至高者の祝福(3)「宇宙の描写」
第三話 宇宙の描写
パリークシット王は、続けて聖シュカに尋ねました。
「主はこの宇宙を、ご自身のマーヤーを用いて、どのように創造されたのか、私はそれを知りたいのです。
また、すべてに遍満される主は、宇宙をいかにして維持し、破壊されるのか、そのことも私に教えてほしいのです。
唯一者なる主は、どのようにしてこの宇宙で活動し、どのようにして化身するのでしょうか?」
聖シュカは答えました。
「かつて叡智の宝庫であるブラフマー神は、神仙ナーラダに同じ質問をされたとき、至高者から教えられたその答えを、ナーラダに伝えました。その教えを、あなたにも教えましょう。
ブラフマー神は、このようにおっしゃいました。
『ある者には、私が宇宙を現わしているように見えるが、実際には、自ら輝かれる主が、宇宙のすべてを現わしておられるのだ。
同様に、太陽や月や星が宇宙を照らしているように見えるが、実際にはこの宇宙は主によって照らされているのである。
愚かな人々は、マーヤーに惑わされて、肉体やそれに関係するものを自分だと錯覚し、そのように誇らしげに語るのだ。
しかし本当のことを言うなら、至高者以外のものなど、何一つ存在しないのだ。すべての元素、カルマ、時間、また個我でさえもが、それらはすべて主そのものなのである。
すべてのヴェーダの目的は至高者であり、すべての神々は至高者から生まれる。
すべての供養は至高者を喜ばせるために存在し、すべての世界は、至高者の体の各部分に過ぎないのだ。
至高者はすべてのヨーガの究極的対象であり、すべての修行は、至高者を満足させるためにあるのだ。
すべての智慧は至高者へ向かい、すべての道は至高者に通じるのである。
主は認識者であり、また支配者である。不変であり、かつすべてを包含している。
この私を作られたのも主であり、主に励まされて、私はこの宇宙を創造したのだ。
主は無限であり、三グナを超越されているが、主は宇宙の創造・維持・破壊のために、三グナを身にまとうのだ。
この三グナが、諸元素と感覚器官、そしてそれらを支配する神々を媒体として、本来自由である魂をマーヤーの支配下に置き、それら魂に、「私は肉体だ」「私は感覚だ」「私は心だ」「私はそれらの合体したものだ」などと思い込ませるのである。
主は、自らをマーヤーで覆うことで、衆生の目には容易に認めがたくしておられるのだ。
ナーラダよ、主は、私も含めたすべての生き物の支配者であられるのだ。
創造の夜明けに、多様とならんとされた唯一者は、ご自身の中から、カーラ(時間)、カルマ、宇宙の本性などを現わし、それらを身にまとわれた。
三グナの均衡をカーラが乱して、それを宇宙の本性が変容させ、カルマからは宇宙的理性が発生した。これらすべては、主ご自身の力によって機能するのである。
宇宙的理性が宇宙の本性の影響で変容した結果、物質・智性・行為といった要素からなる「自我意識」が生じた。
この「自我意識」は、物質の要素が強い場合はタマス的となり、智性の要素が強いときにはサットヴァ的になり、行為の要素が強い場合はラジャス的となるのだ。
タマス的自我からは、地・水・火・風・空の五元素が生まれた。
サットヴァ的自我からは、五種の知覚器官と五種の行動器官を支配する、十人の神々が生まれた。
ラジャス的自我からは、五種の知覚器官と五種の行動器官が生まれた。さらに認識機能としての理性と、活動機能としてのプラーナも生まれたのだ。
五大元素、知覚器官、行動器官、心、三グナ、これらは最初は互いにバラバラだったので、身体という家を構築できなかった。
しかしそれらは、神の力に促されて互いに結合し合い、それぞれが原因となり結果となることで、この大宇宙と、個々の生命体の身体を生み出したのである。
卵の形をしたこの大宇宙(宇宙卵)は、最初は生命なき状態で置かれていた。至高者はこの宇宙卵の中に真我として入られ、生命を吹き込まれたのだ。
その結果、主はこの宇宙卵を突き破って、無数の手や足や眼や顔を持つ、宇宙体として姿をあらわされた。
その腰から下には低位の世界を、上には高位の世界をというように、宇宙に含まれるすべての世界を、賢者はこの至高者の宇宙体の中に認めるのだ。』
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