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M――使途にしてエヴァンジェリスト(6)

第二章

「目的と手段――神の悟りと無私の行為」(4)

 夕方5時半である。Mは散歩のためにアシュラムから外出している。数名のバクタが同行している。彼らは南の広場の方へ向かって歩いている。S.D.ムケルジーの別荘の近くの道で、Mは庭師が歌うのを聞いている。その歌の句はこうである。

”神の御名に酔われたシュリー・バガヴァーン(チャイタニヤ・マハープラブ)がナヴァディープのシュリーヴァーサの中庭で踊られる。来なさい。おお、世界の人々よ、そして主の聖なる一瞥を得ることで、人生の目的は果たされる。”

 Mはこの歌を聞くや否や、法悦に浸って立ち尽くしてしまった。神の喜びの光が彼の目の中と顔の上で戯れ始めた。しばらくして彼は言った。

「なんと素晴らしい! タクルが彼の唇を通じて私たちに聞かせたことは、まさしく、すべてを犠牲にして人類を教育するために修行生活を奉じた彼の言葉だ。人間の肉体に化身なさったのは神なのだよ。彼は個人的動機を一切持たず、全人類の幸福のために修行生活に専念されたのだ。」

 道を歩いていると、彼はマンゴー園で足を止めた。2本の木が一緒に立っているのを見て、Mは言った。

「見なさい! なんと素晴らしい場所なのだろう! ここに高い台があったら、ヨーギーにとても適しているだろう。常に人里離れた場所で瞑想しているヨーギーと交わりなさい。そのような場所に座ることによって、人は神の霊感を受けるのだよ。なんと美しく、そして人里から離れているのだろう! ヴェーダは、ヨーガの実践のための場所は、心に心地よく、目に楽しく、美しくて、平和に満ちたものであるべきだと言っているよ。」

 このように、Mは歩きながら、聞くもの見るものに神の感覚を呼び起こしていた。バクタたちは彼とともにいた。その間に、ある人々の一団が西の方からミヒジャに向かっていた。彼らは近づいてきて、Mに頭を下げた。それはサンタルの縁組の一行だった。彼らは結婚を祝った後に、花嫁と花婿とともに帰ってきているのだ。夫婦は”ダンドワット”と言ってMに挨拶をした。

 彼らが去っていくと、彼は言った。

「この夫婦が世俗的な生活に入ることも、神のご意思だ。

『世俗的な生活は、燃えているかまどだ。』

と、タクルはおっしゃった。プルナと若いナレンはサマーディの境地にあった。彼らが結婚したとき、タクルはその知らせを聞いて涙を流されたのだよ。

『ある男は自分で目隠ししているにもかかわらず、見ることができないと不平を言うのだ。』

とタクルはよく仰っていたよ。

 法廷弁護士のある信者がいてね。彼もまたサマーディの段階にいたのだが、家庭生活の網に捕まってしまって、違う男になってしまった。肉体と心と言葉で主に避難するなら、この網に捕まることがなくなる。このようなものが、マハーマーヤーがめったに許すことがない彼女のお遊びなのだよ。それだから常に、『母よ、私に忘れさせないでください! 決して忘れさせないでください!』と祈らなければならない。彼女がお優しいときは、家族の中にいようが、すべてを放棄していようが、まったく少しも恐れることはないよ。すべてが彼女のもとにあるのだよ。」

 夕方の瞑想、カタームリタの読書と食事が終わった。現在は黒分の午後9時15分である。頭上には空の広大な広がりに無数の輝く星々がちりばめられていた。ずっと下には、黒分の偽物の黒いベールが広がっている。近くに1本か2本の木だけが見える。心に入ってくる静寂は、いわば、深く穏やかで想像をかき立てる厳粛な感覚をつくりだしている。広大な一区画の土地の中央に位置している小屋の庭に、Mはブラフマチャーリとともに座った。Mは、高い空をじっと見つめていた。しばらくしてブラフマチャーリにこう言った。

「あなたは天文学に関心を持ったことがあるかね? 天文学では、学者は天空の惑星や星について記述している。インドのヨーギーは、すでにもっと早くにこれらの題目について考えていたのだよ。天空を熟考することは、人をイーシュヴァラの無限の一瞥ヘと導く。
 ちょっと見てみなさい、正面におおぐま座――サプタリシ・マンダルと、そっちに北極星がある。7つの星座が北極星の周りを回っている。それは24時間で一度公転して4つの直角を描いている。北極星を点として、その上に水平および垂直線を引くと、4つの直角ができる。そして、おおぐま座の二つの主要な星をつないで、北極星(の軸)に接触するまで線を伸ばしていくと、一つの角度ができる。人はこの角度を測定して時間を伝えていたのだよ。15度の角度が1時間を意味している。古代においてはこれが時間を計る方法だった。西洋の学者はよくサプタリシをおおぐま座と呼んでいる。だがこの国では、リシたちは神への想いを呼び起こすためにすべてにそういった名前を付けたのだよ。」

「ねえ、よく心に留めておくのだよ。北極星は優れたバクタである子どもの王子ドゥルヴァに関係している。彼は神のヴィジョンのためになんと厳しい苦行に頼ったのだろう! 始めは彼は王座のために神に呼びかけたのだよ。神を見た後は、もう世俗の王国の喜びを得たいという思いはなくなっていた。ヒンドゥー神話の中で、バクタ・ドゥルヴァは北極星のように光り輝いている。」

(ブラフマチャーリへ)「聖ザヴィエルの大学の初老の神父はとりわけ博学で、また宗教的な性質がある。彼らと連絡を取れば、天体観測をすることができるだろう。彼らはすぐれた望遠鏡をもっているからね。そこに行ってみてはどうかね? 彼らと親しくなればすべてがわかるよ。そうしたら私たちのもとに来て教えておくれよ。社交的に触れ合っていくことで、人間関係は成長するのだよ。大学で新しい科学理論を発見する人々に会って耳を傾けるべきだ。長い年月にわたって天体観察を行なったことで、学者は星と惑星の運動や性質を解明したのだ。西洋では、今でも天体観測の仕事が素晴らしい監視のもとで途切れることなく続けられている。アメリカではウィルソン山に新しい観測所が建てられたのだよ。」

「もしこれらの惑星に達することが可能ならば、それらはすべて地球のようであり無限であるように思えるよ。時間と空間に限界はないとはいえ、制限ある知識を持った学者は無限なるもののほんのわずかな破片をいくつか発見した。昨今では惑星系も撮影されている。彼らは数千万もの星があると言っている。彼らの一部は、それぞれの星が太陽より大きいとさえ言っているよ。非常に離れているから、それらの星々は小さく見えているのだよ。学者はちょうど私たちの太陽系が太陽と9つの惑星――そのうちの1つが地球――で構成されているように、無数の太陽と太陽系があると考えている。インドのプラーナでは、宇宙は無限なるものとして記述されている。この無限の宇宙の創造者である主を、タクルは『マー、マー』と呼んでいたのだよ。ヴェーダにおいては同じものがブラフマンと呼ばれている。タクルは主をそのように呼んだだけではなく、主の存在を見て主と会話をされたのだ。アヴァターラ以外の誰が、この神秘のベールを引き裂くことができるだろうか。

『父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、誰もありません』(マタイによる福音書 第11章27節)

――なのだよ。」

ベンガル歴1329年 ファルグン月 30日目
西暦1923年3月14日 水曜日
黒分10日目

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