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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第三回(2)

 はい。そして『ガンダヴューハ・スートラ』――『華厳経』ね。『華厳経』っていうのは、日本でも結構有名な大乗経典の一つですが――に書かれてる菩提心の素晴らしさね。まず、「もし世間の衆生が無上の正覚に発心(=発菩提心)することがあるなら、それは実に得がたきことである」と。
 これもいつも言ってるけど、本当に皆さん、心に刻んでくださいね。今、本当になんか冗談みたいな話で言ってたけども、もし皆さんの心に、ほんのちょっとでもですよ、「菩薩になろう」と、「みんなのために、仏陀への道を歩もう」っていう心が、ほんの少しでもわいたならば、あるいはこういう話を聞いて、「ああ、そうだ。わたしもそうなりたい」と思ったならば、それは本当に得がたきことなんです。得がたき――つまりいつも言ってるように、われわれがね、まず人間に生まれることも、非常に確率としては、もう奇跡に近いぐらいの確率だよって仏教では言ってる。ね。
 まあ、今日初めての人もいるから、ちょっと丁寧に言うとね、まあ例えば、現代の精神世界とか霊能者とかが言うような、輪廻転生っていうのは、そんな甘いもんではない。まあ仏教の、あくまでもね、お釈迦様の仰ったことをそのままストレートに言うならば、われわれが今、はい、死にましたと。九十九パーセントは、地獄か餓鬼か動物です。つまり人間とか神に生まれ変われる人っていうのは、ほんの一握りだと。ね。一握りっていうか、本当にもう――まあよく言われるのが、例えば砂漠の中で、一粒だけのダイヤを探すようなものだと。つまりものすごい低確率なんだね。そんな簡単に、ヒョイヒョイといい世界には行けない。で、われわれがその素晴らしいカルマによって、非常にわずかな確率を乗り越えて、この人間に生まれたとしてね、さらにそこに、真理――つまりヨーガであるとか仏教であるとか、そういった真理の教えというもの。つまり、正しい生き方であるとか、魂を進化させるような教えに巡り合えることも、また非常に難しいと。ね。
 で、さらに、なんです。で、さらにその中で、この菩提心の教えに巡り合えるなんていうのは、もう奇跡の中の奇跡のようなものなんだと。つまり、そういった菩提心と関係ない修行ももちろんいっぱいあるからね。単純に自分――つまりもう世を捨てて、山に入って、はい、あなたはこの世を捨ててね、単に解脱して、はい、輪廻からおさらばしましょう、っていう教えも当然あるわけです。で、そういう教えの方が実際に多い。でもその中で、この菩薩の道に巡り合えるっていうのは、ものすごいことだと。
 で、もちろん、その中でそれを受け入れない人もいる。しかし、それを受け入れるだけの土壌ができあがっていて、で、「あ、わたし菩薩になろうかな」っていう思いがわいてくるだけでも、すごいことなんだと。みんなはそうは思わないかもしれないけどね。例えば、こういう勉強会で聞いて、あるいは『菩薩の生き方』とか読んで、「ああ、菩薩っていうのもいいな。おれ、菩薩の道歩んでみようかな。うーん、でも、あんまりちょっと、苦しそうだから、自分だけの修行もいいな」とか迷ってるとするよ。で、これってさ、そんな重要な問題だと、多分本人は思っていない。「菩薩の道歩こうかな? まあでもどうしようかな?」――でも例えばさ、もし皆さんに天の眼、天眼があったら、その瞬間、神々は、あるいは皆さんを守護してる守護神とかは、一喜一憂しています(笑)。

(一同笑)

 つまり、Iさんとかが「菩薩の道もいいかな」と思った瞬間、Iさんに関係する神々とか守護神は、「なんて素晴らしいことだ! やった!」と。「そうだ! さあ頑張れ!」。でもIさんが「やっぱやめようかな」と思ったら「わー! もうこの世の終わりだ」と。「あいつは何が真実か全く分かっていない」と。「また地獄へ落ちるのか」と。もう、ものすごいことなんだね。うん。ものすごい人生の別れ道(笑)。でもわれわれは、あまりそれに気付いていない。「まあ菩薩もいいかな。うーん、でも苦しいな」とかやってるわけだね。でもそれぐらいの、すごいことなんだって思った方がいいね。この菩提心を、皆さんが心に抱くっていうことがね。

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