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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第五回(5)

【本文】

 日月神通行の菩薩とは、道に迷いながらも、長い間かかってなんとか目的地に到達する旅人にたとえられる。
 このような性質を持つ人は、菩提心を生じて大乗に従い、小乗の教えに頼らず、心に思うこともない。ただ大乗だけを心に抱く。このような人が、日月神通行の菩薩である。

 はい。「日月神通行」――つまり太陽と月の神通行っていうのは、これはどういう例えかよく分からないけども、まあそれはどうでもいいことなんでね。一応三番目の段階と考えてください。で、ここからある意味、価値あるっていうかな、しっかりとした菩薩に入ってくるわけですね。で、まだこの段階の菩薩は道に迷うと。やっぱり途中でね、道に迷うし、しかもやっぱり時間がかかると。しかしなんとか到達すると。
 だから最低限われわれはこの段階ぐらいにはいかなきゃいけない。っていうのは、われわれはまだやっぱり無智だし、カルマも悪いから、道に迷って当然なんだね。道に迷って当然だし、あるいは途中で何度も挫折して当然なわけだけども。しかしあきらめず、不屈の心で進み続ける。で、最終的になんとか目的地、つまり菩薩としてのいろんな段階であるとか、最終的には仏陀の境地に到達すると。
 はい。で、このような人っていうのは、「しっかりと大乗の教え――つまり菩薩道の教えを学び、小乗に頼らず、心に思うこともない」と。つまりこれは逆の言い方すると、もう苦しいから――あのさ、皆さんもそういうこと思ったことが、修行前にしろ修行後にしろあると思うんだね。「ああ、もうどうでもいいや」と。「苦しいからわたしはこの世から消え去りたい」と。ね。一種の自殺願望ですけども。これはまさにニルヴァーナの心なんだね。小乗の心なんです。つまりこの世から消えるイコール、ニルヴァーナだから。だから大乗の菩薩としてのその使命というものがあまりにも苦しくて、小乗の方に逃げてしまうと。しかしこの第三段階からはそれが全くないということですね。何度も何度も間違ったりつまづいたりはするんだけども、でもその大乗の菩薩として、「いや、わたしはみんなのために、みんなを救うために絶対に仏陀になるんだ」っていう気持ちを決して失わないと。で、その修行を歩み続けるのがこの第三段階の人だっていうことですね。
 はい。じゃあ次いきましょう。

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