「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第六回(10)
【本文】
⑭智慧を実践しても、大悲の重要性を認識しないことは、魔事である。
はい、これもね、さらっといきますよ。つまりこの菩薩に必要なのは、智慧と慈悲であると。ね。智慧とはさっき言った空性を悟る智慧。慈悲というのは、すべての衆生の苦しみを哀れみ、救いたいって思う心ね。両方が必要なわけだけど、智慧の方は実践しているけど、慈悲の方が欠けている場合ね、それは魔事ですよってことですね。
はい、じゃあ次。
【本文】
⑮正しい方便を伴わない善業も、魔事である。
善業――つまり、徳を積むとか、あるいは人々のために働くってことがあるわけだけど、これは、正しい方便、つまりその、時と場合に応じて、正しいやり方があるわけですね。で、そうじゃなくて、観念的に教えに説かれている、もしくは自分で思い込んでる善というのがあると。
だからその善っていうのは、ちょっとこれもさらって言うけども、なんていうかな、ちょっとこういうこと言うとあれだけれども、結果がすべてなんです。結果がすべて。つまり結果的に、誰かを幸福にするとか、結果的に自分の徳が満ちるとか、当然、それを狙ってるわけだね。それを狙った場合、当然、ケースバイケースで、やっていいこと、やっていけないことが変わってくる。しかしそれが分からず、表面的な善と言われることだけをやったとしても、それはまあ、善にならないわけですね。だから、よってそこは、表面的な、その本質的ではない、つまりそこに正しい方便がない善にもし陥っている人がいるとしたら、それは魔事ですよっていうことですね。これもケースバイケースなんでね、なんとも例を挙げにくいけども。
はい、じゃあ次。
【本文】
⑯菩薩の聖典を学ばず、間違った教えを唱えることは、魔事である。
はい、これはもう読んだとおりですね。菩薩の聖典、つまり菩薩だったら、当たり前だけど、菩薩の聖典を学ばなきゃいけない。で、間違った――まあ特に現代ではこれは戒められることだけども、現代って本当に昔と比べものにならないほどの情報過多の時代だからね。本屋に行けばいろんな宗教関係、修行関係、仏教やヨーガ関係の本がいっぱあると。で、ネットなんかいったら本当にバーッて出てくると。ね。で、その中にはもちろん変な教えもあるだろうし、あるいは間違っているとは言えなくても、ちょっとまだ、今自分の修行している段階からいうと、ちょっと初歩すぎる教えもあるだろうし。だからいつも言うように、皆さんにいつも言うように、そんなにたくさんのいろんなことに手を出さない方がいいと思うね、教えとか本とかに関しては。同じ傾向のもの、もしくは同じ著者のものだったらいいかもしれないけど。できるだけ絞って、特に、何度も言ってる菩薩行や、あるいは崇高なバクティヨーガの教えや、といったものを中心に学んだらいいと思うね。
だから、わたしも昔そうだったんだけどね、手当たり次第にいろんな本を読むと。で、その中にはもちろん間違った教えもあるでしょう。で、それは頭で別に理解してればいいと思うかもしんないけど、情報はもう入っちゃってるからね。情報はどんどん入ってきて――例えばですよ、極端な例を挙げるならば、「おれは菩薩の道を行く!」っていう人がいたとしてね、で、その、「菩薩道は間違いである」と。「衆生はほっといて解脱すべし」っていう教えがあったとするよ。それを、「何言ってるんだ、これ、間違った教えだな」とか言いながら読んだとするよ。毎日読んだとするよ。「また変なこと言って、菩薩駄目とか言って……」とか言いながらね。「菩薩道である!」と。ね。……一年続けてたら、「やっぱ菩薩駄目かな?」って(笑)。
(一同笑)
本当、そうなんです。そんだけ心って情報に弱いんです。うん。本当にね、心のからくりっていうのは本当に不思議で、コロッて変わるからね。日常的にもそうでしょ? 恋愛とかもそうだし……恋愛とかもそうだよね。「好きです、好きです」って言われて――まあ、わたし――いつも言うけど、わたしが恋愛論を語る資格はあまりないんだけど(笑)――いろんなのを見てると、「好きです、好きです、好きです」って言われて、「もう本当にうざいうざい」って言ってた人が、いつの間にかつき合っていたりすることがある。あるいは仕事とか、いろんな勧められることとかもそうだけどね。
わたしいつも言うようにさ、わたしもともと、占星術でよく獅子座は――わたし獅子座なんですが――獅子座の人は、頑固なくせにポリシーがないって言われてて(笑)。まさにわたしそういうところがあって、ポリシーないんだね。うん。だから、「これでいく!」って言ってたのが、みんなに説得されると、「やっぱそうですよね」って(笑)。
(一同笑)
こう、感じになっちゃうっていうか(笑)。そういうのがもともとあってね。だからそういうのを自分で分析すると、自分はそういう分かりやすい性格だったから、分析すると、「あ、心ってこんなもんか」と。つまり、情報によって――つまりその、「おれはこれなんだ!」って思ってる「これ」も情報だから。情報でできているだけだから。だから、情報の量が変われば、コロッて変わっちゃうんだね。変わりにくい、変わりやすいっていう性格の差はあるけども、システムとしては同じなんだね。
だからみんなにいつも言うけども、頭でこれは間違いだと分かっていたとしても、情報としても入れない方がいいです。
あとまあ、これも皆さんにいつも言ってるけど、聖なるものに対する批判的な情報、これは絶対入れない方がいいです。入れない方がいいっていうのは、ネットとかそうだけどね。よくその、例えば仏陀を批判してるとかね。皆さんの大好きな聖者を批判してたりする人がよくいるよね。みんな批判が好きだから。で、それを見て、「なんで批判してるんだろう?」って思うと。で、自分では、「こんなこういう人たちは哀れだな」って思うと。でも駄目です。その、文字的な情報が入っただけでも、自分の心がちょっとけがれます。けがれるっていうか、今言ったように、マイナスの方向にちょっと向いてしまうんだね。だからその、批判ももちろん含め、あるいは間違った教えっていうのも、あの、なんていうかな、偶然とかはもちろんしょうがないけども、積極的にはそういうのは関わらない方がいいね。
はい、じゃあ次。