「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第八回(8)
◎決して怒らないこと
はい。「人に怒りをぶちまけること」。まあこれは当たり前だけどね(笑)。これをしたら大乗の障害となりますよと。まあ怒りをぶちまける以前に、当然、怒りっていうものをなんとか克服しないといけないわけだけど。
これも最後なんでちょっとだけ言うと、これもまあ、いつも言ってるように、現代の宗教とか、精神世界とか、心理学とかでは、逆に「言いたいことは言っちゃったほうがいい」みたいなことを言う人が多いわけですね。でも何度も言うけど、それは絶対駄目です。特に怒りとかね。それを表現することによって、一時的にエネルギー的に怒りのエネルギーがガッて発散されるから、一時的には静まるんだけど、その人の心の中の怒りのそのカルマっていうのは増大します。だからこれはまさに抑え込むんです、怒りっていうのはね。怒りとか嫌悪とか、あるいはそうですね、憎しみであるとかね。この非常にマイナスの、あるいは暗闇のエネルギー、これはできるだけ抑えた方がいい。で、慈悲の心や帰依の心で心を満たすことによって、その怒りの心をグーッと抑えた方がいい。ストレスになったってかまいません。ね。ストレス発散なんて考えなくていいよ。ストレスをグーッと抑え込む。
あの、ちょっと秘儀的なこと言うと、この、われわれが、教えを学ぼう、教え通り生きようと思って、煩悩を抑え込んで生じるストレスがあるよね? これがクンダリニーなんです。このクンダリニーの力がわれわれの結節を破り、われわれを目覚めさせます。だからこれをやらない人には決して解脱はないです。なんとなくね、「まあ怒ってもいいじゃない?」と。「たまにはいろいろ欲望満たしてもいいんじゃない?」――こういう人はどんどん漏れるから、ストレスの凝縮が起きないんだね。これはちょっと密教的っていうかクンダリニーヨーガ的な話ですけどね。
はい。とにかく怒りは決して許してはいけない。もちろん、さっきから言ってるように、神への愛や衆生への愛が高まることによって自然に怒りが脱落する、これも最高だね。でもそこまでいかなくても、ちょっとどうしても怒りがガッと湧いてきてしまう。もう徹底的にそれは――前から言ってるけどね、もういろんな武器によって抑え込んでください。いろんな武器っていうのは、例えばある経典が効きそうだったら、その経典を徹底的に繰り返す。あるいはトンレンみたいな瞑想がいい場合はそれをやると。あるいはムドラーとかでエネルギーを上げると。
お釈迦様の経典でも前、エッセイ集にも書いたけど、面白いのがあるよね。例えば自分の心に怒りや、その他の執着とかが湧き起こってきたら、「こうしなさい、こうしなさい」っていろいろ書いてあるんだね。まずはこういうふうに分析しなさいとか、あるいは、こういうふうにこのを修行しなさいとかいろいろあって、最終的に、もうこれでも駄目だったら、最後は「歯を食いしばれ」って書いてあるんだね(笑)。もう歯を食いしばって耐えろと。ね。だから、もう何段階にもできることをやって、もう最後にもうどうしても駄目だったら、歯を食いしばって耐えると。あるいはシャーンティデーヴァは「木材になれ」って言ってるけども、とにかく自分を抑圧して、最後はね――さっきから言ってるように、肯定的な教えとか、修行法で怒りを昇華できたら最高ですよ。でもそれができない場合は最後はもう抑え込んでください。部屋に籠ってもいいよ。部屋に籠っても何してもいいから、とにかくグッと抑え込む。決して新たな怒りのカルマ――怒りだけじゃないけども、せっかく聖なる道に巡り合ったんだから、「決して今この瞬間からはちょっとも悪いカルマは積まないぞ」と。「ちょっとも心をけがさないぞ」と。ね。徹底的に浄化の道、あるいは神への道だけを進み続けること。これぐらいのやっぱり心構えが必要だね。
-
前の記事
「完全な世界」 -
次の記事
「私が見たブラフマーナンダ」より「我が師」(14)