゃったらもう悟り――悟りっていうか仏陀なんだけど(笑)。ただ、だからこれはわれわれがそのような努力をすること自体がわれわれを悟りに近づけます。
 瞑想もそうだよ。瞑想も引きずられた瞬間、失敗します。瞑想っていうのは結局、この今の瞬間に集中し続けなきゃいけない。でもね、ちょっと引きずられるんだね。例えばですよ、こう瞑想してて、グッと雑念がなく集中してると、今この瞬間に集中した瞬間、素晴らしい瞑想が始まります。でもここから、「お、今の瞑想なんかすごくなかった? おれ、すごい瞑想だったじゃん」――どんどん過去に引きずられる(笑)。あるいは未来のパターンっていうのは、「さあさあさあ、どんな瞑想がやってきますかね」と。

(一同笑)

 そんなこと考えるよりも、今に集中しなさいと(笑)。瞑想はこれで失敗するんだね。うん。だから瞑想はもうこの今の瞬間に集中しなきゃいけいない。で、できれば日常生活においてもそれをやり続ける。これは一つのわれわれの、まあトライっていうか、トライしなきゃいけない一つの修行項目ですね。これをちょっとでもやってるだけでも結構苦しみは減ると思います。
 あと、自分がどれだけとらわれてるかっていうのがよく分かると思う。結構気付かないうちにとらわれてるんだね。気付かないうちに、こうなったらどうしようとか、あるいはあれはこうだったなとか、もうそれでもう一日が終わってしまう。そんなことばっかりずーっと考えてる。じゃなくてもう――だから修行じゃない日々の仕事とか、いろんな日常的なことでもそうなんだけど、全部この瞬間瞬間に集中するんです。その一つ一つの動作も含めてね。これは一つのまあ素晴らしい修行だね。そしたら相当に苦しみが消えます。だって今この瞬間ってのは、さっきも言ったように、瞬間瞬間新鮮に移り変わるわけだから。仮にちょっと前までの自分が全然駄目な人だったとしても、次の瞬間にもう生まれ変わってます。ここに集中してれば全く、なんていうかな、心のけがれとかあるいは悪しき状態っていうのは持続しない。これはぜひ日々トライしてみてほしいね。
 

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