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「ヴィヴェーカーナンダ」(終)

 死の数か月前、ヴィヴェーカーナンダはインドや世界の各地に散らばっていた弟子たちに非常に会いたがり、ほんの少しでもいいからベルル僧院に来るようにと手紙を書きました。世界の各地から、多くの弟子たちがヴィヴェーカーナンダのもとに集まってきました。地球の反対側からやってきた弟子たちもいました。ヴィヴェーカーナンダは病気でしたが、まだ39歳の若さだったため、死が間近に迫っているなどとは、そのときは誰も考えていませんでした。そのため彼らは、ヴィヴェーカーナンダとの再会を喜んだあと、気軽にまた別れを告げ、帰って行ったのでした。

 1902年5月、ヴィヴェーカーナンダは最愛の弟子のひとりであるマクラウド嬢に、最後の手紙を書きました。
「私は幾分良くなっていますが、もちろん、期待からはほど遠い状態です。静寂という大いなる考えが浮かんできました。私は永遠に隠退しようとしています。これ以上、仕事はごめんです。できるならば、昔の托鉢時代に戻りたいものです。ジョーよ、すべての祝福があなたに恵まれますように。私にとってあなたは良き天使でした。」

 ある日、兄弟弟子の一人が、全く偶然に、何気なく、ヴィヴェーカーナンダに尋ねました。
「あなたはもう、自分が誰であるかをご存知ですか?」
 ヴィヴェーカーナンダは答えました。
「はい、知っています。」
 この回答を聞いて、そこに居合わせた人々はみな、恐れました。というのもかつてラーマクリシュナは、ヴィヴェーカーナンダが自分が誰であるかを知ったならば、もはや彼はそれ以上生きようとはしないだろうと予言していたからです。
 みなは沈黙し、それ以上ヴィヴェーカーナンダに質問することはありませんでした。

 死の2日前、7月2日の水曜日、ヴィヴェーカーナンダは断食をしていました。その日の朝、ニヴェーディターが、彼女が指導する学校の問題についての質問をしにヴィヴェーカーナンダを訪ねてきました。しかしヴィヴェーカーナンダはその質問には興味を示さず、他の僧に任せると、ニヴェーディターの反対を押し切って、彼女の朝食の準備を始めました。
 ヴィヴェーカーナンダはニヴェーディターのために、ジャックフルーツの実の煮つけ、ポテト、ご飯、冷たい牛乳などを給仕しました。ニヴェーディターは師と楽しく雑談をしながら、それらを味わいました。
 食事の終りに、ポットの水で手を洗うとき、ヴィヴェーカーナンダ自身が、弟子であるニヴェーディターの手に水を注ぎ、タオルでそれをふいてあげました。
 ニヴェーディターはその行為に対し、強く抗議しました。
「それは弟子である私の方こそが、あなたにすることです。スワミジー! あなたがなさることではありません!」
 それに対してヴィヴェーカーナンダは、まじめな顔をして答えました。
「イエス様も、弟子たちの足を洗いました!」
「それは!――」
 ニヴェーディターは、次の一言を言えずに、言葉に詰まりました。おそらくニヴェーティターの頭にも浮かんでいたであろうその言葉を、ヴィヴェーカーナンダ自身が言いました。
「しかしそれは、最期のときでした!」
 それ以上、ニヴェーディターは何も言えませんでした。ヴィヴェーカーナンダもまた、何も言いませんでした。

 7月4日の朝、ヴィヴェーカーナンダは非常に早く起きると、礼拝堂に鍵をかけ、ただ一人で三時間ほど瞑想しました。瞑想から立ち上がると、聖堂の階段を降りながら、カーリー女神の美しい歌を歌いました。

 私の母、カーリーは本当に黒いでしょうか。
 女神は黒く見えるけど、裸の女神は心の蓮華に灯をともします。
 人は女神が黒いという。
 しかし私の心は、女神がそうだとは信じません。
 女神はときには白く、赤く、ときには青く、また黄色に見えます。
 私は母がどんな方か、ほとんど知りません。
 終生、考えましたが、ときにはプルシャ、ときにはプラクリティ、
 そしてときには空なるものに思われます。
 これらすべてを瞑想すると、哀れなカマラーカーンタの智慧も困惑します。

 そしてヴィヴェーカーナンダは、囁くように言いました。
「もしもう一人のヴィヴェーカーナンダがいたならば、このヴィヴェーカーナンダが何をなしたかを理解したであろう! 
 そして時が来れば、多くのヴィヴェーカーナンダが生まれてくるであろう!」

 またその日の午後、ヴィヴェーカーナンダは僧院の仲間たちと、さまざまなことを語り合いました。そして彼はこう言いました。
「インドが神を求め続けるならば、インドは不滅である。
 しかしインドが政治や社会闘争に走るならば、滅びるであろう。」

 夜七時、礼拝の時間を告げる鐘が鳴りました。ヴィヴェーカーナンダは自分の部屋に行き、付き添いの弟子に、自分が呼ぶまで誰も入ってこないようにと指示しました。ヴィヴェーカーナンダはは数珠を繰りながら一時間ほど瞑想すると、弟子を呼び、窓を全部開け、団扇であおいでくれるように頼みました。
 ヴィヴェーカーナンダは数珠を手にしたまま、静かにベッドに横になりました。一時間後、ヴィヴェーカーナンダの両手が少し震え、そして一度、非常に深く呼吸をしました。1、2分後、再び非常に深い呼吸をしました。彼の眼は眉間に寄り、神聖な表情を浮かべたまま、マハーサマーディ、永遠の静寂に入っていきました。
 そのとき、ヴィヴェーカーナンダの目と口には、血が滲んでいました。これは伝統的なヨーガの考えによると、ヨーガ行者の魂が、頭頂の出口から抜け出て、高い世界へ行ったことの証とされていました。

 それは1902年7月4日の夜9時10分のことでした。ヴィヴェーカーナンダはかつて、「私は40歳までは生きられないだろう」と言っていましたが、その予言通り、彼は39歳と5カ月24日にして、この世を去ったのでした。

 次の日、あらゆる地方から信者たちが集まって来て、遺体の火葬が行なわれました。ニヴェーディターは悲しみをこらえきれず、多くの人々がいるにも関わらず、子供のように泣きながら、地面を転げまわりました。
 そのとき突然吹いた風が、焼かれているヴィヴェーカーナンダの遺体に巻かれていた黄色い布の一片を空に飛ばし、それがニヴェーディターの膝の上に落ちました。彼女はそれを師の祝福と考え、大事に懐に収めました。

終わり

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