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「ヴィヴェーカーナンダ」(37)

 ある日、ヴィヴェーカーナンダは、ベルル僧院の庭のマンゴーの木の下に作られた、簡易寝台の上に座っていました。彼の周りで出家僧たちは忙しげに日常の義務を果たしていました。一人の出家僧が大きなほうきで庭を掃いていました。プレーマーナンダは、沐浴を終え、ちょうど礼拝堂への階段を上っているところでした。
 そのとき突然、ヴィヴェーカーナンダの目が輝きました。感動に震えながら、彼は言いました。
「あなたはブラフマンをどこに探しに行くのですか。ブラフマンはすべてのもののなかに内在しています。ここに、ここに、目に見えるブラフマンがおわします! 目に見えるブラフマンをなおざりにして、他のものに心を注ぐとは、恥を知りなさい! 手の中にある果物と同じように実感できるものとして、あなたの前に、ここに目に見えるブラフマンがいます! あなたには見えないのですか。ここに、ここに、ここにブラフマンがいます!」

 このヴィヴェーカーナンダの言葉は、電気ショックのように、その時その付近にいた人々を突き刺しました。15分間ほど、彼ら全員がまるで石になったかのように、その場にたたずんでいました。掃除人の手のほうきは止まりました。プレーマーナンダは恍惚状態になりました。そこにいた誰もが、言いようもない心の安らぎを経験しました。

 日に日に悪くなっていくヴィヴェーカーナンダの健康状態を心配して、兄弟弟子たちは、ヴィヴェーカーナンダが訪問者たちに教えを説くのをやめさせようとしました。しかしヴィヴェーカーナンダはこう言いました。
「ねえ! この肉体が何が良いのですか? 人々を助けに行こう。われわれの師はその臨終まで教えを説かれたではないか。そして私も同じことをしてはいけないのですか。肉体が滅び去ってもかまいません。真理を求めるまじめな求道者に会って話をするとき、どんなに私が幸福であるかあなたたちには想像もつきません。同胞たちの真我を目覚めさせる仕事のためなら、私は何度でも喜んで死にましょう!」

 ヴィヴェーカーナンダはその死の直前まで、肉体の苦痛を顧みず、僧院の日常生活の隅々まで細かく指導の目を光らせました。彼は修行僧たちに清潔さを要求し、皆が部屋に風を通し、きちんと手入れしているかどうかベッドを調べてまわりました。一週間の時間表を作り、それが几帳面に守られているかをチェックしました。聖典のクラスは毎日開かれ、可能であればヴィヴェーカーナンダ自身が教えました。
 死の三か月前、ヴィヴェーカーナンダは、朝四時に、部屋から部屋へと僧侶たちを起こしに鈴を鳴らすという取り決めを作りました。彼らは三十分以内に、瞑想のために礼拝堂に集まらなければなりませんでした。しかしいつも、ヴィヴェーカーナンダが一番早くそこに来ていました。彼は毎朝三時に起き、礼拝堂に座り、そのまま二時間以上瞑想をするのでした。ヴィヴェーカーナンダが瞑想の座を立つ前に、他の誰かが座を立つことは許されませんでした。
 ブラフマーナンダは言いました。
「ナレーン(ヴィヴェーカーナンダ)と一緒に座り瞑想をすると、人はただちにブラフマンに没入してしまう! ところが一人で座っているときには、それを感じません。」

 あるときヴィヴェーカーナンダは、病気のために数日間、朝の瞑想を休みました。数日後、朝の礼拝堂にヴィヴェーカーナンダが顔を出すと、そこにはたった二人の者しか瞑想していないのを見て、ヴィヴェーカーナンダは怒り、欠席者たちに、僧院で食事をすることを禁じました。たまたまその日だけ瞑想を休んだ最愛の兄弟弟子に対しても、ヴィヴェーカーナンダはその厳しい処置をゆるめませんでした。

 ある日は、兄弟弟子のシヴァーナンダが、瞑想の時間になってもベッドで眠っているのを見て、ヴィヴェーカーナンダは彼にやさしく言いました。
「ねえ、あなたには瞑想など必要ないということは分かっています。あなたは聖ラーマクリシュナの恩恵によって、最高の目標にすでに達しておられますから。しかし、若い者たちに手本を示すために、彼らと一緒に毎日瞑想すべきです。」

 その日以来シヴァーナンダは、病気であろうと何であろうと、いつも若い仲間たちと共に礼拝堂で早朝の瞑想を続けたのでした。

つづく

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