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師の誕生日

「ラーマクリシュナの福音」より

第36章 師の誕生日

1885年2月22日 日曜日

 シュリー・ラーマクリシュナは、ドッキネッショルの自室の北東のベランダに座っておられた。午前八時ごろだった。ナレーンドラ、ラカール、ギリシュ、バブラーム、およびスレーンドラを含む大勢の信者たちがいた。彼らは、その前の月曜日にあたっていた師の誕生日を祝っていた。Mが到着し、彼に敬礼をした。師は彼に、そばに着て座れ、と合図をなさった。

・・・(中略)・・・ 

ギリシュ(師に)「あなたのなさり方は、クリシュナのなさり方に似ていらっしゃいます。彼も、母のヤショーダーにさまざまな『ふり』をして見せました。」

師「その通りだ。クリシュナが神の化身だったからだ。神が人間として生まれたときには、そのようにするものだ。
 お前も知っている通り、クリシュナは片手でやすやすと、ゴーヴァルダンの丘を持ち上げた。それでもナンダには、足台を持ち運ぶのもやっとだ、というように思わせていらっしゃった。」

ギリシュ「はい。私は今ではあなたを理解しております。」

・・・(中略)・・・ 

 信者たちは部屋で師の食事の準備をしていた。師はナレーンドラに、歌ってくれ、とおっしゃった。

 ナレーンドラは歌った。

 深い闇の中に、おお、マーよ、あなたの無形の美がひらめく。
 それゆえヨーギーたちは、山の暗い洞穴で瞑想する。
 無辺際の闇のふところ、マハー・ニルヴァーナの波に乗って
 平和が、静かに、尽きることなく流れる。
 空の姿をとり、闇という長衣に包まれて
 あなたは誰ですか、マーよ、
 サマーディの聖所に、一人座っておいでになる。
 恐れを消す御足の蓮華から
 あなたの愛の稲妻がひらめく、
 恐ろしく、また声高い笑いとともに、
 あなたの霊のお顔が輝き渡る。

 ナレーンドラが、
「あなたは誰ですか、マーよ、
 サマーディの聖所に、一人座っておいでになる。」
というくだりを歌ったとき、シュリー・ラーマクリシュナは、深いサマーディに入り、すべての外界の意識を失われた。
 長いことたって、彼が少し意識を取り戻されると、信者たちは彼を敷物の上に座らせ、その前に食物の皿を置いた。
 まだ神聖な感動に圧倒されながら、彼は両手でご飯を食べ始められた。彼はバヴァナートに、『食べさせておくれ』とおっしゃった。法悦ムードのために、右手を使うことがおできにならなかったのだ。バヴァナートは彼に食べさせた。シュリー・ラーマクリシュナは、ほんの少ししか召し上がれなかった。

・・・(中略)・・・

ナレーンドラ(師に)「私はギリシュ・ゴーシュと話をしました。彼は本当に偉大な人です。私たちはあなたのことを話しました。」

師「私のことを何と言ったのか。」

ナレーンドラ「あなたは無学で、私たちは学者だということです。おお、私たちはそんな調子で話をいたしました」(笑い)

マニ・マリック(師に)「あなたは、一冊の本も読まないでパンディットにおなりになりました。」

師「お前たちに言っておくがね、真実間違いなく、私は、ヴェーダーンタその他の聖典を読まなかったことを、いささかも後悔してはいないのだよ。私は、ヴェーダーンタの精髄は、『ブラフマンのみ実在、この世は幻影だ』ということだと知っている。
 ではギーターの精髄は何か。これはギーターという言葉を十回繰り返せばわかるはずだ。やがてそれはひっくり返って、放棄を意味する『ターギー』になるだろう。
 生徒はグルから聖典の精髄を聞き、それから苦行と献身とを実践するのだ。
 自宅から届いた手紙は、その内容を知るまでは持っていなければならない。しかし読んでしまえば、送ってくれと書いてある品物を買いに出かければそれでよいのだ。同じように、その精髄を知ったら、聖典の必要がどこにあるか。次になすべきは、霊性の修行の実践だ。」

・・・(中略)・・・

 ナレーンドラは再び歌った。

 深い闇の中に、おお、マーよ、あなたの無形の美がひらめく。
 それゆえヨーギーたちは、山の暗い洞穴で瞑想する。
 無辺際の闇のふところ、マハー・ニルヴァーナの波に乗って
 平和が、静かに、尽きることなく流れる。
 空の姿をとり、闇という長衣に包まれて
 あなたは誰ですか、マーよ、
 サマーディの聖所に、一人座っておいでになる。
 恐れを消す御足の蓮華から
 あなたの愛の稲妻がひらめく、
 恐ろしく、また声高い笑いとともに、
 あなたの霊のお顔が輝き渡る。

 恍惚とした気分で、シュリー・ラーマクリシュナはベッドを下りてナレーンドラのそばにお座りになった。なお法悦状態のままで、話をおはじめになった。

師「私が歌おうか。ええ? (ニティヤ・ゴーパールに)どう思うかね。人は内部の霊性を目覚めさせるために、歌を聴かなければならないのだ。あとの事はかまわない。
 彼は火をつけた。結構だ。今は皆が黙っている。それも結構だ。私は黙っている。お前たちも黙っておいで。大切なのは、至福の霊薬の中に飛び込むことだ。
 歌おうか。よし、そうしよう。静かだろうと、波立っていようと、水は水だ。」

 ナレーンドラは師のそばに座っていた。彼は、家の財政的苦境について絶えず悩んでいた。彼は今、二十三歳だった。シュリー・ラーマクリシュナは、一心に彼を見つめておられた。

師(ナレーンドラに、微笑みつつ)「確かにお前は『カー(空性)』だ。だが税金のために悩まなければならない。それがトラブルだ。」

 『税金』という言葉で師は、ナレーンドラの家庭の財政的苦境を指されたのだ。

師「クリシュナキショーレはいつも、自分は『カー』だと言っていた。ある日彼を自宅に訪ねると、彼が何かを思い悩んでいた。彼は私に、素直には話そうとしなかった。私は彼に尋ねた。『どうしたのか、なぜそんなに考え込んでいるのか』と。クリシュナキショーレは言った。『今日、収税士が来ました。彼は、私が税金を払わなければ瓶だの鍋だのを競売にしてしまう、と言いました。それで悩んでいるのです』と。私は笑って言った、『どうしたことだ? あなたは確かに『カー』、アーカーシャではないか。やつらには瓶でも鍋でも持っていかせるがよい。あなたにとってそれがなんだというのか』と。
 (ナレーンドラに)だから私は、お前は『カー』だと言っているのだ。なぜそんなに悩むのだ。シュリー・クリシュナがアルジュナに、
『もしお前が八つの自在力の一つでも持っていれば、多少の力を持つことはできるだろうが、私を悟ることはない』
と言ったことを知らないか。神通力によって、人は能力や強さやお金やその他のものは得るかもしれないが、神は得られないのだ。
 もうひとつのことを言わせてくれ。知識と無知とを超越しなさい。人はよく、これこれの人はジュニャーニ(知者)であるという。だが実際はそうではない。ヴァシシュタは偉大なジュニャーニだったが、彼でさえ、息子たちの死によって悲しみに打ちのめされた。このことについてラクシュマナはラーマに、『これは驚くべきことです、ラーマよ。ヴァシシュタでもあんなに悲嘆にくれています』と言った。ラーマは言った、『弟よ、知識を持っている人は、同じように無知も持っている。光を感じる人は闇も感じる。善を知っている人は悪も知っている。幸福を知っている人は不幸も知っているのだ。弟よ、二元性を超えて行け。快と苦を超え、知と無知との両方を超えて行け』と。
 だから私はお前に、知識と無知との両方を超えなさいと頼んでいるのだ。」

・・・(中略)・・・

スレーンドラ「私はよく瞑想することができません。時々母なる神の御名を唱えます。寝床に入ると、彼女の御名を唱えて、そして眠りに入ります。」

師「それで十分だ。彼女を覚えてはいるのだろう?
 マノー・ヨーガとカルマ・ヨーガの二種類のヨーガがある。
 グルの指示に従って、礼拝とか、巡礼とか、生き物への奉仕とかいうような経験行ないをすることをカルマ・ヨーガという。ジャナカが行なったような務めもカルマ・ヨーガだ。ヨーギーたちの行なう瞑想や静観がマノー・ヨーガというものだ。
 私は時々カーリー聖堂で、
『おお、母よ。心は、あなたご自身以外の何ものでもありません』
と独り言を言う。それだから、純粋な心と、純粋な智性と、純粋なアートマンとは一つであり、同じものなのだ。」

・・・(中略)・・・

 聖堂では夕拝が始まっていた。白月の八日目だった。聖堂のドームも中庭も、庭園も木々も、月の光に輝いていた。ガンガーはつぶやくような音を立てて北に流れていた。シュリー・ラーマクリシュナは、母なる神を瞑想しつつ、自室の小さなベッドに座っておられた。
 夕拝は終わった。一、二の信者がまだ境内にいた。ナレーンドラはすでに帰った。シュリー・ラーマクリシュナは、自室の北東のベランダを行きつ戻りつしておられた。Mは、彼を見つめてそこに立っていた。突然彼がMにおっしゃった、「ああ、ナレーンドラの歌はなんと美しいのだろう!」

M「はい。『深い闇の中に』で始まる歌は特に美しゅうございます。」

師「その通りだ。あの歌は深い意味を持っている。私の心の一部はまだあれにひかれている。」

M「はい。」

師「闇の中での瞑想は、タントラの中で命ぜられているものだ。」

 ギリシュ・ゴーシュが来て、歌を歌い始められたシュリー・ラーマクリシュナのそばに立った。

 わが母カーリーは本当に黒いのか。
 真っ黒々の裸のお方が
 ハートの蓮華を満たしておられる……

 シュリー・ラーマクリシュナは、神聖な白熱状態に満たされておられた。ギリシュの体に片手を置いて、立ったままでお歌いになった。

 何でガンガーやガヤー、カーシーやカーンチやプラバースに行くことがあろう。
 口にカーリーの御名を唱えつつ、息を引き取ることができるなら。
 儀式に何の用がある。何でその上に祭事が必要か。
 日に三度、聖なる時刻に、母の御名を繰り返すなら。
 儀式は彼に追い迫ろう。
 だが決して彼に、追いつけない……

 それから、お歌いになった。

 このたびはいっぺんに、私は完全に理解した。
 それをよくご存知のお方から、私はバーヴァの秘密を学んだ。
 夜のない国から私のもとに、一人の男が訪ねてきた。
 それからもはや私には、昼夜の区別がつけられない。
 儀式も祭事も私には、無益なものと成り果てた。

 私の眠りは破られた。どうしてまどろんでなどいられよう。
 今はヨーガの不眠に、はっきりと目覚めているのだから。
 おお、母なる神よ。
 ヨーガの眠り(サマーディ)の中で、ついにあなたと一つにされて、
 私のまどろみは永遠に、寝かせつけられてしまいました。
 
 欲望と解脱との前に、とプラサードは言う、
 私は頭を下げる。
 カーリーは至高のブラフマンと一つであるという秘密を知って、
 私は一度に、ダルマもアダルマも脱ぎ捨ててしまった。

 シュリー・ラーマクリシュナがギリシュをご覧になると、彼の神聖な白熱状態はいっそう強烈になった。
 彼はお歌いになった。

 
 私はわが魂を、母の無恐怖の御足のもとに
 差し上げてしまった。
 もう、死の神を恐れることはない。
 頭上に束ねたもとどりには、
 全能のマントラ、母カーリーの御名が
 結いつけてある。
 わが身はこの世の市場に売り払い、
 それで、シュリー・ドゥルガーの御名を買った……

 神に酔って、シュリー・ラーマクリシュナは、次の一節を繰り返された。

 わが身はこの世の市場に売り払い、
 それで、シュリー・ドゥルガーの御名を買った……

 ギリシュとMを見て、師はおっしゃった。
「神聖な白熱状態が私の体を満たし、私から意識を奪ってしまうのだよ。
 ここで意識というのは、外界の意識のことなのだ。実在とブラフマンの知識は、必要である。
 バクティ、すなわち神への愛は、ただひとつの欠くことのできないものだ。ある種のバクティは背後に動機を持っている。また、意図を含まぬ愛、純粋な帰依、願いを求めない神への愛もある。ケーシャブ・セーンやブラフモ・サマージの会員たちは、意図を含まぬ愛というものを知らなかった。この愛の中には欲望がない。それは、神の蓮華の御足への純粋な愛以外の何ものでもないのだ。
 ウルジタ・バクティと呼ばれているもう一つの愛の種類がある。いわばみなぎり溢れるような、忘我的な神への愛である。それが目覚めると信者は、笑い、泣き、踊り、歌うのだ。チャイタニヤ・デーヴァは、この愛の一例だ。
 ラーマはラクシュマナにおっしゃった、
『弟よ、もしウルジタ・バクティが現われているのを見たら、そこには必ず私がいると思ってよろしい』と。」

ギリシュ「あなたのお慈悲にあえば、あらゆることが可能でございます。以前の私はどんなだったでしょう。そして、今の私をご覧ください。」

師「お前は隠れた傾向を持っていた。だからそれらが今おのずから現われつつあるのだ。時期が来なければ何事も成就しはしない。
 病人を例にとってみよう。医者が薬草を処方してその汁を飲むよう命じるころには、自然治癒力が、すでにほとんど、その人を治しているのだ。薬を飲むと完全に癒される。さて、病人は薬で治ったのかね、それとも自分で治ったのかね。誰がそれを言えるか。
 ラクシュマナはラヴァとクシャ(ラーマの二人の息子)に言った、『お前たちはほんの子供だ。ラーマの力を知らない。彼の足の一触れで、石に化していたアハリヤーは、人間の姿を取り戻したのだ。』と。
 ラヴァとラクシャは言った、『叔父上様、私たちは知っています。その話は聞きました。あの石は、あのサードゥの言葉の力でアハリヤーになったのです。聖者ゴウタマが彼女に、「トレータ・ユガに、ラーマがこの庵を通るだろう。お前はそのお方の足の一触れで、再び人間の姿になるだろう」と言ったのでした。』と。
 さて、この奇跡が起こったのは、賢者の言葉が成就するためだったのか、それともラーマの神聖さのためだったのか、それは誰も言えまい。
 一切のことは神の思し召しによって起こるのだ。たとえお前の霊意識がこの場所で目覚めたのであっても、私は一個の道具であるに過ぎないことを知っておいで。『月おじさんはみんなのおじさん』だ。一切のことは神の思し召しによって起こるのだ。」

ギリシュ(微笑して)「『神の思し召しによって』とおっしゃったのですか。
 私が申し上げているのはまさに、そのことなのでございます。」(みな笑う)

師(ギリシュに)「邪心がないと、人は速やかに神を悟ることができる。ある種の人たちは神を知ることができない。まず、つむじ曲がりな人だ。彼は邪心がある。次は、形の上の清らかさにあまりにこだわる人、第三は疑い深い人だ。」

 シュリー・ラーマクリシュナは、ニティヤゴーパールの法悦境を高く評価なさった。
 三、四人の信者たちが、ベランダにおられるシュリー・ラーマクリシュナの近くに立って、パラマハンサの高揚された状態についてお話しになる彼の言葉に聞き入っていた。
 師はおっしゃった。
「パラマハンサは常に、神のみが実在、他のすべては幻影だ、ということを意識している。
 白鳥だけが、水の混じったミルクから、ミルクだけより分ける力を持っている。白鳥の舌は、この混合物からミルクだけをより分ける酸を分泌するのだ。
 パラマハンサも、やはりこのような液を持っている。それは彼の神への忘我の愛だ。それは、実在と非実在との混合物から実在を分ける。それによって、人は神を悟り、神を見るのだ。」

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