解説・ナーローの生涯(7)
◎つじつまが合わなくなる
はい、そしてこれは、だからもう一回言うけど、この話っていうのはすごく高度であると同時に、ちょっと論理的に説明するような話では本来ないんだけどね。このナーローの師匠探しが始まってからっていうのは、ちょっと伝わるか分かんないけども、もうナーローはある意味、ちょっと違う世界に足を踏み入れ出してるんです。
でもこれはね、ちょっとストレートに言うけども、われわれも、あるいはみなさんもあり得る話っていうか、おそらくそうなります。おそらくそうなるっていうのは、ちょっと別の言い方でみなさんに何回か言ったけども、よくわたしこういうこと言うよね、この世はすべてつじつま合わせですよと。つまりわれわれが目に見える、頭で普通に理解できるこの世の法則性ってあるよね。「あ、これはこうなってこうなったんだね」、でもそれはすべてつじつま合わせであって、その裏側の、あるいはもっと奥に神の法則、あるいはわれわれを動かしてるもっと奥の別の流れがあると。で、表面的なことっていうのは、一応われわれが頭で納得できるようにつじつまが合ってるだけですよと。で、しかしわれわれが、本当にすべては神の愛である、すべては神の思し召しであるっていう心がどんどん強くなってくると、つじつまを合わせる必要がなくなってくるので、神がだんだんつじつま合わせをやめてくると。だから何かだんだん人生でつじつまが合わなくなってくるっていう話を、前から何回かしてると思うんだけど、それを別の観点から言いますよ。
別の観点から言うと、まさにこのナーローのみたいな話で、何かね、ある時期から、この世界が――この世界がっていうよりも、ちょっとその修行者が違う世界に足を踏み入れてしまったような感覚になるんだね。つまり世界全体が、ちょっと誤解を恐れずに言うならば、自分の修行を進めるためだけのゲームのような、劇のような形で世界が見えだしてきます。で、そこでまさにつじつまが合わなくなってきます。
つまり例えばちょっと極端にいうと、「さあ、わたしの小さいころからいろんな人に悪口を言ってきた口のカルマがそろそろ落ちなきゃいけないときかな」っていうときになると、いきなり口の悪い人がいっぱい集まってくる。バーッてね。しかもそれは、常識を越えた範囲で集まってきます(笑)。つまり例えば一人そういう人がいるとかじゃなくて、例えば職場の全員がそういう人になったりとか。「こんなことってある?」と(笑)。例えば同僚が五人全員入れ替わってみんな口が悪いとかね。それで例えば、また別の場面でね、例えば会社から家に帰ってきても、例えば自分が何か失敗したりしたときとかに、その時期に限っていろんな人に悪口を言われる。批判されると。
ちょっと最初の段階ではですよ、最初の段階では普通に生活がこう動いてる。それを自分の頭によって、つまりこっちの受け取り方によって、「あ、これはこういうふうに受け取ろう」と。「あ、何か今悪口言われたから、これはじゃあ自分のカルマ落ちたと考えよう」と。「今度はこういうことが起きた――こう考えよう」、こういうふうに何もしないでいれば、普通に過ぎていく人生を、われわれがいろんなふうに見るっていう段階なんだけど、ある時期からそうじゃなくて、もう完全に世界そのものがこっちに挑戦してくるっていうか(笑)、この世界そのものが――なんて言うかね――ちょっと整合性が取れなくなるっていうか。「ちょっとこれ、夢なの? 今わたしは夢の世界にいるんでしょうか?」ってぐらいに、ぐじゃぐじゃになってくるんだね。すべて自分の修行を進めるためだけに世界が回りだすような感じになってきます。だからこういう話ってなかなか話しづらいんだね。
っていうのはさ、今わたしがこういうこと言ったけども、じゃあみなさんはこう思うかもしれない。「じゃあ、それ客観的にはどうなんでしょうか?」と。「つまり真実は何なんですか?」と。つまり本当は客観的には別に何もなくて、本人がそういう世界に突っ込んでるだけなのか――でもこれには実は答えはないんです。答えはないっていうのは、そもそも全部幻だから、ね。客観的な世界っていうのも幻だし、その人が突っ込んでる世界も幻だから、だから基準点がないので何だって言えないんだね。でも、経験上ではまさにそういう感じなんです。ある時期からそういう世界に足を踏み入れ出す。
で、このナーローみたいな話っていうのは、まさにそれが起きやすい。起きやすいっていうのは、つまり放浪してるわけです。放浪して、しかも昔のインドだから人も少ないし、つまり誰もいないような荒野を歩いていったりするわけだね。周りに誰もいませんと。あるいはインド全体が不思議な国だから――前も言ったけど、ある昔のね、わたしが教えてた生徒さんが一人でインドに行って、で、帰ってきて、どうだったっていう話したら、まあいろいろ話したんだけど、「ちょっとびっくりしたことがありました」とか言って、「インドって夜、空見たら月が二つあるんです」とか言って、「インドって月二つあるんです」――その人も大概な人なんだけど(笑)、ちょっと別に何かすごく疑問な感じでもなくて、「インドって二つあるんですね!」とか言って、で、それを聞いたわたしも、「あ、インドならあるかもね」って(笑)。つまりインドってそういう感じのところがあるんだね。つまりちょっと不思議な世界っていう感じがあるから、何かインドならあってもいいかみたいな(笑)、ちょっと観念が壊れてる世界だからね。うん。日本では逆にいうと、そういうことは起きづらい。もう大ニュースになっちゃう、月が二つあったりしたら(笑)。だからそういうインドの土壌もあるし、人が少ないっていうのもあったから、おそらくそういう現実の変形みたいなのが起きやすいんだね。いろんな不思議なことが起きやすい。
はい、で、もう一回ちょっと話戻すけど、ここはちょっと半分推測的な話をするしかないけども、おそらくここら辺は、ここら辺っていうかね、最初のいくつかのパートは、ナーローの特に精神的な嫌悪とか怒りとか憎しみ的な――つまりみんな知ってると思うけど、われわれの煩悩っていうのは、大きく分けると執着の系統か、あるいは憎しみとか怒りの系統、そして無智ね。この三つに大きく分けられるわけですね。その怒り系統、憎しみ系統のわずかに残ったけがれを落とすための試練ともいえるし、テストともいえるっていうかな、それがいくつか続くパートだと思いますね。
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