「この世への執着が断じられない」
◎この世への執着が断じられない
この一節は、直接的にはこの直前のページのね、下の方にかかってるんですが、一つ一ついくと、まず、「この世の執着を断じられないので、真理を実践したいという望みが堅固にならない」と。
はい、つまり、さまざまなこの世のデメリットね、輪廻のデメリット。あるいは、この世は無常であって苦であって云々っていうのを、しっかり学んで理解するっていうことをしっかり行なわないと、この世のいろんなものに対する執着がなかなか断じられない。そこから脱出して正しい生き方をしたいと、真理を実践したいっていう思いが堅固にならないので、なかなか修行の土台になりませんよと。
◎表裏のない帰依心
「表裏のない帰依心が生じないので、帰依処に対して心を任せることができない」。
これも準備修行においてね、帰依の重要性とか、そういうのをしっかり学んでおかないと、逆に言うと表裏のある帰依心になってしまう。つまり表面上は、わたしは師や三宝に対して帰依をしていますと言ったり、あるいは実際に自分ではそうしてると思ってるわけだけど、潜在意識とか深い自分の心においては全く帰依よりもエゴ、帰依よりも自分っていうのを取ってしまうような状態になってしまう。
これはいつも言うように、特に密教とかの世界に入ると、帰依っていうのがものすごく重要になるんだね。それは前回もちょっと言ったけども、また同じような例えを言うとね、山の頂上に行くのに、普通は滑らかななだらかな山をめぐるような道があるわけだけど、その道を使わないで断崖絶壁を登っていこうと。これが密教的な思想なんだね。つまり、速く行けないことはないんだね。行けるけども、相当な危険がある。で、それをうまく導いてくれるのが、師匠であったり仏陀であったりする。で、その命綱っていうのがあるわけで、その命綱をいかに強く、そして太くしていくか。それがないと、自分の観念で修行を進めてると、特に密教的な実践の場合は、足を踏み外したときにものすごい大きなデメリットがある。だから帰依。自分のエゴよりも自分の師匠。あるいは自分のエゴよりも教え。自分のエゴよりも仏陀っていう姿勢が大事なんだけども、それができない状態で進んでしまう。
だから何でもそうだけど、準備をおろそかにすると後でしっぺ返しが来る。まあいいんじゃないかっていう感じで、あまり帰依のない状態で深い修行に入っていくと、まあ最初はいいかもしれないけど、ある段階でそれが大きな自分の中のちょっと足りない部分として浮き彫りになってきます。それによってそこから進めなくなるとか、そういうことが起きてしまう。だからまず最初に帰依もしっかり培うと。