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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第五回(4)

【本文】

 象車行の菩薩とは、たとえばある人が象車に乗って旅に出て、同様に嵐にあって吹き飛ばされ、もといたスタート地点にまで戻ってしまう。
 このような性質を持つ人は、菩提心を生じて大乗に従い、大乗の経典を読み、実践し、理の如く思惟するが、もろもろの小乗の経典にも同じように従う。このような人が、象車行の菩薩である。

 はい、今度は「象車行」ね。つまり羊じゃなくて象の馬車ね。インドではよく象の、実際に馬車みたいなので戦争したり、昔はしてたっていうけども。まあ像だからね、当然パワーがあると。だからかなり、羊よりは心強いわけだけども。でもここの例えでは「嵐に遭って吹き飛ばされ」――ね、後退はしないがスタート地点に戻ると。
 でもこれはどうですか? もう一回言うと、前の羊車行の菩薩っていうのは――これ、ある意味ちょっと悲惨だよね。悲惨っていうのは、だって百キロ進んで八万キロ戻されるとしたらですよ、その人ってさ、自称ね、自称菩薩なんだけど、その自称菩薩の修行をやればやるほど後退するわけです。ね(笑)。だって百キロ進んで八万戻って、百キロ進んで八万戻ってっていったら(笑)、時間がたてばたつほど悲惨な状態になるよね(笑)。これはもうあり得ないほど悲惨であると。で、象車行の場合はそうじゃなくて、ある程度進んで、嵐に遭ったら元に戻ると。これは、後退はしないがずっと変わらないと。ね(笑)。結局その人が例えば十年、二十年、あるいは一生、二生、三生と生まれ変わって修行し続けたとしても、「あれ? あなた全然変わってないじゃないですか」と。「どうだった?」「いやあ、大変だったんですよ」と。「いつも障害にぶち当たってなんとかしようと思うんですけど、ちょっと崩れてしまう」と。で、また立ち上がって――「でも立ち上がってるんです!」と。「立ち上がってまた立ち向かうんです!」と。「またやられてしまうんです」と。「ああ、それはすごいですね。で、どれくらい進んだんですか?」と。……一歩も進んでいない(笑)。

(一同笑)

 これはだからね、自己満足系の修行者に多いパターン。自己満足系の修行者っていうのは、さっきと同じ例えだけども、修行して、で、試練にぶち当たると。で、さっきの羊車行ほど駄目駄目にはならない。それなりに戦うと。それなりに戦うけど、それなりに打ちのめされると。で、立ち上がると。で、また立ち向かってると。はたから見ると、あるいは本人もすごく修行頑張ってるような感じに見える。でも実際それをシビアに見ると、全然乗り越えてないので、スタートと障害の間を行ったり来たりしてるだけの人になってしまうんだね。つまり乗り越えるだけの、まだ心構えっていうか気力っていうか、力がないというかな。まあないというよりも――まあだから逆に言うと、それをちゃんと、力を付けなきゃ駄目だっていうことです、ここの教訓はね。
 じゃなくて自己満足じゃ駄目なんです。自己満足で、振り返ってね、「ああ、おれは修行」――例えばね、皆さんが将来、二十年後とかにね、「おれ二十年間修行してきた」と。「二十年間おれはこんだけこんだけ辛いこといっぱいあった」と。「だからおれはだいぶ進んでるはずだ」って自己満足してると。でも実際には全く進んでない場合がある。つまり――ちょっとこれはシビアな言い方だけど、言い方を変えると、長く修行すればいいってもんじゃない。ね。もう一回言うけども、長く修行している間に行ったり来たりしている人もいるし、あるいは逆に後退している人もいるからね。よって――もちろん長く修行することは大事ですよ。それによってこの象車行の人も、長く修行することで、突破できる可能性もあるからね。長くすることはもちろんいいことなんだけど、ポイントはそこではなくて、一回一回の試練に対してどれだけ心構えをしっかり持って、立ち向かって、打ち破ろうとするかだね。それが修行の核なんだと。修行の大いなるポイントなんだっていうことですね。だからこれも自分のその反省点として、しっかりこれは考えなきゃいけない。
 だから今、例えばもし試練が来てるなって思う人は、そういう気持ちで、心構えで絶対乗り越えるんだと。ね。ちょっとでもこの試練から成長の糧を勝ち取るんだという気持ちで向かったらいいし。あるいはそうじゃなくて今は別に試練が来ていないって人は、過去のことを反省してね、「ああ、わたしは本当に苦しみに弱い」と。あるいは、「わたしはそういった試練に弱い」と。あるいはここで苦しみじゃなくて、いろんな仕掛けの場合もあるからね。「わたしは普段はいいんだけども、例えばこういう人物が周りに現われるとやっぱりまだまだ怒りが出たり、嫉妬が出たりいろいろしてしまう」と。で、「いつも乗り越えられないで終わってしまう」と。ね。これじゃあ全くしょうがないわけですね。だから過去を振り返ってそういうのがある人は、じゃあ今まだ平穏だから、平穏なうちに、次に過去に来たような同じような試練が来ても絶対乗り越えられるように、今ね、自分をちゃんと作り直そうと。そういうちょっとリアルな心構えが必要なんだね。
 よくそういう人いるよね。例えば、「いやあ、わたしは過去にこういうことあったんです。」「あのとき本当にちょっと心が乱れて全然駄目だったんです。」「わっはっは」って人がいるわけだけど(笑)。駄目なんだったら、次に来たときに大丈夫にできるように努力してるのかと。ね。そこはやっぱり大事なところだね。
 だから過去に乗り越えられなかったことはしょうがない。しかし次に同じことが来たときに乗り越えられるように、今、平穏な時にちゃんと自分を作り替える努力をしなきゃいけない。
 はい。で、この象車行のパターンの人というのは「菩提心を生じて大乗に従い、大乗の経典を読み、実践し、理の如く思惟するが、もろもろの小乗の経典にも同じように従う」と。「このような人が、象車行の菩薩である」と。ここで言ってるのは、つまり大乗的なね、偉大なことを半分ぐらいは学び実践するんだけど、半分ぐらいはやっぱり自分だけの修行――ちょっと辛いんで、みんなはどうでもいいから早くニルヴァーナに入っちゃいたいなっていう気持ちがあって、で、そういう修行とか、あるいは教えも信じているっていうかな、そっちの方向性も心にまだあるっていう場合だね。だからまだ、言い方を変えると、心構えがちゃんとできてないっていうことですね。
 はい。じゃあ次いきましょう。

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