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2011/5/4「供養と懺悔の会」より(1)

2011/5/4「供養と懺悔の会」より

◎中心点

 ちょっと今日はもう時間がないので、「約束のサイン」はやめて(笑)、ちょっと自由に話してね、終わりたいと思いますが。
 まず一つは、例えば歌にもあるように、「ハリオーム・タット・サット」あるいは「すべてはブラフマンである」という言葉を使ったりするね。それは、この宇宙の本質っていうのはただ一つ、唯一の実在があるだけなんだと。
 これは何ていうかな――今日の話は何かテーマがあるわけじゃないので、ちょっとざっくばらんに、みなさんが理解できるかどうかは別にして話しますけども――この「すべてはブラフマンである」、あるいは「主よ、あなただけが実在です」と。この言葉っていうのは一見、無味乾燥な感じがする人がいるかもしれない。つまり、すべては一つであるというその究極の、まあちょっと無味乾燥に感じる真理というかな。でも実際はそうではないんだね。このフィーリングっていうのは、「すべてはただあなたです」と。この「すべてはただあなたです」っていうのは、もちろんそれはわれわれがイメージする物理的なものでもあるんだけど、例えば今日の『願い』の歌にもあったように、「既知を超え、未知を超え」ってあるけども、つまり過去や未来も超え、あるいはこの現在という瞬間も超え、ね――何を言いたいのかっていうと、言葉では表わせないんだが、一応表わすと「中心点」っていうかな――があるんだね。
 この中心点っていうのは、言葉を継ぎ足すほど遠くなるのでなんとも言えないんだけど、まあわれわれの中心点、あるいはわれわれの存在の中心点っていうか、あるいはわれわれが今ここにいることの中心点みたいなものがあるんだね。その中心点に立ち還る生き方をしなきゃいけない。
 わたしは何度も言ってるけど、自分で言うのもなんだけども、カイラスの曲がとても好きなわけだけど(笑)。カイラスの歌というのはちょっと「桁が違う」と思ってるわけだけど(笑)、まあそれだけじゃなくてもちろんミラバイとかも好きですね。もちろん一般のね、賛歌とかも好きなわけですけども、わたしがなぜこんなにミラバイやカイラスの歌に惹かれるのか――とか言って、自分で作ったんだけどね(笑)。自分で作っといて、「なぜ惹かれるのか」って、どんだけナルシストなんだっていう(笑)。
 ――でもそういう意味じゃなくて(笑)、なぜ惹かれるのかっていうと、今言ったことなんです。今言ったことっていうのは、これは本当にストレートに思ってることを言うけどね、わたしがやっぱり、言葉の表面的な端々ではなくて、カイラスとかミラバイの歌で感じるのは、今言った、本当はわれわれが、そこしかない、われわれが目を向ける、あるいは心を向ける対象はそこしかない、この宇宙の中心点――「宇宙の」っていうのもちょっと変なんだね。本当にね、われわれの中心点っていったらいいかな。人生の中心点っていうか。そこしかないんです、実は。そこしかないところに至るために、他のすべてを放棄する潔さっていうか、覚悟っていうか、それがカイラスの歌には含まれているっていうか(笑)、あるいはミラバイの歌とかにも含まれてるんだね。これはすごく表現しづらいところなんだけど。
 みなさんも例えば、カイラスの歌やミラバイの歌で、もちろんその意味をいろいろ感じてね、感動することもあるだろうけど、よく分かんなくて感動するときってあると思うんだね。それはわたしは何か、今わたしが言ったことがとても関係してるんじゃないかと思うんだね。うん。
 わたしもすごく――なんて言うかね――中心点に立ち還るときの喜びっていうのがあるわけですね。それは逆に言うと、立ち還ってなかったことの悲しみっていうのもあって、それですごく、歌を歌ったりして涙が出ることがあるわけですが。
 われわれの人生っていうのは、もう一度言うけども、それしかないんです。この「それしかない」っていうのは、わたしが言ってるのは、情緒的なことや論理的なことを言ってるんじゃないんです。「こうこうこうだからそれしかない」って言ってるんじゃなくて、あるいは情緒的に「これしかないんだよ!」って言ってるんじゃなくて、これしかないんです(笑)、本当に。これしかないんだね。
 でもわれわれは本当は忘れている。これを思い出さなきゃいけない。だから「これしかない」っていうことを本当に気づいたら、もう本当にそれしかないんです。だからやるべきことも決まってるんですね。
 しかしわれわれはまだそこに気づいていない。あるいは半分気づいているだけであると。その段階においては、勇気がいるんですね。勇気っていうのは、そうでないものを捨てる勇気がいるんだけど、でもそこに気づけたら、あるいは短い気づきであっても、それを何度も気づき続けることができたら、他のものを捨てるっていうのは当たり前のことなんだね。
 当たり前っていうよりも、何ていうかな――捨てるしかないっていうよりも、「ない」っていうかな、他のものはね。そういう覚悟みたいなのがあるんですね。
 今の話っていうのは、それぞれの人がそれぞれの段階とかフィーリングで受け取ってくれたらいいけども、本当に真理っていうのを純粋化すると、単純なんです。それしかないんです。悩みゼロなんです(笑)。でも多くの人は、余計に悩む。なぜ悩むか分かりますか?――それだけ中心点からずれてるんです。ずれたところで考えてるんです。そりゃ悩みますよ。
 ずれればずれるほど、世界は多様化します。多様化することによって、悩むポイントが出てきます。「こうかな……こうかな……ああかな」と。中心点に近づけば近づくほど、多様性は消えていきます。で、「あ、それしかない」と。この喜びと潔さっていうか、覚悟みたいなのがあるんだね。それにわれわれは何度も何度も立ち還らなきゃいけない。

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