挑戦し続ける人生
輪廻転生を信じようと信じまいと、人は死ぬ、ということは誰でも知っている。
だから人生で【安定】を求めようというのは、ナンセンスなように思いますね。どうせ死ぬんだ。悔いなく走りきろうじゃないか。
まあもちろんこれは、性格的な問題、考え方の問題もあるだろうから、すべての人にこの考えを押し付けようとは思わないけどね。
私はヨーガ修行者だから、どうしても修行というものを中心に考えてしまうけど、神と合一するために、解脱するために、人生のすべてを向けられるなら、それが一番すばらしい。
しかし仮にまだ修行するカルマがない人の場合でもね、自分が本当にやりたいこと、価値を感じること、純粋にね、充実してやれることを追い求め、生きるのがね、いいんじゃないかと思うんだよね。
そしてこの場合、結果とかは二の次じゃないかと思うんだ。
現代の価値観では、【結果】に重点を置く場合が多いよね。たとえば30代で結婚できない女性は負け犬だとか(笑)、この大学に入れたらすばらしいとか。でも、たとえばそういう【結果】を得た人もね、心の中は何も充実感がない人もいるかもしれない。
私は人生とは挑戦の連続であり、戦いの連続であると思うんだ。
もちろん、それは自己のエゴとの戦い、すなわち修行だったら一番いいんだけど、そこまでいっていなくてもね、自分のカルマに応じた挑戦、戦いをね、し続けるべきじゃないだろうか。
そう、それは、自己を進化させる挑戦、自己を向上させるための戦いだね。
他人と戦うんじゃないよ。自分と戦うんだよ。自分に挑戦するんだ。
それは具体的にはいろいろなパターンがあるだろうけど、とにかく人生そのものを戦いと考え、自己に挑戦し続ける。
負けることもあるだろう。もちろん勝利を目指すわけだけど、負けたからどうこうとかじゃないんだ。その挑戦し続ける行為自体がね、人生の充実と意味を生むんじゃないかな。
だから失敗を恐れずにチャレンジし続ける人生。後悔しないためにね、倒れても倒れても進み続ける人生をね、歩みたいですね。
進んで、進んで、戦って、戦って、死ぬときにもね、未完成で死ぬかもしれない。それでもいいんだ。それだけ高いものを追い求めよう。
「私はもう結構いいところまでいった」とか、「そろそろ安定したい」なんて思ったときから、進歩は止まる。それは死んでるのと同じだ。
守りに入ったり、安定を求めた人生ほど、つまらないものはないと思わないかい? しかし歩む者には常に道は開かれるはずだ。
一休禅師が詠んで、アントニオ猪木がまねした(笑)、あの「道」って詩もいい詩だよね。ちょっとうろ覚えだから間違ってるかもしれないけど、こんな感じだったかな。
この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば、その一歩が道となる
迷わず行けよ
行けば、わかる
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