「ヴィヴェーカーナンダ」(30)
ロンドンにおけるヴィヴェーカーナンダのクラスや講演に出席していたマーガレット・E・ノーブル嬢は、あるとき、ヴィヴェーカーナンダのインドにおける救済活動のお手伝いに、自分の生涯を捧げる決心をしました。彼女がその決意をヴィヴェーカーナンダに手紙で告げると、ヴィヴェーカーナンダはその返信の中で、彼女の未来を祝福するとともに、インドの救済活動における困難を指摘したうえで、こう書きました。
「あなたはここに飛び込んでくる前に、よく考えねばなりません。そしてそのあとで、あなたが失敗したり、うんざりされるならば、私は死んでもあなたに味方するでしょうということをお約束します。あなたがインドのために働かれようと働かれまいと、ヴィヴェーカーナンダを捨てられようと奉じられようと、ゾウの牙は生えると決して引っ込むことはないように、この言葉も決して取り消されません。」
こうして1898年1月28日、ノーブル嬢はインドへとやってきました。ヴィヴェーカーナンダはカルカッタの人たちに、彼女を「イギリスからインドへの贈り物」として温かく紹介しました。
その年の三月には、ヴィヴェーカーナンダは彼女に、ブラフマチャリヤー(禁欲修行者)としての誓いを立てさせ、彼女に「ニヴェーディター(捧げられたもの)」という名前を与えました。
誓いの儀式が終わった後、ヴィヴェーカーナンダはニヴェーディタ-に言いました。
「さあ、行きなさい。悟りを得る前に、他人のために五百回も生まれ変わって己の生命を与えた、ブッダのように!」
その後、ヴィヴェーカーナンダはさまざまな方法で、ニヴェーディターを訓練していきました。ヴィヴェーカーナンダは繰り返しニヴェーディタ-の高いプライドを打ち砕く作業を行ない、西洋人らしい積極性と気の強さを持っていたニヴェーディタ-は、何度もこの師の厳しい愛に対して反発し、ぶつかり合い、多くの苦悩を味わいました。
ある時、ヴィヴェーカーナンダと弟子たちがヒマラヤを旅していた時、ニヴェーディターの苦悩は、頂点に達しました。ニヴェーディタ-はもうこれ以上この苦難に耐えられないと見てとったマクラウド嬢は、ヴィヴェーカーナンダに誠意をもって嘆願しました。
それを聞いてヴィヴェーカーナンダは、その場を立ち去りました。そして夕方に戻ってくると、マクラウド嬢に、子供のような無邪気さで言いました。
「あなたが正しかったです。私はやり方を変更しなければなりません。
私は一人で森に行ってきます。戻ってくるときには、安らぎを得てくるでしょう。」
そしてさらに、新月の夜空を指さして言いました。
「私たちも新月と共に新たな生活を始めましょう。」
そしてヴィヴェーカーナンダは反抗的なニヴェーディターを祝福し、ニヴェーディターは彼の前にひざまずきました。
その夜の瞑想中、ニヴェーディタ-は、自分の利己的な理性が、自分が正しく導かれる妨げになっていたのだということを理解しました。そしてこう記しました。
「最も偉大なる師たちは、神の非人格的な姿を認知させるためにだけ、私たちの私的関係を破壊するということを初めて理解しました。」
つづく
-
前の記事
「ヴィヴェーカーナンダ」(29) -
次の記事
「ヴィヴェーカーナンダ」(31)