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「私が見たブラフマーナンダ」より「我が師」(10)

 

 また、わたしはインド議会で著名な現役議員であるクリパラーニ氏についての出来事も覚えています。
 その頃、彼は青年ではありましたが長いステッキを手にし、カンカルのアシュラムを訪問されました。
 
彼はマハラジとスワミ・トゥリヤーナンダに惹かれました。マハラジが彼のステッキを賞賛されたので、彼はマハラジにそのステッキを捧げました。
 そして、彼は苦行の実践のためにリシケシへと向かいました。マハラジは彼を祝福されたのでした。

 この時期ずっと、わたしは僧院に加入し、マハラジにお仕えしたくてたまりませんでした。わたしはマハラジにそのように懇願すると、彼はこうお答えになりました。

「いや、まだだよ。君は必ず大学を卒業しなければならないよ。」

 わたしはこう言いました。

「しかしマハラジ、わたしの両親が結婚するようにと説得してきたら、どうしたらよいでしょうか?」

 それに対してマハラジは

「そのときは、わたしのもとに逃げてきなさい。」

とお答えになりました。

 

 その後、わたしが故郷へと旅立つので、マハラジに、アラハバードのスワミ・ヴィジュニャーナーナンダジと、ヴリンダーヴァンのアシュラムも訪ねてきてほしいと頼まれました。そして彼は、アラハバードのスワミ・ヴィジュニャーナーナンダジとヴリンダーヴァンのナンドゥ・マハラジに宛てた紹介状をわたしに預けました。
 
しかし彼はわたしに、ヤムナー河では沐浴をしないようにと忠告されました。というのも、そこには大きな亀がいて、沐浴者の肉を噛み切ってしまうかもしれないからということでした。

 そしてマハラジは、昔目撃したある出来事について語ってくださいました。

彼は、ヤムナー河の水の中に腰まで浸かりながら、ジャパムを行なっている一人の聖者を見かけました。
その聖者は突然、「あっ!」と大声で叫び、川岸へ走っていったのです。
マハラジがその聖者の太ももを見ると、亀に噛み付かれて出血していたのでした。

 わたしは大学に戻ったころから、徐々にインドの革命運動に巻き込まれていきました。
だからといって、わたしはマハラジへの、そして修行生活に対する関心を失ったわけではありませんでした。
 しかしわたしは、「これはスワミジのお仕事である――インドの解放のための!」と考えていました。
そしてわたしはインドの自由解放のために独身を貫き、人生を捧げようと決意しました。
 しかし、マハラジとは常に連絡を取り合っていました。

 当時、マハラジが住んでおられたヴァーラナシーを訪問したことがありました。スワミ・トゥリヤーナンダとスワミ・プレーマーナンダもそこにおられました。

 わたしはウェルチのグレープジュースを二瓶、マハラジのためにお持ちしていました。そして彼はその二瓶のグレープジュースを見ると、すぐにこうおっしゃいました。

「グラスを持ってきなさい。」

 わたしはグラスを持って来ました。
すると、マハラジはそのグラスにグレープジュースを注ぎ、こうおっしゃいました。

「このグラスをアドワイタ・アシュラムに滞在しているスワミ・プレーマーナンダに届けてきてくれ。そして、『これはカルカッタで探してきた極上のワインです』と伝えたまえ。」

 そこでわたしはスワミ・プレーマーナンダのところへ行き、彼の目の前にそのグラスを置くと、マハラジから指示された通りに伝えました。
 

彼はこうおっしゃいました。

「持って帰ってくれ! ここから立ち去りなさい!」

 

しかし、私は彼の前から立ち去ろうとはしませんでした。
(このように、マハラジはわたしを通して、よく彼をからかっていたのです。)
 スワミ・プレーマーナンダは椅子から立ちあがって、ひどくお怒りになりましたが、それでもなお、わたしは立ち去ろうとはしませんでした。

彼が外へ出て行ったので、私はそのグラスを彼の口元に近づけながら、彼を付け回しました。
 とうとう彼を、庭の壁の端まで追いつめました。
 するとそのとき、マハラジがいらっしゃいました。(常に彼はとても静かにお歩きになるので、わたしたちはしばしば、いつ彼がその場にいらっしゃったのか全く気付かないほどでした。)
 

マハラジはこうおっしゃいました。

「兄弟、なぜ飲んでくれないのか? それはこの子がわたしのために持ってきてくれた、ただのグレープジュースだよ!」

 

するとスワミ・プレーマーナンダはおっしゃいました。

「もう、どうして早く教えてくれなかったのですか!」

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