「母なる神」第四回(5)
はい、だからちょっともう一回見ていきますよ――「「真理」を求めているのに、自分の内の何かが、偽りと無智と神的ならざるものを選んでしまったり、自分の内の何かが、それらを拒絶しようとしないのであれば、神の聖なる恩寵は、あなたから遠のいていってしまうだろう。」――はい、これはだから分かりますね。荒っぽい、大雑把な修行者が陥るこれは罠みたいなもんだね。つまり、最初の熱意は良かった。「神よ!」とか、あるいは「解脱したい!」とか、「菩薩になりたい!」っていう熱意は良かったんだけど、なぜかカルマに翻弄され、あるいは自分の悪い心に翻弄され、どんどんどんどん堕落していく。もしくは堕落しないまでも、全然進まないと。で、これは何度も言うけども(笑)、「しょうがない」じゃないんだね。「わたしそういうカルマだからしょうがないんです」じゃないんです。何度も言ってるけども、いろいろあるわけです、自分の中に(笑)。ね。そのいろいろあるうちの、いろんなその細かい動きをほっといてるから、あるいは分析しないで曖昧にしてとらえれてるから、それに翻弄されてそのままになってるだけであって、
で、それをそのままにしてたら、まさにここに書いてあるように、「神の聖なる恩寵は、あなたから遠のいていってしまうだろう。」と。せっかく皆さんが神の道と縁があったとしても、その恩寵を受ける縁っていうのはどんどん遠のいていってしまいますと。だからそうじゃなくて、念正智をしなきゃいけない。しっかりと自分の心を見つめ、自分の中にどういう反真理的な要素があるのかを分析し、突き止め、で、それが出ないように、あるいはそれを改革するように、そして消していくように、捨てていくように、日々努力しなきゃいけないし、で、日々気付かぬうちにそれがあらわれて、自分を神から遠ざけないように念正智をしなきゃいけないっていうことですね。
で、その念正智をするための武器として、こっち側の武器として、日々教学を始めとした自分の中の習性のチェンジっていうかな。良い習性作りに励まなきゃいけないっていうことだね。
はい。で、それをして初めて神の聖なる力が降り、自らの変容を遂げることも可能になるということですね。
はい。まとめると、一言でいうと念正智と。ね。ここはね。念正智しましょうと。
はい、じゃあここまでで何か質問その他ある人いますか? 特にないかな?
はい、じゃあね、またこの部分をちょっと瞑想してみましょう。少しだけ。今言った話を考えてもいいし、ちょっとこれをまた自分で繰り返し読んでも構わないので、この今の一節に関して少しだけ自分の中で瞑想してください。
(瞑想中)
はい。じゃあもう少しだけいきましょうね。