要約「シクシャー・サムッチャヤ」(31)「苦しみに安住する忍辱」
◎苦しみに安住する忍辱
サーガラマティ・スートラ(海意経)には、こう説かれている。
「偉大なる魂である菩薩のところに魔がやってきて、誘惑をして破戒をさせようとしても、または様々な妨害をしてきたとしても、偉大なる菩提心を発して、壊すことなかれ。
大悲の心を持って精進し、一切衆生を解脱させよ。
真理を求めて身命を惜しむなかれ。
すべての衆生を救済し、己の楽に愛著するなかれ。
もしすべての衆生によって罵倒され、あるいは嫌悪され、侮辱され、もろもろの暴力を受けたとしても、すべてよく忍辱して受けよ。
すべての衆生が悪心をもってやってきて、自分の幸福を破壊したとしても、またすべて堪忍して、疲れず、退かず、勇猛精進して努力を発現し、苦しみを忍辱してすべてを受けよ。
またもしある人が悪心をもってやってきて、嫌悪し、罵り、嫉妬し、害を加え、悩みを与え、憤怒し、暴力を加えてきたとしても、一切の仕返しをしてはならない。
また、自己の楽を渇愛しない者は、布施のパーラミターをよく修習する。
また、もし自分を殺そうとする者に出会ったとしても、大いなる慈愛をもって、すべての衆生を捨てない。このように戒のパーラミターをよく修習すべし。
また、もし自分を殺そうとする者に出会ったとしても、忍辱の力を発現して、その心を動揺させるなかれ。このように忍辱のパーラミターをよく修習すべし。
また、勤勇の力を捨てずに菩提心を受け保ち、もろもろの善行を修習せよ。このように精進のパーラミターをよく修習すべし。
また次に、その身が壊れて死ぬときに、心において智慧を発現して覚醒を捨てず、至高なる寂静を如実に観察する。このように禅定のパーラミターをよく修習すべし。
また、もし自分を殺そうとする者に出会ったとしても、身体は幻の如し、草木の如し、瓦礫のごとしと見て、身体は無常であり、苦しみであり、無我であり、空であると理解し、このように身体を観察する。このように至高なる智慧のパーラミターを修習すべし。
また、もしある人が悪心をもってやってきて、嫌悪し、罵倒してきたとしたら、次のような念をなすべし。
『この人は怠惰なるがゆえに白き法を否定し、白き法から遠く離れている。われは今、精進を起こして、希求心を持ち、修習し、もろもろの善根を植えて、それらに飽きたり満足したりすることのないようにしよう。そして願わくば、私を害するこの人こそが、早く覚醒の境地に達しますように。私は最後にニルヴァーナに入る者となろう。』と。」
バガヴァティーにはこう説かれている。
「もし闘争し合う者たちを見たら、彼らを和合させるお手伝いをすべし。
もし他者から悪口を言われ、罵倒されても、汝は一切の仕返しをしてはならない。無智な人の如く、耳の聞こえない人の如く、羊の如く、闘争を起こさずにあれ。
あるいは悪人がやってきて醜い言葉を言い、罵倒してきたとしても、心に損害なく、善の言葉を語るべし。
またもし誰かが過ちを犯したのを聞いても、その真似をするなかれ。
嫌悪・怒りを一切起こさず、ただ堅固なる精進を修習し、命を落とすとも怒りや悩みを生じさせることなかれ。」