アディヤートマ・ラーマーヤナ(45)「チャンドラマのサムパーティへの説法」
第八章 チャンドラマのサムパーティへの説法
◎サムパーディの過去の物語
すべての猿たちは、サムパーティの言葉に非常に興味をそそられ、彼についてもっと知りたいと思った。ゆえに、彼らは彼にこう言った。
「おお、偉大なる御方よ! 御身の物語を最初から全部、われわれにお教えいただきとうございます。」
サムパーティはそこで、過去の人生の出来事を語った。
「わしと弟のジャターユは若き頃に、強さに対する非常なる誇りから、太陽の領域まで飛んで行けるかを試したことがあった。
われわれが数千ヨージャナ飛び上がったとき、わしはジャターユが太陽の熱に耐えられないのではないかと思い、彼を守るために、彼への愛から、彼を翼の下にかばったのだ。わしがこのように彼を守ったとき、わしの翼は太陽の熱で焼けてしまい、そのとんでもない高さから、ヴィンディヤ山の頂へと落下し、意識を失ってしまったのじゃ。三日後にわしは意識を取り戻したが、翼を失ってしまい、心の中は困惑しておった。そこが田園地帯なのか、山の頂なのかが分からなかった。
わしがゆっくり眼を開けると、そこに非常に魅力的なアシュラムがあるのを見た。わしはゆっくりとそのアシュラムへと移動していった。
そのアシュラムに住んでいた聖仙チャンドラマが非常に驚いて私を見て、こう言った。
『おお、サムパーティよ! なぜこのようなことになったのだ? 誰がこんなことをやったのだ? 私は以前から、偉大なる力を授けられた者としてあなたを知っていたのだ。どうしてあなたの両翼が焼けてしまったのだ? もし異論がないならば、そのすべてを私に教えておくれ。』
そこでわしは、わしの物語のすべてを彼に語り、大きな悲しみで心をいっぱいにしながら、その聖仙にこう尋ねた。
『おお、聖者様! まるで山火事に飛び込んだかのように、私の体全部が焼けております。翼なしに、私はどうやって生きていくことができましょうか?』
そこでその聖仙は、優しい眼差しで見つめながらわしにこう言った。
『愛しき者よ! 私の言葉をお聞き。そしてその後に自分の好きなように為すがよい。この身体から生じた一切の苦しみは、己の過去のカルマから生じたものである。』
◎チャンドラマの真我の哲学についての解説
『人は肉体を自分であると考えるがゆえに、カルマが作動するのだ。この人を肉体に縛り付ける「私」意識は無始であり、無智の結果である。それ自体においては、それは意識を持たない不活性のものであるが、純粋意識の反映と結び付くと、ちょうど赤熱の鉄の破片が火と結び付いて熱く輝いて見えるように、意識として見えるのである。肉体を「私」という感覚と同一視してしまうゆえ、肉体も意識を持っているように見える。
「私」意識に支配されて、真我は自分自身を肉体であると思い、生死のサイクル、そして幸福と不幸の因果関係の経験に支配されてしまう。
真我は本質的に不変であるが、この誤った認識によって、彼は、
「私は肉体であり、私はさまざまな行為の行為者である。」
というように考えてしまうのだ。ゆえに、具現化された存在は多くの行為の役者となり、どうすることもできずに自らの因果関係に縛り付けられてしまう。彼は自分が束縛されているのだと気付き、この輪廻転生の中を善と悪の行為の犠牲者として、あちらこちらを彷徨うのである。彼はこのように決心するだろう。
「私は供儀や慈善のような善行をたくさん行なった。ゆえに私は天界へ行き、その素晴らしい至福を存分に楽しもう。」
そのような認識の感覚によって、彼は長い間天界の喜びを味わい、それらの善行の効力が衰えてくると、それと同様のカルマの力が、どんなにそれを嫌がったとしても、彼を低い世界に突き落とす。
◎ジーヴァの苦労
降下してゆくジーヴァは、月の領域に到達し、そこから水滴と合一することで、地上へと降り、そして穀物に遭遇すると、それらと自分を同一視してしまう。その状態に長い間とどまった後、彼は四種類の食物のいずれかとなり、その状態で、人に食べられる。そして人間の身体の中で、彼は精子となり、女性の子宮の中に着床してその中で経血と結合することで、一日の内にカララという状態に固化され、胎盤で覆われる。
五日の内に、胎児は泡のような物質に進化し、七日の内に筋肉組織へと変わる。
十五日の内に血がその中に形成され、二十五日の内にそれから小さな芽が生じる。
そして一ヶ月の内に、首、頭、肩、背骨、腹部が次々に形成されていくのである。
さらに二ヶ月目には、腕、足、臀部、そして膝頭が次々に発達してくる。
三ヶ月目には臓器の接合部分が、四ヶ月目には指が形成され、五ヶ月目には鼻、耳、眼、歯、爪、そして性器が生成される。
六ヶ月目には、耳の穴、生殖器の穴、肛門、そしてへその穴が形成され、七ヶ月目には身体に毛が生え、頭骸骨が形成され、すべての臓器が独自性を持つ。そして八ヶ月目には、完全な人間の姿が形となってくる。
このように、胎児は子宮の中で、徐々に成長していく。九ヶ月目には、胎児の至る所に、生命の兆しが見れるようになる。へその緒の小さな穴を通して、胎児はその母が摂取した食物のエッセンスのわずかを吸引する。それが死ぬことなく成長するのは、それ自らのカルマの力によるのである。
そしてその胎児は、その過去の生と行為の記憶を思い出す。その記憶によって、胎児は腹部の熱に苦しみながら、次のように考えるのだ。
「無数の子宮に生まれ、私は多くの妻や子供、縁者や所有物と関わってきた。家族の生活維持のことで頭がいっぱいになって、私は正しいあるいは正しくない方法で、金を何とか稼いでいた。しかし不幸なことに、私は夢の中でさえも主のことを思ったことがなかった。
その結果として今、私は非永続的な身体を永続的と考え、子宮の中で生き地獄を経験している。私は為すべきではなかったことを為してしまったのだ。私は自己に利益があることを何もしてこなかった。そのようなすべての行為に起因する苦しみを経験した後に、この地獄のような子宮を出たならば、それから先、私は常にマハーヴィシュヌの崇拝にわが身を捧げよう。」
このように考えながら、彼は出産の強烈な力によって、ものすごい苦しみを味わいながら放出される。罪人が地獄から出てくるように、彼は、蛆虫のような外見の、嫌な臭いの肉体の穴から出てくる。その後に彼は、幼年期の苦しみを経験するのである。
おお、ハゲワシよ! その幼年期や青年期などの人生の苦しみについては、すでにあなたや他の一切の者たちはよく知っているゆえ、それらについては述べないでおこう。
肉体を自分自身と同一視することの結果として、ジーヴァは地獄の苦しみや、子宮の中での生活を経験するのである。
ゆえに、微細と粗雑の身体を自己と同一視してしまうこの感覚を放棄し、人は自分自身をプラクリティを超越した真我であると認識すべきである。 「私は肉体である」という感覚を捨て、彼は自分自身を真我として理解すべきである。
彼は、覚醒、夢、睡眠の状態に巻き込まれず、真理と意識をとして識別し、純粋、覚醒、シャーンティである真我として自分自身を理解すべきである。
真理と意識の本性である真我が悟られ、無智によって生じた迷妄が消滅するならば、肉体が死んでも、動いているカルマの因果関係として生き続けるとしても、それは取るに足らないことである。悟った者は、自分自身が肉体であると認識することはなく、因果の結果として楽しむこともなく、その後に苦しみこともない。ゆえに、あなたの動いているカルマが尽き、肉体が滅ぶまで、蛇が皮膚の殻が離れていくまでそれを持ち運ぶように、あなたは肉体を同一視することなく、それの中に生きなさい。
おお、ハゲワシよ! 私はまた別の、あなたに至上なる善性をもたらすであろう事柄について話そう。』
◎サムパーティのエピソードの結び
『永遠なる実在者ナーラーヤナが、ダシャラタの息子としてトゥレータ・ユガに降誕される。彼はラーヴァナを滅ぼすために、ダンダカの森に来られるであろう。
彼が弟のラクシュマナと妻のシーターと共に森の中のアシュラムで暮らしているとき、ラーヴァナが、その二人の兄弟が森に出ている隙に、泥棒のようにこっそりとシーターを盗み去り、ランカーへと連れ去ってしまう。スグリーヴァに命ぜられ、猿の主将たちはシーターを探しに海岸にやって来る。あなたはあなたの功徳によって、彼らと出会うという好機を得るであろう。
あなたは彼らに、シーターの真の居場所を告げるのだ。そのとき、あなたの二枚の翼は再び生えるであろう。』」
サムパーティはこのように続けた。
「聖仙チャンドラマはわしにこれら一切のことを伝えてくださったのじゃ。さあ、御身らは、如何にしてわが肉体に、この上なく美しい翼が生えるのかを見るであろう。
どうか、御身らが使命を果たさんことを。御身らは確実にシーター様を見つけることができるであろう。さあ、越え難き海を超えていくのじゃ。
その御名を唱えることによって、邪悪な者にさえも輪廻の海を渡らせ、マハーヴィシュヌの永遠なる境地に到達させることのできる御方、三界すべての守護者であられる御方――その御方にとって、御身らは愛しい帰依者である。御身らにとって、この世の海を渡るに何の困難があろうか?」